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平安遥か(V)飛翔の時 作者:ゲン ヒデ

第11回   11
                山部の初位 
 話を山部に戻す。
10月7日、惠美押勝の乱での功のあった者70数人の叙目が行われ、山部は従5位下に叙せられた。
 また王(おおきみ)の称号も許された。功による2世王である。

 5日後、父と共に清涼殿に参内する。
 称徳帝(重祚した孝謙上皇)の日常の住まいに当たる場所である。
 髪はまだ無いので尼僧頭巾を被り、柄の刺繍に龍文が描かれ、地は金泥の絹服を着た称徳女帝は、昼の御座所に座っている。
 
 山部王は、(くりのら)の頭巾を被り、浅緋の朝服、牙笏を持つ姿である。
 父の横で、優美な動作で称徳帝に平伏する。
 右前に真備と大臣禅師、道鏡が侍し、百川は左にいる。
 真備言う
「山部王、この度のお働き、ご苦労でありました。陛下におかれては、あなたを図書の頭を兼ね、侍従になされましたが、図書の頭の職務には慣れましたかな」
「はは、ありがたき幸せでございます。懸命に学んでおります」
 頭を上げ、言上し、平伏する。
 女帝、にっこりと言う
「内輪の場じゃ。山部王、堅苦しくするな。顔を上げなされ。気楽になされよ」
 山部顔を上げ、落ち着いた表情になる。

 読経で鍛えた響きのある声で、道鏡が言う
「そなた様が、うわさの水銀毒を防ぐ口覆いを考え出された山部王殿ですか。わたくし共に難しい事が出来すれば、ぜひともそのお知恵でお助け願いたい」
「ああ、あの時は、吉備先生のお教えが有ったれば、こその功でして、私はそれほど賢くはありませぬ」
「謙遜なさるな、山部王、君ほどの英才はおらんよ、この真備も裸足で逃げ出したくなるほどじゃよ」
 
 女帝言う
「そなた、歴山王の事跡をペルシャ僧から教えられたそうじゃな。歴山王をどう思う」
「ああ、アレクサンドロス大王のことですか。そうですなあ、果てしなく夢を追い求めて、未知の国を駈けるのには、憧れますが、32才で、皮肉にも一匹の蚊に殺されるとは。天の配する運命は残酷なものだと、思います」
「蚊?蚊に殺される。どういう事じゃ」
「陛下、あの大王は瘧(おこり=マラリヤ)の病で倒れました。あれは、赤い紋様の蚊が流行らせる疫病ではないか、とペルシャ僧様が仰せでした」
「なるほど、諸行無常なことじゃなあ。まあ、我が国には関係がない歴史じゃがな」
「いえ、あの王の西遷は、我が国にも影響を与えたと思います。あの王の死後、秦がにわかに強国となり、唐土を統一した理由に、鉄器の造り法が伝来したからではないかと、あのペルシャ僧様が仰いました」
「ほう、なるほどな。我が知識が増えたのう」
 
 女帝、道鏡に向かい、
「大臣禅師様、瘧の治し方はどうなのでしょうか」
 道鏡おもむろに呪文を唱え出す。やがて言う。
「薬の木が、遥か彼方、未知の世界に有るように見えました。遥か将来に我が国に伝わるでしょう。ですが、万一陛下がこの病に罹られたら、我が呪法で、その病を消滅させまする。ご安心を」
 頼もしそうに女帝、道鏡を見る。

 山部王、ふと悪戯心が起こり、道鏡に尋ねる。
「大臣禅師様、私の叔父が不思議な病で亡くなったのですが、後学のため治療法をお教え下さい」
 と言い、脚気の症状と最後に心の臓が止まることを話す。
 聞き終えた道鏡、内心驚く。安積親王のことを連想する。
 しばらく無言である。背中から汗が出る感じを覚えた。
 女帝、不審そうに道鏡の様子を見る。
 真備は、にやにやする。
 女帝
「大臣禅師様、どうかなされたのですか」
 道鏡大きくため息をつき、山部に言う。
「分かりませんなあ。拙僧は祈祷専門でしてな、鍼や薬は一応学びましたが、詳しくではござらぬ。そなた様がその病に罹られたら、呪法でお治ししましょう」
 言い終わり、ほっとする。
「ありがとうございます」と山部、礼を言い、父と一緒に退出した。

「ははは、あの者の質問癖に、やられましたな禅師様」真備笑う。
「叔父が罹ったと言いましたが」と道鏡
「ああ、義理の母、井上内親王の弟、安積親王のことですよ」百川教える
「安積親王!」またも道鏡、背に汗を掻く。
 おもむろに女帝言う
「大臣禅師様、その足萎えの病、白米の摂りすぎが原因なのですよ。ウナギをたらふく食べれば治るそうですよ」
「白米の摂りすぎ!」道鏡は驚いた。
 そして、早々に彼は退出する気になった。
   
            斉明帝の再度の警告
 内裏を出た山部王は、太政官庁へ行く父と別れて、図書寮へ戻る。
 彼は、今で言う国会図書館館長の役職である。
 現代の館長は、国会事務総長を勤め上げた者の名誉職で、総理大臣より高給なので、憲法違反との声もある。
 が、実務職の図書の頭の俸給は、現代の局長クラスであろう。それとて当時としては、いきなりの大出世である。
 その職は、【図書寮の長官。中務省に属し、朝廷の図書の保管や国史の編纂、書籍の書写、諸官庁で使用する文房具の製造と供給を任務とした。】とあるが、山部王には楽々とこなせる得意分野であった。
部下達は新しい上役の博学と見識に目を見はった。又、人扱いも丁寧上手なので、すぐに山部王に信服した。
 
 寮では、あの少年、大伴永主が職員の史生に、何やら嘆願している。
「永主君どうしたのだね」
「ああ、山部王お久しぶりです。私たち5人は、あなた様のお手伝いの功績で、式部省から感状を賜り、見習いの役、といっても使い走りですがね、それを命じられまして。頑張っています」
「ああ良かったねえ。で何の用でこの寮に来たの」
「現職の官職名簿が必要なのです。次ぎの叙目の資料に必要だとか」
「なるほどね。乱の功で多くの人の昇位するための参考用か。なにか問題があるのかね」 史生に聞く。
「はあ、名簿担当の者が賊側で、逃亡しまして。探すとなると…」
「ああ、私が探して来よう」
「新しく赴任されたばかりでは、書類が何処にあるか、お分かりには…」
「ここの文献の分類順は覚えたから、見てくるよ」王、奥の書架へ行く。
 15分して、巻物を持って、戻ってくる。
 史生あ然とする。そして言う。
「頭(かみ)さま、書物の分類をよく理解していられますねえ」
「ああ、書物が好きだからねえ。はい永主君」と言い巻物を渡す。
「書物は、巻物の姿より冊子の形に替える方が、良いかもしれないねえ」
 と史生に言う。史生うなずく。
 
 山部王、永主を見送る形で、連れだって外へ出る。
 永主が会釈して、遠ざかって行く時、ふいに彼の姉の居所を聞こうと思い、追おうとする。
 急に膝頭が痛み出す。転けた時、打った場所である。
 
 くずれ呻いていると、耳元で声がする。
「いかんのう、家持の娘は諦めろ」あの夢の婆さんの声である。
 ぎょっとし、周囲を見る。誰もいない。
「でも、家持や永主との付き合いはしろよ。理(ことわり)大事【合理主義】のお前には、妾のこと理解に苦しむがな、まあ気にするな。ほほほ」

 たまたま、道鏡の輿が近くを通る。
 道鏡、御簾をちょっと上げ、蹲っている山部王を見る。
「どうかなされましたか」側近の僧訊く。
「あの男、死霊に取り憑かれておる。…ありゃあ、死霊の老婆、わしを見て、片目をつぶった。急ぎこの場を離れよ」慌てて呪文を唱え、輿を急がせた。


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Novel Editor by BS CGI Rental
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