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龍の落涙(元和二年 伊達政宗の風聞騒動) 作者:GART

第2回   政宗謀反と噂が立てば
         二 

 二月五日、家康「不例(ふれい)の由」という意外な注進が仙台に届いた。正月過ぎた一月廿十一日、家康は駿府藤枝近くの田中城近くで鷹狩し、その夜に鯛の天麩羅を食べたのが原因で腹痛を起こしたというのだ。
 
 もはや家康影武者論議は無用である。
 忠輝と合力して転覆など絵空事であり、言わば物質欲が満たされない野獣の見積もりの段階であり、むしろ後見人として幕府のご意見番としての地位を確保したいと願っていた。
 
 その誤解を解くべく正純と懇意になってゆく。
 仙台を経ち宇都宮に到着した事を成実から正純に逐電させる。
 正純はこれより江戸にはいるが良かろうと返書し、江戸に入る。
 
 江戸の庶民も勝手なもので将軍がいない江戸に外様伊達が外桜田(日比谷)屋敷に入城しただけで幕府転覆の動きかと囃し立てた。
 事情知らない庶民の憶測に過ぎない。

「政宗、あと数日遅ければ危なかったの」
 と平伏している白装束の政宗に豊臣秀吉は扇子を軽くあてた事がある。
「何が遅参じゃ恩着せがましい」
 政宗は述懐する度に怒りが込み上げる。
 
 昔から政宗には黒い風説が霧のように沸く過去がある。
 太閤秀吉殿下による小田原遅参の時もそうである。
 秀吉は徳川らの大名三十万を引き連れて北条氏を包囲し奥州の大名にも降参するように御触れを出したのだ。

「伊達より後方の最上や相馬は参陣していないのにお咎めなし。それで遅参とは何ぞや。まして浅野長政に至っては言語道断。あの時点で百十四万石あったのに、ほぼ半分にされた。なのに仲介してやったと良くほざくな」
 
 恩義背がましい太閤と長政の言葉は厭味にしかとれない。
「我らが所領は一本松で父を犠牲にし、鬼庭左月の奮闘で何度も乗り切った苦労の結晶。それを半分にするだと」
 
 葛西一揆扇動疑惑の際には、政宗の祐筆・曾根四郎助が、なんと政敵の蒲生陣営に鶺鴒花押入りの密書を持参して逃げ込んだ。  
「あの裏切り者め。所領半分なら皆半分すべきだが、そうはいかぬわ。働く者をそのまま半分には出来ぬ。ならば別の所で削るしかあるまいが」
 
 この危機は小田原参陣の際に懇意にしてくれた秀吉の祐筆・和久宗是と是安親子が太閤の判断を変えさせた。
「確かに宗是が言うように、これまで届いた書状には花押に微細の細工が施されているの」
 
 秀吉は過去の書状を両手に広げて見比べ感嘆する。
「政宗の花押である鶺鴒の眼には針の穴をあけておりまする」
 政宗はそう叫ぶと同時に、石田三成が異議を申し立てた。

「黙れ三成」
 秀吉の恫喝で解決した。

 彼ら親子して政宗に好意的な文面解釈してくれたので大阪落城後、幕府に許しを請うて和久を伊達の祐筆として取り立てるのは、この経緯からだ。
 危機に瀕して救ってくれた敵の祐筆家ほど信頼できる者いない。

 それ以外は直筆にて書状をしたためる癖がついた。妻子にはむろん直筆の手紙をマメに送りつけている。
「殿、もうすぐ松平屋敷でございます」
 
 黒塗りの駕籠に乗る政宗はそう言われて我に返った。
 隅田川を渡り松平忠輝屋敷にて五郎八に会い軽率な振る舞いなきように戒めた。
 いずれ忠輝の耳にも家康の病状がはいるであろう。
 その際に深谷を飛び出す事があれば今までの謹慎が水の泡に喫してしまう。

「如何した?」
 と、政宗も気遣うが彼女は口を効かない。

 よほど忠輝を愛していたと思うし、それを無理に引離そうとする父を恨むであろう。
「ゼウス・マリア様は自殺や離縁をお許しになりませぬ」
「田分けた事を申すな」
「たとえ身は二つに裂く事が出来ても、心は裂く事はできません。何卒お許しを」
 
 政宗は膝行し五郎八の両肩を強く抱くが彼女は顔を横に振る。
「父として情けないお願いをしているのは重々承知している。この父も悔しいのだ。だがここで滅んで何もならん。いいな五郎八、心強く生きるのだ」
 
 父として、これほど惨めな思いを強いねばならぬのも辛い。



 外桜田の伊達屋敷にて正妻愛姫が世間を憚るような上目使いで応対した時は涙が出てきた。

「わしはこれより駿府にはいるが、皆心して平素と変わりなく振舞え」
 愛姫は静かに平伏した。
「どうした何を畏まっている」

「いえ。何か江戸市中が慌(あわただ)しいので」
「按(あん)ずるな。わしは将軍様にも気に入られている。もはや泰平の世に戦は有得ぬ」
「されど殿が幕府を」
 政宗は顔を横に振る。

「巷の風説に一喜一憂するでない。世間はわしと将軍家との懇意を知らぬ。幕府譜代でも伊達ほどの懇意の仲はない。安心せよ」
 政宗はあえて友好関係を強調し、江戸を経ち相模(さがみ)に入る。

 既に冬の陣の論功で嫡男秀宗は伊予宇和島十万石の大名として独立している。
 伊達中屋敷にいる側室、猫御前にも顔を合わし万が一に武家として恥じぬ行動を言い含めながら按ずる事なきを告げる。
 
 昨年九月二十一日夜、伊達屋敷は長門侍従秀就宅出火の延焼で少し焼けた。小十郎景綱は臥した病の体で反対したが、取り壊して新しく建直すため鈴木和泉を江戸に派遣した。
 
 再建に経費がかかるのなら、財政面に明るい鈴木和泉を使って幕府に借りれば良いと重臣たちを説得させるためである。。
 それもこれも幕府を安心させるためである。

 伊達に軍敷金は必要なく住まいに借金してでも派手に回すのだと。
「内府様から下賜された屋敷である。贅をつくして建直すのが伊達の作法である」
 と。
 
 全ての大名に参勤交代の義務を負わせたのは元和二年から十九年後である。
 江戸屋敷に妻子を置くのは、体裁の良い人質ではあるが、政宗の最初の屋敷は家康から賜った。
 その一方で、秀忠と政宗は囲碁をしながら江戸城の増築を話し合った。
 
 政宗の腕は二段で秀忠は初段。
「それがしが御茶ノ水の堀を承る」
 政宗が囲碁対峙で秀忠の弱い箇所に黒を置きつつ、そう語った。
 
 これだけの出費を背負っても先の風聞である事を弁明したい。
 また幕府のイスパニア重視にも一役買っている。
 伊達丸のイスパニア渡航し銀採掘法を手に入れる事に協力するという話もした。

 伊達の金で幕府要人も乗せて技術導入交渉支援するというのだ。それでも火のない煙は周囲を覆い始める。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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