政宗が呟(つぶや)く傍ら小姓が平伏する。 「いかにした」
「今井宗薫様が御内々にお会いしたいと参られました」 「ついに宗薫が来たか」 政宗は立ち上がる。 今井宗薫は茶家・宗久の息子で、豊臣秀吉の御伽話衆で後に利休に替わり茶頭になる。 大名私婚禁止令を無視して徳川忠輝と五郎八姫との挙式を勧め、石田光成から高野山に謹慎させられ関が原以降は家康の茶頭として君臨し堺近郊にて千三百石を給する徳川旗本である。
系譜はある意味で政宗と同じく、秀吉・家康と権力移行にともない世渡り上手に生き延びた男である。
「門を開けよ」 政宗自らが手綱引いて朝靄の中、本多正純屋敷に現れた。
門扉が開き雇い侍が顔を覗かせると、 「伊達藤原朝臣陸奥守政宗が参上仕った。持参したるは鎌倉沖でとれた鰹でござる。見舞い品を是非受領(じゅりょう)頂きたい」 と向上し政宗が乗る馬の口取りを配下の下男に任せると下馬し一礼した。 侍は当屋敷では地位が高い方なのであろう。 他の侍が政宗を見て平伏している間に奥に消えて暫くして現れる。 江戸庶民には「初がつを銭と芥子(からし)で二度落涙(らくるい)」とか「鎌倉の波に早稲田(芥子)の付け合わせ」という句があるくらい鰹が好きである。 しかも武士には縁起良いカツオという音韻と伊達家紋に似た紫の縞模様は他に比類出来ない魅力ある食材である。 政宗は本多正純屋敷に訪れ中元する。 本多親子には比較的に成実が受け良い。 だが大名親睦は合戦の早駆け並みの価値があり豪語している手前、全部任せるわけにもいかない。
本多正信はワイロを受け取らない清品と評され内府から信頼されていた。 なにせ生涯二万二千石だけで遠慮した。 息子の正純も同様である。
また父が家康の後を追うかの如く体調悪く伏せている。 秀忠政権中枢に深く切り込む為には是非、受け取ってもらわなければならない。
しかし今までは贈り物は受取らなかった。 政宗は、 「正信殿が容態悪いと聞き政宗自(みずか)ら持参仕った。躊躇(ちゅうちょ)したら味が落ちる」 と持ちかけて、ようやく実現した。
「よし」 半(なか)ば強引に受け取らせ数刻後に正純から礼状が届いたが以後、気を回さぬよう願うとあった。
「何はともあれ一(ひと)安心」
五月朔日(つきたちひ)、秀忠から成実に仙台下国の許しが出た。
江戸を発駕(はつが)するにあたって小電伝馬町の牢屋に入れられた宣教師カタリーナを国外に出す事で救助に成功し、気をよくした政宗は平戸のイギリス・オランダ商館が持つ香辛料や樟脳を全て買い付けた。 この行為はそれでなくても伊達謀叛説に日をつけた格好になってしまった。
噂は重要度と、あいまいさが絡む時、生まれる。 奥州街道を北に政宗一向は、家康から外様で唯一許された道中火縄の種火をつけ、小雨の中ゆっくり歩(あゆ)む。 小山宿に差し掛かった所で江戸からの馬蹄(ばてい)が悲しく響いた。 よほど焦って来たのか腰の所まで泥が散っている。 五月は梅雨なのだ。
「花井主水(もんど)正(のしょう)、大坂夏の陣の遅参理由を他の家臣の責任にする工作が露見」 越後高田藩の内紛が暴露された。
政宗が後方の忠輝勢に二里遅れ気味、と手紙を送ったが花井が揉みつぶし主君に届かなかった。 しかも花井はそれを派閥争いしていた安西右馬丞のせいになすりつけた。
その工作まで露見したというのである。 「そうか相い分かった」 銀雫がつたう黒い駕籠の中で政宗は悔し涙に浸った。 会津信夫庄に入った時、早馬の続報が舞い込んだ。
花井主水と安西は詮議のため預かりの身となった。広瀬川を渡る頃には、秀忠の裁決は下り花井は切腹、安西は打ち首となる報(むくい)を聞いた。 「もう、たくさんだ」 政宗は追い討ちを掛ける凶報に駕籠から顔を見せず落胆した。 黒塗りの駕籠につたう氷雨は道を泥濘(ぬかるみ)にし、いつしか霧へと変ってゆく。 「青葉山に霧がかかっているの」 小雨がまだ降り続きながら周囲に霧が発生し、青葉山の中腹から上が見えない。 五月二十一日、無事に仙台に着いた報告と許可の御礼を進物したが、この日は秀忠から返書が届いた。
六月、秀忠は大坂夏の陣と同じ内容をもつ軍役規定(元和軍役令)をあらためて制定した。 家康死亡にともない軍役統帥権が将軍にある事を諸大名にはっきりと示した。
七月六日、忠輝改易が決まったようだ。
それに伴い高田城に幕府から監使が到着する。 本丸は酒井左衛門尉家次、二の丸は牧野駿河守忠成・堀丹後守直寄、三の丸は真田伊豆守信之・仙石兵部大輔忠政という物々しい一団で、厳戒態勢を敷いた。
高札が立ち喧嘩口論は双方斬罪、武具は城に置き藩士居宅は在番に引き渡し押買(おしばい)狼藉(ろうぜき)、竹木(たけき)伐採(ばっさい)、勝手な往来も禁じた。
忠輝の屋敷引渡しの様子は哀れで聞くに耐えず、「波およぎ名刀」「相國寺茶入」を土井利勝が捥ぎ取るように預かった、と聞く。 それを苦々しく政宗は酒を飲みながら聞き捨てた。
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