七月十一日
内藤右衛門外記と柳生又右衛門宗矩が上使として仙台に来て、松平忠輝を飛騨配流に処せた報告しに来た。
先月の軍役令は明らかに忠輝を意識したものである。 幕命に服しない者は、たとえ弟たりとも統制を加える、という見せしめであった。
「柳生殿、忠輝殿の報告の為に、わざわざ仙台まで足を運んで頂き大義でござった。かたじけない」 成実が労い(ねぎら)を掛ける。
「この度(たび)の忠輝公の件、伊達殿の心痛をお察します」 柳生宗矩が頭を下げる。成実はうむ、と頷く。
政宗は我関せずと天井を見上げている。 心なしか酒が残っているか鼻が赤く船上にいるかの如く左右に揺れている。 成実は政宗が口を挟まないので、 「長旅の疲れを、今夜は御ゆっくりとおくつろぎ下され、仙台の山の幸、海の幸を馳走致そう」 成実の挨拶に鈴木元信も言葉を添える。
「そうそう金華山沖で取れた鯨、吉次の蒲鉾それに仙台味噌の和え(あ)もので酒が飲めれば最高でござりますな」 「元信、良い事を申す。それに広瀬川を遡る鮭。いや、岩出山の納豆を忘れてはならぬ。あれは仙台の名物じゃった」
成実の相槌に元信も思わず笑い出す。 「あいや、その前にお尋ねしたい義がございます」
「なんでござるか」 と成実は意外な面持ちで宗矩を見る。 「片倉小十郎に追波湾一帯を任せ水軍の演習に余念がないとか聞き及びますが真偽のほどは如何(いか)に」
「いきなり不躾(ぶしつけ)な詰問でござるな」 成実は政宗や鈴木元信の顔を見て眉間に皺を寄せる。 「詰問ではなく問うているだけでござります」 宗矩は成実と政宗を交互に見比べて元信の顔色を読む。 「柳生殿、この特使はあくまで松平忠輝公の配流報告の義で参ったのでござろうな」 元信がムッとした顔色で返答する。
「又、瑞巌寺は壮大な堀や塀を備えており城と言える物を築城したとか。武家諸法度で一国一城を申し付けている昨今、これは法令違反ではござりませぬか」 内藤右衛門外記が口を挟む。
「なに!瑞巌寺を城だと難癖つけるのか!」 成実が思わず叫んでしまった。
成実は横目で政宗を睨むが舟のように静かに揺れながら扇子を呑気に仰いでいるだけ。 柳生らの特使は忠輝裁きの事後だけかと思っていたが、恐れていた風聞の詰問が始り成実は言葉に詰った。
「宗則殿、言いがかりは失敬でござるぞ。御主は見て来て詮議している所存でござろうな」 「成実殿、下曽根三十朗という幕府吟味役の報告では戦に向けてのカラクリが備えられているとありました、また仙台の水夫(かこ)は最近になって瀬戸内海の水軍ゆかりの若者四十七人も雇い、伊達水軍を率いる所存かとお見受け致しますが」
「ありえん。まず寺を城に疑うは鳩を鷹に見間違え、寺建築の材料運搬を頼んだ水夫を水軍創設の母体とする疑念、笑止千万。場合によっては幕府に抗議しますぞ」 成実は激昂し続ける。
「伊達は鎌倉の世から、会津伊達郡の地頭。室町戦国と出羽米沢城と四百年、海に接せず今日に至った。伊達が養いたる水夫は太閤殿下の国替えでようやく海に面した仙台の地に参った。当主として屈強な海を知る者を雇うのは当然ではござらぬか」 成実の弁明で宗矩も頷く。されど芦名を破って奥州の覇者となった時に千代は所領している。明らかに嘘であったが言葉の勢いで正論に聞こえた。 「なるほど。もっともな返答でござる」
「氷解してくれればわれ等は構わぬ」 成実も笑みを浮かべ胸を撫で下す。 政宗を見れば、やや両肩をがっくりと落して左手を肱宛にもたれかけ深い溜息をつく。
「成実、食事はまだか」 詰問の間、扇子を仰ぐ政宗が語った言葉はそれだけであった。 ある意味で落ち着いた様子は、宗矩らに誤解を解く余裕を与える。
わざとなら大した度胸である、と成実は眉をピクピク動かせる。 小姓五人が慎重に膳を運んで来る。 小姓の一人が内藤外記の膳をふらついて音を鳴らしてしまった・・・・。
・・・一瞬にして座が静まり返った。 和やかに見える城内は固唾を呑んで様子を見守っているのが判る。 江戸では囃し立てて伊達と徳川の喧嘩を待ち望む風説が耐えないが、仙台では平穏無事を誰しも望んでいる。
小姓だけでなく民、百姓すら安泰を切望しているのだから手が震えるのも仕方あるまい。 大広間の緊迫した空気は襖隔てた家臣団に伝わり、気が早い者は鞘に手をかけるが、 他の者が手で諌める。 さらに異様な空気は伝播し城内の下々(しもじも)に戦慄が駆け巡る。 その悪雲は、瞬く間に城下を覆い尽くしてしまった。畑を耕す民も青葉山を見上げる。全ての民の心が不安という二文字に震えた瞬間である。
政宗の前に膳が運ばれ、旨く場をしのいだ安堵で明るくなる。 政宗は注がれた杯を一気に飲み、宗矩にも飲めと催促するが、
「馳走になる前に本題にはいりたい義があります」 宗矩は唇を万一文字に閉じ政宗の返答を待つ。 「まだ問われる事がござるのか」
成実は溜息をつく。 「伊達殿は伊達丸にて支倉常長と宣教師ソテロさらにはイスパニアの太平洋司令官ビスカイノをローマに遣わし、イスパニア王フェリッペ三世宛てにソテロに書かせた書簡によって何かを申し出たと聞きましたが」 成実と元信は眼窩を大きく見開いて驚愕する。政宗は我関せず手酌にて飲み続け変った様子はない。 「何かとは何でござろう」
「これは平戸に参るイスパニアの使者から聞いた話でござるが、フェリッペ三世宛てのソテロ書簡は、王の側近であり宰相レルマ公が読み王に、奥州王伊達政宗と結び日本の覇権を目論見たいと申し出たとか」 宗矩は上目遣いで政宗や成実を見上げる。 成実は高笑いする。 「本題と申すからには、かなり真剣な問いかと身構えれば、余興としては最高でござるな。我が殿がイスパニア王と交易をしたいと願うのはローマ派遣の主題でござろう」
「交易ではござらぬ。あきらかに密約ではないか、と問うているのでござる」 「密約?。聞き捨てならぬ。その書簡を見せて下され」 成実は右手を突き出して渡してという仕草をする。 宗矩は眼を伏せ小さな声で、 「王の手中にあり、ありませぬ」 「なら証拠もなく詮議(せんぎ)なさるのか」
「イスパニア使者からの話を聞いて問うているのでござるわ」 「これは、しかり。確証もなく大それた謀反の問いをなさるとは。まさか将軍の意向ではござるまいな」
「秀忠公ではなく側近らが口々に不安を申し出ておりまする」 「まさか伊達謀反の兆しあり、討つべしと申しておるのではあるまいな」 成実のかま掛けに宗矩は頷く。
「殿、なんか申して下され。幕府は有らぬ疑いを殿にかけておりまするぞ」 成実がそう促すので政宗も杯を置き、 「宗矩殿、わしが土地を耕し豊穣を祈り、祈願のための寺を作るために水夫を雇う事、これ全て藩主としての当然の勤めではござらぬか」
政宗は鼻を赤くし左右に揺らしながら、静かに語る。 「それにだ。今回のイスパニアとの交易を望んだのは他でもない神君家康公じゃ。一外様の気まぐれではない」
「ごもっともな答弁に恐縮します」 宗矩が納得した傍で内藤外記が口を挟む。
「いかにも交易は家康公の本意ではござったが、仙台内の野放し状態の切支丹取締りは如何申し開きするおつもりか。これも本意とでも、おっしゃるか」 「外記殿、野放しとは失敬な。仙台は広ろうござる。取締りが思うようにならぬだけじゃ」
と成実が弁解する。すかさず外記が釘を刺す。 「話を蒸し返しますが、イスパニア王に宛てたソテロ書簡は我ら吟味出来かねますが、支倉なる者が帰国すれば本人に問いただせば分かる事でござる」 外記の言葉で政宗は眉をひそめる。 「せっかくの膳が冷える。その義は又にしては如何かの」 待ち斬れぬ政宗は一人杯が進む。 柳生ら特使を四日歓待した後、出立(しゅったつ)させたが、人数が江戸出立より二名減った、という報を黒脛巾組の孫六(まごろく)から聞いた。
「全て無為に流れてゆくの」
青葉城本丸から見る松島は氷雨に濡れていた。 昨年秋から燻った噂の火種は、ここに来て何か引火した感がある。
松島から青葉山と霧がゆっくり立ち込め、もはや舞霧城(まいむじょう)と言える視界の悪さである。
妙な息苦しさ伊達の明日を判らない物にしてゆく。 風が吹き、ゆっくりと本丸の大広間を真綿で締めるように立ち込める。
せっかくの煌びやかな桃山建築が大なしである。 酒宴が終わり一人になった政宗の悲しみは深かった。
五郎八との再会はかなり難儀が付き纏うはず、彼女は幕府の管理下にある隅田川にある元・忠輝屋敷から周囲の視線を避けるように日が暮れて駕籠に乗り伊達下屋敷に移動した。
しばらく世間から、そっとして貰うために時が必要であり心が落ち着くまでしばらく滞在させる事にした。
さらに宗矩ら上使は忠輝始末の報と言いながら、伊達風説の詰問に参じた。 いつかは消えると信じた謀反話だが、江戸屋敷の妻子には「かくなる時、江戸を捨てる」という悲痛な密書を送った。 七月二十七日。 仙台城は地震に襲われ本丸や石垣一部が損壊した。運がない時は続くようである。
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