持統十一年(六九七)四月、大后は吉野行幸をおこなった。齢五十二で、当時としては老年の域に入った歳である。 即位してから、三十数回、頻繁に吉野へ行っているが、今回は、役行者に会って、確かめたいことから、思い立った旅であった。そして天皇在位中としては、最後の行幸となる。
役小角は、葛城山(金剛山)、箕面山での山岳修行など、諸国をまわりていたが、この頃、吉野山近くで、金剛蔵王権現を感得し、桜の木にその像を刻み、本尊として堂を建てて、修行を続けていた。 吉野宮に着くや、役行者を呼ぶよう、すぐさま舎人を蔵王堂に行かせた。が、行者の返事は、蔵王堂での千日修行をしている途中のため、参内できない、とのことであった。 数日後の早朝、宮の下働き姿の中年の女人が、荷舟に乗り込み、吉野川を下っていった。 竿を操りながら、船頭がいう、 「お前さん、行者さまの処へ、どんな、お使いかね」 「陛下からのお手紙を……」 「ああ国家安護のお経を唱えてもらうのだね。それにしても、お前さんと、どこかで会わなかったかね?」 「ああ、それはね、陛下に、顔立ちがよく似ているのよ。影武者といって、陛下に何事か悪いことが起こりそうな時、わたしが身代わりになるために雇われているの」 「ああなるほどな。遠くから拝顔した陛下に、よく似ておられる」 「でしょう」大后は、にっこりと、とぼけた。 「だが、わしゃ、陛下よりお前さんの方が好きだなあ」瀬に竿を押しながら、老人は言う。 「なぜ?」 「そりゃ、近づきがたい威厳がある陛下より、気さくで美しいからさ」 「じいさま、ありがとう」大后は満身の笑みをたたえた。 やがて、吉野山への船着き場へつくと、舟頭が詳しい道順を教え、大后は舟を降りる。 詣る人々に、紛れて山道を一刻半(三時間)息を凝らし登っていくと、道場らしい小屋群がある。 と、葛織の粗末な修行衣の山伏が、一人一人に、にこやかに声を掛けている。付いている弟子らしき者たちは、その山伏の日ごろに無い行動を、不思議そうに見ていた。
役小角である。顔は、骸骨に、日に焼けた薄い皮をかぶした容貌だが、昔のおもかげがある。 大后が近づくと、小声で 「これは、これは、お忍びでの行幸とは、おそれいります」 「行者どの、どうして?」 「なにやら、貴き方が来られる気配を感じまして。それにしても、昔の拝顔から三十数年たちましたなあ。貫録もおつきになられ……。ああ、あと四半時(三十分)後に読経を始めますが、それまでにご用件を聞きましょうか。むさ苦しい小屋ですが、あちらで」
大后は、入鹿の未来に転生した人物からの、これまでの啓示の話を詳しく話し、 「行者どの。初めて会ったとき、そなたは葛のような物をくれたなあ。あれで、不思議な事が、始まったのではないか。もう一度、葛の食い物を作ってもらえぬか。わたしは、もう一度だけでもいいから、入鹿さまから未来の啓示を得たいのじゃ」
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