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龍の落涙(元和二年 伊達政宗の風聞騒動) 作者:GART

第7回   龍と成実の悶絶
          
           四 
           
 鶏鳴(けいめい)が聞こえる前に政宗は厠に立つ。

 城内は夏霧が発生し視界は良くない。手水して朝膳に坐る。
 昨夜は眠れず充血した眼窩はいくばくか窪んで見え、箸は手にしたが何も手をつけず置く。
 
 陽が高くなると霧は消えたが政宗の心は晴れない。
「いっそ江戸に参り謝るか」
 政宗は宗矩らが去っても如何に弁解するか悩んでいた。
 
 日は西の空に傾いた頃、同じように傾いた本丸へと続く廊下を政宗が小姓と共に歩く、前に成実(しげざね)が不機嫌そうに立ちはだかる。

 成実は政宗を睨みつけるが政宗は顔をそむけ通り過ぎようとしたが成実は前を塞ぐ。
「殿の立ち振る舞い、芝居だと知っておりますが、ちとやり過ぎではござらぬか」
 成実は上目使いで政宗の顔色を伺う。

 政宗も観念し陰鬱な夕食を私館にて成実と摂る事にした。
 政宗は何も答えず膳の茄子(なす)を口にほおばり銀舎利を掻き込んで食べる。

「殿、支倉の件はまずうござった。もはや言い逃れは出来ませぬ。支倉が帰れば口を割りましょうぞ。ここは腹を決めて」
「よせ、罠にはまるでない。誰が聞いてるか判らぬ」

「殿」
 成実は膝行し、政宗の右手を押さえつける。
 政宗は払い除けようとした際に膳をひっくり返した。

「何をするのだ」
 政宗は御飯粒を成実に飛ばす勢いで怒鳴り上げる。
「殿の返答いかんでは、この成実もはや許さぬ」
 

 成実は政宗の胸倉を掴む。
「なんぞ、この手は」
 政宗の眼窩が大きく見開く。

「いつまで生き恥をさらす所存か」
「何が生き恥ぞ」
 冷静になろうとした政宗も思わず叫んでしまった。

 動揺すれば、何者かが流した噂が本当になってしまう。
「幕府の顔色だけを伺い、城の修繕もせず贈り物で媚を売る、あさましい男に嫌気がさしたぞ」
 
 成実は掴んだ胸倉を引き寄せてまくしたてる。
 怒った政宗が成実の顔を殴る。

「まだ怒るだけマシか政宗。返答次第では家臣を辞める」
 成実は唇から血を滲ま(にじ)せて諌言する。

「御主(おぬし)はわしの腹が読めのか。今は大事な時じゃ。世間はわしが謀反すると思っている。こんな時は誤解されぬよう勤めるべきじゃろうが」
「それは分かるが限度があるぞ」

「よく聞け。今動けば噂が真実だと思われる。六十二万石の家臣団の生活もある。ここは耐え忍ぶべきだ。それが分からぬか」
「分からぬ」
 
 涙浮かべる成実が頭突きを喰らわす。
 政宗は再び成実を殴る。
 成実は怒りに唇を震わせ何か喚くと政宗を押し倒し二人は転げまわって殴りあった。

 しばらくして二人の啜り泣きが襖からこぼれる。
 やがて二人は静かに立ち上がり、各自の寝床に疲弊した肉体を引きずって滑り込ませた。

 青葉城の夜空には一輪の三日月が出た。

 先行きを暗ずるかのように風が吹き、乱れ雲に月が隠れて行く。
 このまま一歩踏み出すには、あまりにも暗く危ない。
 それでもわれ等は先を進まなければ何も始らない。

 複雑に見える現象でも実は単純な事象の絡み合いに過ぎない。
 日が昇り沈み又昇る如く月は満ち、やがて欠け又満ちる。
 人の宿命など決まってなどいない。

 同じ事象のようで良く見れば違っている。
「見よ、青き月が雲に隠れば明日は雨になろう」
 事象を観察し対応を間違えなければ恐るに足りぬ。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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