壬申の乱の翌年、二月に即位した天武帝は、伊勢神宮へ斎王を派遣しょうと思い立つが、人選に悩んだ。皇族で、夫のいない女性から選ぶのである。 相談を受けた皇后・讃良は、簡単に答える、 「皆を集めて、くじ引きで決めたら。それなら、恨みっこなし、でいいのでは」
さっそく、皇族の女性たちが集められ、賢所でくじ引きが行われ、当選が大伯、で、補欠二人が、十市皇女と阿閇(天智の娘で、持統には血の濃い異母妹・後の元明天皇)となる。
もっとも可愛がっている姪に、役が当たったことで、皇后は後悔したが、今更変えることも出来ない。が、大伯は、やる気満々なのが、救いであった。 潔斎の宮での修行を終え、天武三年秋に大伯は伊勢へ旅立った。 当初は、五年位で斎王を交代させようと、天武は思い、補欠に当たった十市と阿閇を、翌年、春に神宮への奉納品を持たせ、伊勢へ、見学に行かせた。
天武は、伊勢から戻った二人を、すぐさま、報告に来させた。皇后と子の皇子らも控えている。 「旅の疲れも取れぬのに、呼んで済まぬが、……大伯(おおく)の様子はどうじゃった?」 大伯は元気で、斎王の仕事に満足していると、十市は答えた。 「心配していたが、あの役目は合っていたかたかもしれぬ。……で道中で、何か出来事はなかったか」 「別に、何もありませぬ」そっけなく答える、十市に、天武、内心やり切れない思いをする。 父や讃良や弟らに会う度、冷ややかな視線を投げかけ、話し方も、他人と話しているように接するのである。無理もない、最愛の主人を殺し、自分の子の即位の夢をうち砕いたのは、実の父親らである。天武たちは、はれ物に触るように、十市をそっとしていたのであるが、くじ引きの補欠に当たったので、やむを得ず、伊勢へ使わしたのである。 この場の雰囲気を変えようとしたのか、十市の横の阿閉・十三歳が、話し出す、 「大伯さまには、あちらこちらを案内していただきました。その途中、途中で、わたしに、ことづけをいわれました。『ここの景色を楽しんで、和歌作りに励んでいます、いい和歌が出来たら、皆に知らせます』と、それから、大津の皇子さまに『わたしが、いなくても、寂しがらず、叔母さまがたに甘えなさい』ですって、あら、わたしも叔母だわ。甘えられてもねえ……」二歳年下の大津は、赤面して下をむき、皆が笑った。 「……、それから、草壁の皇子には、『そろそろ、母親離れしなさいよ』ですって」 次々に家族等へのことづけを言い、みなが、朗らかに笑う。 それが終わると 「伊勢へ行く途中で、お付きの吹黄刀自(ふぶきのとじ・ふぶき小母さん)が、名所の波多の巌の前で、私と十市さまの顔を見て言うのですよ『お二人ともお若くって良いですねえ。わたしなぞこの前、目尻にカラスの足跡を見つけて、嘆きました』で、巌を眺めて、刀自が、歌いましたの」
阿閉は、可愛げに、 『♪ 川の上(へ)の つゆ岩群(いわむら)に 草生(む)さず 常にもがもな 常乙女(とこおとめ)にて♪』
その場の者は微笑んだ。が、高市皇子・二十一歳は不安顔である。
「でも、わたしは、何も生えない岩なんて、いや! すばらしい恋をして、やさしくしてくれる人の妻になり、可愛い子を産んで育てて、シワシワのお婆さんになって、亡くなるとき、何十人かの子や孫に囲まれて、私は満足でした、というのが夢なのですけど」 「ほほう」と天武、感心する。 「だから、天照大神さまに仕えるより、恋した人に仕えたいの。でも、わたしの運命は、天皇(てんのう)さまの意向で決まるでしょう。敗残の身ですから、しかたがありませんけど」 一瞬、天武は、「天皇」という言葉にまごついた。讃良が勧めた称号だが、皆は訓読みで、今まで通り「スメラミコト」と言っていたのである。
座が白ける。 天武が、考え込み、話し出す、 「阿閉よ、わしは、生きるか殺されるかの成り行きで、頼もしい婿、伊賀(大友)と争う羽目になったが、他の兄の子たちは大事にしているつもりで、強引にそなたたちを扱ったつもりはなかったが……これからは改めよう」 それとなく、十市にも言い聞かせているのである。
「それから陛下、生き帰りで聞いた人々の話しだと、乱で出世した者らの横暴で困っているそうです。何らかの命令をなされたら良いか、と思います。 それから……」、 おしゃべりが続きだし、たまりかねた、高市、 「阿閉、お喋りが過ぎるぞ、朝議を始めるから、早々に退出しなさい」
二人が退出した後、朝議が始まった。いや、朝議ではなく家族会議である。 帝が、横の皇后を見て、口をきる、 「ははは、おもしろい娘じゃ。どこか、お前に、にているなあ」 高市が、 「申し訳ありませぬ。御名部(おなべ皇女・阿閉の実姉で高市の妃)にあの妹を躾させます」 「よいよい、あのままがいい。将来、誰かの……」 皇后が、息子十二歳に 「草壁、あの娘どう思う」 「率直で、いい子ですねえ」 「じゃあ妃に迎えたら」 「それはいい」天武が同意する。 「あの子は、命令で妃にされるのをいやがると思いますが」と草壁、 「そうらしいわねえ。じゃあ草壁、恋文のやり取りを始めなさいよ」 「恋文?」 「和歌に決まっているでしょ」 「和歌ねえ」 困惑顔の草壁を、横目に見て、大津が話し出す、 「父上、叔母上、私は山辺(天智の娘、生母の父は蘇我赤兄)に恋文を始めたいのですが」 「山辺……ああ、赤兄の孫娘か」 「流刑になった赤兄の赦免を、懇願しに来まして、……」 「惚れたか、いいだろう。だが赦免は」 「わかっております。世間へのけじめを示すためでしょう。そのことを説いて、赤兄との文のやり取りは、出来るようにする、と言いましたが」 「いいだろう、係りの者に言っておけ」
すると、高市が、 「父上、私も恋文を……」 「あの様子では、だめだろう。日にちがかかるが、待つしかないなあ」 きょとんとして、草壁、 「兄上、誰に?」 「いや、別に……。ああ、伊勢の楽人らが、催馬楽という踊りを、西門の庭で披露しまするため、待っています」
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