この吉野から戻って二ヶ月後、体調を崩した大后は、位を孫・軽皇子に譲ることを決意した。八月一日に軽皇子は即位する。文武天皇である。この後、体が回復し、太政天皇(上皇)として、大后は政務を後見したが、数年後には任せた。
大宝元年、大宝律令が完成し、6月に大后は、吉野へ行幸する。 大后は、欄干に寄り添い、夏の避暑地のすがすがしい木々の緑を楽しんでいた。 うたた寝をしだしたので、詩斐が起こす。彼女はもう六十を越えていて、今度の行幸で、隠退するのである。 「陛下、うたた寝はいけませんよ」 「ああ、詩斐か。ちらっと夢を見たの」 「どんな夢を」 「おかしいのよ、父(天智天皇)が軽大王(孝徳天皇)に『猿よ』と呼び捨てに言って、大王が『上様』と父にひれ伏してねえ、それから父が、弟の大友に『三河殿、東海一の弓取り殿よ』と褒めているの、変な夢」 「入鹿さまが遙か未来に転生したと、宝の陛下が言われましたが、御三人が未来に転生されたお姿では」 大后は、はっとし、考え込む。 そして、詩斐にぽつりと言う、 「次の旅は、東国にする」 「これが最後の行幸だと言われたのに、またですか、もう……、臣下らは悲鳴をあげますよ、きっと反対する者がでますよ」 「最後のわがままよ」 「最後の?」 「その後は、旅には出ない。ここ(吉野)にも来ない。体がいうことを聞かぬようになってきているの」 「では、何故、無理をして、そのような遠くへの行幸を?」 「大王(天皇)家の行く末のためよ。大王家が末代まで続くかどうかを左右するのが、東国の者たちの子孫だと思う。その者たちに働きかける」 「働きかける?」詩斐は、思い詰めている大后を見つめていた。
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