大后も後を付いて、蔵王堂に入り、多くの信者らとともに、しばらくは、山伏たちの行を見ていたが、立ち込める人々の息で、気分が悪くなり、外へ出た。外にいた案内役の小僧に、宮へ戻るから。行者さまによろしくと言い、帰りだす。 つづら折りの山道を下りて、小じんまりした山里の村を通るとき、大后は喉の渇きを覚える。 戸から出てきた村の老女に井戸を聞くと、我が家にある水壺を、といい家に誘う。 汲まれた椀の水を飲んで、人心地の大后に、 「陛下さまに仕える女官さま、とお見受けしましたが」 「はい、そうですよ」 恐縮した老女、 「むさくるしい小屋ですが、ゆっくりしてください。柿の葉で包んだ飯がありますが、お食べください」といい、筵端に誘い、柿の葉寿司の元祖を差し出した。 寿司を食べている途中で、大后は、視界が消えていくのに気づく……
平成十五年春、倉蔵は、近鉄吉野駅で、電車から降りていた。あの蘇我入鹿の転生した人物は、定年でテレビ局を辞め、市民講座などでビデオ撮影術の講師などをし、局の嘱託の仕事もあった。 観光の花見客でごったがえす構内を抜けると改札で、部下だった音声ディレクターが待っていた。 「倉さん、こっち!こっち!」 改札をでると部下の横に、中年だが若々しい感じの男がいた。一目で音楽家と感じる。 部下が、紹介する、 「ギターリストの芦屋信次郎さん、ラジオの方のパーソナリティをされています」 挨拶をし、頭を下げたが、倉蔵は相手のことを知らなかった。 それに気づいた部下が、 「芦屋さんは、ギターの名手でねえ、一本のギターを弾いても合奏しているように聴かせるのです。武者修行の海外のコンクールで優勝の経歴も多い方ですよ」 「私を、知らないのは当然ですよ。マイナーな存在ですから」芦屋は謙遜した。 「これはどうも」と芦屋に謝り、部下に。 「急な話で、まごついたよ」
テレビ局ではカメラマンの都合が付かなくなり、この部下だった男が、倉蔵に急に仕事をたのみ、彼は、慌てて電車で取材地を訪れたのである。 大峰寺・蔵王堂前でのコンサートを、この部下が取材提案をしたのだが、 「局は、取材にあまり乗り気でなくてねえ。明日のニュースに取り上げられるかは、倉さんの撮影の力にかかっていますから、頼みますよ」 「音声担当の君と二人だけではねえ。せめてラフ板(日の光を反射させる照明板)を持つ人も欲しいが」 「私のスタッフ三人が、手伝うから大丈夫ですよ」芦屋が横から答えた。 「芦屋さんと、共演の歌手の津田仁のマネージャもいるから四人で……付いているお寺側の世話役の行者さんにも頼めそうだし」と、部下 「津田 仁?その人もマイナーナな方ですか」 「ええ、澄み切ったいい歌声で、根強いファンがいるんですよ。ああ……打ち合わせがてら食事をするので、皆が喫茶店で待っていますから、行きましょう」 芦屋に促されて、外へ出れば、駅前の道の両側には土産物店が立ち並び、花見の観光客でにぎわっている。そこを通り向けて、小じんまりした一軒のレストランに入る。 三つのテーブルに、演奏家やスタッフの七人のほか、端に中年の山伏が一人いて、だみ声で、話している。 「開演の時に、わたしらが、ホラ貝を吹くのを了承してくださり、ありがとうございます。その後は、自由にコンサートを、なさってください。……それから、午後八時には、必ず終えること、くれぐれも守ってください」 「先達さん、大丈夫ですよ。わたしたちもプロですから、時間内に終えますよ」行者の横の、明いてるテーブルに向かいあわせに座った芦屋が、さりげなく言う。 山伏の横に、部下が座り、真向かいに倉蔵が座る形になった。 高校生らしいボーイがきて、注文を訊くとき、倉蔵は、 「柿の葉寿司ってある?一度、食べてみたいけど……」 ボーイは、作れるといい、部下と芦屋に注文を、訊く。 芦屋からカレーの注文を訊き、 「ひょとしたら、芦屋さんですか。僕フアンです。ラジオよく聴いてますよ。今日のコンサート聴きに行くんです」弾むように話す少年に、にこやかに芦屋は礼を言った。 食事が運ばれるまで、皆が雑談していると、部下が倉蔵に話しかけた。 「ここの景色を見て、吉野の歴史シリーズの紀行の特集を、提案するのを、思いつきましてねえ…」 食事が運ばれてきても、食事を取りながらも、取材対象の名所の説明を続ける。 倉蔵は聞き流し、柿の葉寿司を食べ始めた。 ……と、三個めを手にしたら、意識を無くした。
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