淳仁帝の悲劇 淳仁帝は皇位剥奪、流刑、殺害の3つの不運に遭った人物である。 淳仁とは明治天皇が追贈した諡号だが、それまでは淡路廃帝、と史書にまで貶められていた。 そもそも、道鏡が看病禅師として歴史に登場しなければ、この人物の子孫で皇系が続くはずであった。
…筆者は思う、孝謙女帝の病は更年期障害で、漢方薬の処方が合えば簡単に治った、と。見立ての良い医師が上皇の離宮にいなかったか、薬の処方の材料不足だったのか… とにかく不運な帝である。
惠美押勝の乱の勃発の直後、兵に囲まれ、淳仁帝は東院(大内裏の東にあり、土塀の向こうには法華寺がある)の一隅の塗籠に押し込められた。最初は事情が判らず、戸板を叩き、叫めくが、警備の者は無言である。食事を持って来た舎人に聞き出し、やっと事情が飲み込めた。
十日後に、押勝の首が都に持たされた事を、聞く。 で、壁板を頭で叩き苦悩する。と、音が変なのに気づく。向こうが空洞らしい。その部分を調べる。やがて、壁板の足下の箇所を引き上げると動く。引き上げ戸になっていた。 慌てて降ろし、夜を待つ。 外の監視の篝火からの明かりが、高い窓から漏れる。 その微かな明るさの元、蓋板を上げると、奥は2尺半四方の空間で、下への石畳の階段がある。 恐る恐る帝は降りると、東へと続く間道になっている。 そう、良継が根も葉もない言い伝え、と思っていた抜け道が実在していたのである。
暗黒の空間を這いつくばり、手探りで帝は進む。 が、途中で、上から落ちてきた土砂で塞がっていた。 大内裏の塀の真下である。 すぐ塗籠へ戻り、残っていた食器の金銅の箸と椀を持ってくる。 掘り進む道具として、奥の土砂を取り除く。 だが、大きな岩の表面が現れる。箸で下を掘り掻きだし、椀で土を除く作業をする。 だが、徒労だと判る。 深く掘っても、岩はまだ下まで続いている。 無用になり、土塀の修理にかこつけて、不比等は塞いだのであった。
上に戻ると、燈火を持った真備が、待っていた。 じいっと帝を見て 「陛下、抜け穴は向こうまで続いていましたか」 「残念だ、途中で塞がっていた」帝あきらめ顔で答える。 「ああ、御服が汚れています」と言い、帝の衣服をはたく。
「わしの諫言は間違っていたのか」上皇と道鏡の醜聞の件である。 「正しいと思いますが、お気の毒ながら御運が悪かったと思います。体でなく上皇様の心、を道鏡は支配しております。もっと始末の悪いことです」 「心を…?操られているのか。では、王家はどうなるのだ!」 「分かりませぬ」 「そんな…」 「陛下、よろしいか。おそらく貴方様は流刑に遭います。が、じっとして生き延びてくだされ。生き延びれば、もう一度、帝に返り咲くことも夢ではありませぬ。現に、蟄居していた豊成(押勝の実兄)が、7年ぶりに右大臣に返り咲きましたぞ。軽挙妄動はなさらぬように」 「もう一度、帝にか。権力亡者らの言いなりで右往左往するお飾りは、うんざりじゃ」 黙り込む真備、そして懇願する。 「いつかは都へ戻れるように働き掛けます。それまではご辛抱ください。この真備、行きがかり上、やむを得ず上皇様の側に付きました。押勝が妬みを買い過ぎたのです」
「お前と押勝は、昔何かあったのか」真備が嫌われて、左遷されまくった理由である。 3才の頃父の舎人皇子が亡くなり、押勝に養われていたから、事情を帝が知っているかも、と真備は期待していたのである。 真備が尋ねたい事を、帝が言うので 「分かりません」としか答えられない。
真備は、この帝が好きであった。 若き日の帝は、大学での真備の受講生であったのである。 帝になってから、真備の才を惜しんで、しばしば左遷地へ使いをやり、帝の心構えや施政の意見も聞いた。 不思議にも、押勝は黙認し、真備の提案した施策案を採用までした。 渋る押勝を説き伏せ、都へ戻らせたのもこの帝である。 自分と上皇の仲を取り持って貰おうと考えたのであるが、真備にとって、上皇側に附くしかないほど、事態は険悪になっていたのである。
翌日、中宮院(内裏)に帝は戻される。 10月9日に帝位剥奪と淡路流刑の女帝の勅命が下され、寝服のまま裸足で御所を追い立てられ、配所へ送られる。 彼は二度と都に帰ることなく、1年後、配所からの逃亡の失敗で殺されることになる。
忍びの差配 話を戻す。 10月5日の夕暮れ、真備の寝所前の廊下に、小石が、庭の木立から投げられた。 音を聞いた真備、戸を開け、言う。 「忍び殿か」 木の後ろに隠れた人物が答える。 「大将閣下、我らをお雇いくだされ、有り難うございました。最後の報酬をいただきに参りました」 「ああ、用意しておったぞ。この砂金袋をそちらへ放ればいいのか」 「はは」 廊下に真備出て、木立のほうへ袋を放ると、木立の後ろから手が出て拾った。確かめたのか、その人物言う 「確かに、頂戴しました」 こもった声である。 「綾麻呂らは、東北の地へ旅立ったそうじゃが、坂上刈田麻呂等に雇われて、蝦夷を探りにいったのか」 「ご想像に任せます」 「うーん、秘密か、まあいいだろう。改めて、次の仕事を頼みたいのだが」 「どんな、仕事で」 「流刑に遭う帝を、守ってもらいたいのだが」 「やはり、今上陛下は皇位を剥奪されるのですな。ひどい話で。で何処へ」 「淡路だが」 「淡路ですか。島国となると、よそ者は目立ちますなあ。長年住み着いている者が、おりませんが。他の忍びに当たられては」 「だめか」 「申し訳ありませぬ」 「また、雇いたい時は、薬師になろうとしている智麻呂に連絡すればいいのか」 「あの者は、御雇いになられても結構ですが、我らから抜け出しておりますので、繋ぎ役には不向きです。ご必要の時は、門番に短甲を着せてくだされ。そーと参上いたします」 「ああ、わかった。いままでの働き、有り難うござった」 真備、深々と礼をし、中へ戻った。 音も立てず、影の人物は屋敷東門を出る。 門の横で、床几に座った衛視が、ぼおっとしている。 男は衛視に「はっ!」と短い気合いを掛ける。 「しっかりしなされ、門番殿。居眠りをなされてはいけませんぞ」 「ああ?これは、これは、御坊お起こしくだされて、ありがとうございます」 「いや、通夜の帰りじゃが、見かねて起こしましたが、悪うござった」 老僧は言い、帰っていった。
伊賀忍者の頭 半月後、大安寺のある僧房へ、故郷からの荷の運び人が訪れる。 歳は40代、純朴そうな田舎者丸出しで、周囲の僧にへいこらしている。荷の扱いをもっと丁寧にしろと、老僧が叱りつけた。 あの忍びの老僧である。
ところが、僧坊の中で2人きりになると、老僧が運び人に平伏する。 「お頭様、お察しの通り、真備は淡路の廃帝の復活を思っています。やはり、手をお打ちになられた方が良いかと思います」 「先帝を逃げ出させて、見つかるように、淡路にいる草忍に指示しよう。」
「綾麻呂の息子、智麻呂はどうしましょうか。忍びを抜けさせ、薬師にしたいと、綾麻呂が懇願したので、許しましたが」 「山部様の懇意になっておるそうだな」 「はい、昔からの付き合いで。もちろん、あのお方が帝になろうとも、我らの事は、一節口外せぬとの誓いを、親子共々しておりますが」 「将来、山部様のため役に立つかもしれん。許そう」
「ですが、何故あの方を帝にとお思いに」 「夢枕に宝の姫尊が立たれて、懇願なされた。知っておろう。我が先祖は山背大兄王の後ろ盾がなくなり、困窮していた時、十分過ぎる厚遇をあの陛下から受けた。そのご恩に報えねばならぬ」 「さようですか。実はあのお方が10才の頃でしたか、この寺にいたペルシャの老僧に気に入られてまして。子供ながらも暴れ馬を鎮めた事があったとき、老僧が『遥カイニシエノ英雄アレクサンドロス大王ノ故事ヲ思イダシマス。和子様、アナタ様ハ、将来コノ国ノ大王ニナル御器量アリト見受マス』といってアレク王の故事を詳しく教えたことが、ありましたなあ。その後間もなく老僧は亡くなりましたが、その時、世話をしている私めに、『我ガ人生最後ノ時ニ、スバラシキ出会イ、ヲシマシタ。山部ノ和子ハ不出世ノ帝王ニナラレルデショウ』と言い残しまして」 「何故、その事、もっと前に教えてくれなかったのだ」 「いや、あの頃は父親、白壁王は傍系中の傍系の皇族の末。あの僧の思い過ごしだと考えていまして。ああ肝心の事、真備からの最後の報酬ですが」と言って砂金の袋を渡した。
「いつもながらご苦労であった。さてと、今度の坂上刈田麻呂からの依頼の蝦夷(えみし)調べを、綾麻呂はうまくできればいいが」 「根気よく、あの地に溶け込んでからの、十年後くらいですかなあ」 「我ながら、気の長いこんな仕事を指図できるなあ、と思うぞよ」 「はは、お頭は気が短こうございますがな」
「ああ、それから、白壁王邸と藤原雄田麻呂(百川)の所に草を入れろ。女がいいかな。気が利いて、気に入られる者をな。それから、山部様の家宰に、あの舅の手代を就けるように、代わりに息子を手代にしてな」 「分かりもうした」老僧は頭を下げた。
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