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龍の落涙(元和二年 伊達政宗の風聞騒動) 作者:GART

第10回   袞龍(こんりゅう)の袖
             五

 ここ数日、丑三時の評定は明るかった。
 通称『伊達丸』出帆のお礼と申して幕府のお歴々に若黄鷹(雌鷹)三連、鮎鮨二桶を贈呈した。

江戸表の様子と支倉からの連絡待ちが心の支えになっていたのは間違いない。
いくら風説あれど中元を受取るのは脈がある。

江戸では天海という僧の家康大権現が通り日光東照宮の造営に、桔梗の家紋を羽織って見守り、口憚らぬ者は天海が比叡山の僧侶で桔梗の家紋はおかしいと経歴の騙りを囃し立てている。

本人は足利の流れとあり、その通りなら三横引きのはず。意外なのは家康が天海を一目観た直後に徳川の相談役に抜擢した事。秀忠の急務は神君家康を日光に祀る事のように見えた。
 
だが政宗の表情は硬く一夜にして老け込んだ。
「殿どうされた気乗りせぬ様子じゃが」
「日中、支倉から手紙が届いたのじゃが」
 
政宗は支倉が病に臥した事を漏らした。
平戸に届いた書簡が伊達丸と入れ違いに仙台に着信したわけである。

さらに追い討ちをかけるが如く幕府の六十四州キリシタン禁令と渡航禁令、貿易港は長崎と平戸の二港に限定と堺から黒潮に乗って出帆した翌日に発布されたのが届いたのだ。

起死回生の伊達丸が、出帆した翌日の日付で封殺されたのは偶然ではなかろう。
成実も悲嘆にくれた顔になる。
「殿、この数日は糠喜(ぬかよろこ)びでござったな」
 
小十郎も成実の涙を堪(こら)え震える声を聞いて落胆する。
成実は思わず政宗の袖を掴む。掴んだ手の甲に涙がこぼれる。
「殿、諦めなされ」
 
政宗は嫌だとばかり成実を睨む。
大きく見開いた左眼窩は怒りに震えている。

「儂(わし)は徳川の見識を信ずる。いやしくも神君大権現家康公は、わしを副将軍として幕府の政に協力せよとの仰せつかった。秀忠の代代わりぐらいで急変するとは思えん」
 
小十郎が身を乗り出す。
「殿、気を大切に。心中察しますに耐えがたきを耐え袞龍(こんりゅう)の袖にすがれば、伊達の謀叛の誤解など解けると存じます」

「黙れ小十郎、殿を骨抜きにしたのはお主だな。この期に及んで信義とは片腹痛いわい」
成実は深い溜息をついて眼を閉じる。

政宗は寡黙になる。
入れ違いの常長の書状、幕府のキリシタン禁令、渡航禁止令と政宗の胸中は不安が駆け巡った。

また藩内の柳生も再び動き出すやもしれぬ。
娘の五郎八には無理を言って離縁させたが、キリシタン信仰まで取り上げるのは酷というもの。

しかし領内で宣教師が布教活動していると逐電されれば一大事。
後世に残る弾圧を行わなければならぬと言い聞かせていた。
「五郎八らの怨嗟の声が聞こえるわい」
 
政宗が反芻(はんすう)中、眉間の縦皺が深く暗い。
領内のバテレン弾圧による伊達家への怨嗟の声が地の底から鳴り響く中で、政宗・成実・小十郎は前後策を練り続ける。

政宗は睡眠が足りず充血した視野には、畳の下から今にも宣教師の青白い両腕がぬっと突き出す幻覚が見える始末だった。

「ただ合戦と決まったわけではない。引き続き幕閣や公家そして今井宗薫らに心付けを欠かさぬよう続け、秀忠の心中を探らねばなるまい」
政宗は暫(しばら)く間を置いて粘り強い懐柔案を語る。

「殿、幕府に楔を入れるというが白羽は誰になさるつもりか」
秀忠側近の実力者が本多正純で、大の政宗嫌いである。
「利勝に塩引き鮭を十尺、白鶴一羽、大柳樽二隻を送った」
 
土井大炊頭利勝は四十四。政宗と七つ違いである。
利勝は家康の隠し子という風説もあり、雨の夜中に家康の棺を久能山まで運んだ十一人の一人である。
 

ちなみに残りの十人は、本多正純・松平正綱・板倉重昌・秋元泰朝・金地院崇伝・南光坊天海・神龍院梵舜・義直の名代、成瀬正成・頼宣の名代、安藤直次・頼房の名代、中山信吉であった。
 
利勝そして柳生そして宗薫が味方になってくれれば、一転して二代将軍の強力な外様として君臨できるのだが。

「殿、利勝を正純の天敵と読んだわけでございますな」
 政宗は大きく頷く。
「どんなに頑強な構えでも綻(ほころ)びは生じる」

「そうあってほしいものですな」
「宗薫と話したい」
政宗は大きく溜息をつき、そう渇望した頃、宗薫到着の報を聞き思わず笑いを噛み殺す仕草に成実や小十郎は怪訝な表情を浮かべた。

「秀忠の勅使が来たようですな」
成実は政宗を励ますように見るが、
「成実、いよいよ吉と出るか凶と出るか面白くなってきたな」
 と余裕の面持ちである。
 
大広間に平伏する宗薫を政宗、成実らが二間離れた所で見る。
「宗薫殿、この度は何の様で参られた?」
成実が要件を問いただす。

「平素の誼(よしみ)にて御機嫌伺いに参りました」
「ほほぅ、秀忠の相談役が御機嫌伺いとは片腹痛い」

「これは成実殿、なかなか御挨拶でござまいするな。手前は伊達の事を思い伊達の為に、はるばる奥州の地まで参ったのに。無い腹を探られるは心外でございまする」
「それはどうかな」
 
成実はそう言うと高笑いした。
吊られた宗薫も笑い、傍で聞く政宗も口元が緩む。
 
今井宗薫は茶の三大宗匠の一人に数得られる謎多き茶人である。
秀吉に仕えて早くから政宗とは交遊がある。
 
もともと五郎八郎と徳川忠輝との婚姻仲介したのは宗薫である。
また慶長十九年には大坂の冬の陣前には徳川方の間者として軟禁されてしまった事がある。

その翌年が慶長二十年を途中で改め元和元年と改元する。
この危機をを助ける工作したのは政宗である。
織田有楽のとりなしで釈放され、高野山に追放されるのに留まっている。
 
実は大坂城にいる真田幸村の倅らを落城後に召抱えるという話で連絡していた。
幸村の遺児らは片倉家の家臣として黒脛巾組の一鶴として抱えた。
そういう経緯で宗薫も恩義に感じている。
 
伊達の今回の災いは秀忠側近から煙の如く燃え上がっている。
 
秀忠に討ち取る意思がなければ話は違ってくる。
この宗薫に秀忠が恩義を忘れずに生きているのなら話は面白くなる。
 
秀忠を最終的に将軍にすると決めたのは内府であり駿府の家康だが、年功序列から行けば次男の秀康が妥当である。
 
おまけに武勇の誉れも高い。
どちらかと言えば秀忠は学者風の物静かな男である。
しかも関ヶ原では中仙道の上田城の真田にてこずって遅参している。
 
宗薫の、
「秀康様は秀吉公の猶予なれば秀忠様の将軍職は至極当然」
と、言う発言が大きく物をいった。
 
今も秀忠に恩義感じるならば宗薫の弁明はかなり効を奏すると信じたい。
伊達政宗謀叛の風説が飛び交い出した五月には一度、江戸で宗薫と話している。
その後は仙台に戻り逐一、江戸からの話を聞いてやきもきしていたのだ。
 
数日後、今井宗薫が秀忠の使者として仙台に足を踏み入れたと聞いて安堵した。
成実は彼の口から改易か廃絶かの言葉が出るのではと、唇を瞬きせずに見詰めたが、開口一番。

「政宗殿の嫡男・忠宗様と家康公の孫娘になる播磨姫路城主・池だ輝政の娘・振姫様との婚儀を勧めに参った」
と、聞いて成実の開いた口が塞がらない表情は政宗も痛快であった。

「殿もお人が悪い。宗薫殿を介して伊達と徳川の婚儀が進んでいたのなら、さっさっと教えて下され。わしの寿命が十年縮み申した」
と成実は闊達に笑った。
 
宗薫が奏上し終えて政宗と目があった時、疲れ申したという安堵の笑いがあった。
「では伊達殿、この婚儀を薦めて宜しいのでございますネ」
宗薫は微笑し成実も微笑んだ。

今まで最後の合戦をするかしないかの論議が嘘になる至福の時が訪れたのだ。
「お断りする」
「なんとおっしゃいました」
 
宗薫と成実は驚愕し政宗の真意を疑った。

「確かに振姫は池田輝政と家康公の次女・督姫の子だから孫娘には違わない。だが、それだけでは秀忠公と縁続きにはなったとは思えぬ。いや伊達六十二万石の大藩の格に相応しくない」

「何を申されます。こんな好機を逃すと本当に」
「本当になんじゃ」
宗薫は口ごもる。

「伊達は命ほしさに婚姻と聞いたら飛びつく男ではないと申せ。それなりの格を賜わなければ意味をなさんのじゃ」
「凄まじいヘソ曲がりじゃの殿は」

「成実、ここは肝心ぞ。ここで、あっさり平伏しては後々まで舐められる。腹を一度決めたら、それならの格を貰ってから手を握るのが伊達の手法じゃ」
「いや確かに、その通りじゃが。それにしてもお主と一緒にいると肝を冷やすわい」

「成実、わしの性格を今知ったのなら、もはや手遅れじゃ」
と政宗は笑う。
 
宗薫もうんうんと頷き、
「将軍家に家康の孫娘であり秀忠の養女として改めて婚姻を正式に持って来るように取り計らいます。これで如何か」

「御意」
政宗が大きく頷き。成実は高笑いした。
 


年も押し迫った十二月、
政宗と成実は江戸伊達屋敷にて大忙しの毎夜であった。

仙台では噂で身も凍る思いしたが、他人の風説は軽く聞き流せた。
坂崎直盛と千姫の話がそれである。
坂崎は火傷を負ってまで助けた話は嘘で、むしろ公家と千姫の再婚話で面子を潰されたので略奪婚を考え露見した。

「なに安西右馬が八五十石に召抱えられただと。奴は首を刎ねられたと聞いたぞ」
政宗は今さらながら噂の好い加減さに激怒した。

高田五十万石と五郎八の離縁をせざるを得ない密告者が召抱えられたのだ。
一方の悲劇の花井主水正は戸田康長に預けられるが切腹でなく預かりの身。
主水正の弟は松下と改姓し鳥取藩の藩士として仕える。

安西の方は召抱えられたのは同じでも他の資料では打ち首の誤記も見かける。
この双方切腹斬罪の誤報はなぜなのだろう。      

徳川実紀(台徳院(秀忠)殿御實紀)は意外にも誤報の話を記述している。
双方斬罪や千姫を助けた坂崎の火傷もそうだ。
 
週に二度は柳生家や土井家そして本多家に参り酒を酌み交わし、哄笑(こうしょう)が夜気(やき)を大きく振るわせた。

その次の週では外桜田の伊達屋敷に秀忠をも招いての饗応の日々であった。
秀忠は饗応の際に政宗から聞いた鹿島神宮と伊達の由来に感動し、後日参拝する。
 
参拝を済ませた秀忠は幕命で、社殿全てを源氏の白に塗り替えさせた。

大晦日の夕食時、その幕命を聞いた政宗は成実同様、目刺を頭から被りつき、やけ酒を飲んだという。

「秀忠にしてやられたわい」
 と杯を飲み干す政宗は、むろん上機嫌である。

風説では嫌な思いをしたが改めて伊達と徳川は懇意となった。
もともと謀反など、とっくに捨てた政宗にとって誤解が解けたのだ不機嫌なわけがない。
 だが話はこれで終らない。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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