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龍の落涙(元和二年 伊達政宗の風聞騒動) 作者:GART

第1回   家康影武者なり
          一
「皆の者、祝着じゃ」
 伊達陸奥守政宗は元和二年の元旦を二年ぶりに仙台城で迎えた。

何木
摘袖(つみそで)ニ世ノサカエシル若茉(わかまつ)哉(かな)  政宗


 七草粥をたべた後、江戸から届いた嫡男の和歌に政宗は先の歌を連歌した。
 忠輝を摘み取って栄える若茉(わかまつ)こと幕府を恨めしく思ったのか。これが元和二年の連歌であった。金庫番の鈴木元信が大きな杯に注がれたのを飲み周囲の喝采をさらう。
「成実(しげざね)も飲め」
 政宗は伊達安房(あわ)守(かみ)成実にも酒を与えた。
「殿、少将殿の事、不憫(ふびん)でなりませぬ」

 少将とは娘・五郎(いろ)八(は)姫の婿であり家康六男・松平上総(かずさ)介(のすけ)左近衛(さこんえ)少将(しょうしょう)忠輝の事である。

 家康は忠輝の弟らを溺愛し、七男松千代、八男仙千代は夭折なれど九男・義直は尾張を十男・頼宣(よりのぶ)は紀州を、十一男・頼房(よりふさ)は水戸を与え御三家にした。
 越後高田城主の忠輝は、大久保石見守長安事件の関連で疑われ、信頼回復に焦っていた所に大坂の陣での遅参を問われ家康に勘当された。
 昨年九月である。
 家康からの勘当は親子の縁を切り十年謹慎せよ、という家康と忠輝との個人的問題であり、高田藩には問題はないが今後の政局次第では命すら保証出来ない。
 
 政宗の眼に涙が滲(にじ)み、やがて杯に落ちる。
「少将殿は秀忠殿を除けば、年齢的にも一番の年上。万が一、将軍家に不幸あれば名実供に家康公の後継者であられますのに」
「言うな成実」
 政宗は成実を制す
「わしも少将殿をなんとか助けてやりたい気持ちで一杯じゃ。されど内府殿の勘気はおさまらん」
 と政宗が愚痴をこぼすと、成実の危惧が口をつく。
「少将殿は家康公の勘気を解くべく自発的に武州深谷にて謹慎なされているとか。このまま静かに時が過ぎるのを待てば勘当を解かれる日もございましょう」
「家康健在なれば、いつの日か解かれる事もあろう。問題は秀忠の方じゃ。もともと家康の勘当は忠輝を秀忠の邪刀から救済する手立て。大御所の裁断を覆して改易や切腹は出来ぬだろうという深謀遠慮からだと見ておる。それゆえに五郎八も自ら離縁を申し出ておるくらいじゃ」
「五郎八殿が離縁を覚悟されたか」
「あくまで命を守るために」
 政宗は五郎八の哀願する様子が蘇った。
「某(それがし)が改めて本多正純殿に掛け合って、家康公の勘気を説いてみせまする」
 
 成実が言う正純という男は家康・秀忠両方の懐刀(ふところかたな)である。 
 彼の父・正信は一度、家康に背いて再び仕官し側近になった智将だ。

 なぜか正信・正純親子が側近になってからは古参が消える。
 古参の大久保勢力が長安事件の連座で消えてゆく中、着々と徳川重鎮の道を歩む。

 大坂が滅亡し、幕府磐石となり眼は外様の力を削ぐ事に注がれているようだ。
 政宗は成実の眼窩を見詰め、
「無理じゃろう」
 と杯を置く。

「あえて今一度、少将殿への思いを告げ、お許しを乞う所存」
「正純に頼むのか」
「御意」
「まずいな。伊達は正信・正純親子の宿敵である大久保勢力と見なされておる。ここは忠輝も片付け、舅も一掃したいのが本音であろう」

「殿、それは大いに在ります。もしや昨年の夏から沸き立つ風説も本多殿らが」
「滅多な事を申すな」
「されと忠輝様をお守りすべく伊達が挙兵する噂で喜ぶのは政敵の本多殿ではござらぬか」

「さもあらん。ここ数年、本多家と大久保家は家康の懐刀の地位を争っていたが、大久保長安の謀反疑惑から、本多家の圧勝だな」
 政宗は自虐的に吐き杯を飲み干す。

「左様、段取り良く長安謀反の書面が現れるわ、親戚や懇意の者は悉(ことごと)く連座に問われるわ、今や家康側近は正純のみ。しかも正純は秀忠の側近としても家康から下命下り、世代交代も心配ござらん。まさに左団扇(ひだりうちわ)」

「笑うは正純のみか」
 政宗はそう呟いて瞼を閉じる。

 一見、忠輝の置かれた環境は厳しい物ではあるが、ある意味で十年間の謹慎をすれば勘気も解けるやもしれない。
 現時点でも忠輝の個人的問題であり高田藩は問題ない。謹慎の地である深谷も忠輝が少年時代を送った故郷であり、秀忠が放った看視など顔見知りの多い深谷では、よそ者かどうか分かるが故に忠輝がこの地を選んだ。

 場合によれば高田城内でも謹慎は構わなかったが、より秀忠の猜疑心を解くにはやむを得ないと判断したようだ。
 「それにしても今の家康は、本当に家康なのか。我が子に対する情のなさには辟易してしまうわぃ」
 
 政宗はグィと飲み干す。
「確かに、不自然でございましたな」
 成実ははじめて政宗を凝視して同意した。
 
 大坂夏の陣で、家康本陣に大坂方の真田決死隊が爆竹を手に突入した際に怪我したという話を仕入れていたからだ。
「駿府おられる家康は影武者なり」
 
 実は大坂城落城の前日、真田幸村の息子や娘を密かに預かり、白石城の片倉の家臣にした。その真田ゆかりからの情報である。
「殿、大坂城落城した七日深夜に堺町南禅寺に誰かを土井大炊頭(おおいとう)利勝らが埋葬していたというのは本当かも」

「成実、ならば今動けば良いいな」
 政宗の眼窩に妖炎が灯る。
「秋に伊達丸を月の浦から出帆し二ヶ月後にはアカプルコに到着する。今ならば高田五十万石はまだ忠輝の手元にある。伊達と合わせれば、優に百十万石。大坂の残党も呼応(こおう)すれば幕府を転覆出来るわぃ」

「それに全国の隠れ切支丹に呼びかけ、イスパニア船が江戸湾を脅かす事態になれば、福が転がり込むやもしれませぬぞ」
「だがそれも家康が死んだのであればじゃ」

「殿、今の家康は影武者でござりますぞ。大坂夏の陣の直前に、殿が対面を許され本陣で二刻以上話し込んだ仲。されど五月三日以降は、会ってくれぬではございませんか」
「うむ。四日五日は雨で流れ、六日の朝、道明寺にて戦い、翌七日にて大坂落城した。落城直前の六日に真田幸村が家康の茶臼山本陣に突入したの」

「殿、南禅寺の深夜埋葬は六日の夜でございますぞ」
「成実、聞く所によれば、秀頼の妻、家康の孫娘・千姫も助け出した後、家康の対面はとても情のある振る舞いでなかったと聞く」
「左様でございますな」

 政宗は成実が注いだ杯を喰らう。
「成実、家康の動向は摑めぬのか」
 成実は咳払いする。

 政宗は鋭い左の瞳で元信以下、皆の者を所払いにする。誰もいなくなった広間をジロリと睨み政宗の元へと膝行(しっこう)した。

「あれから南禅寺を見張らせておりますが、何せ警戒厳重にておいそれと我らの手の者も近づけませぬ。ただ土井利勝が深夜に埋葬を取り仕切り、かなりの兵を寺に配置しているとの事です」
 政宗は顎を撫でる。

「明らかに不自然だ。まず落城検分を一刻で済ませ昼過ぎには京都二条城に戻った。わしはその知らせ、具足をつけたまま聞いた」
「解せ(げ)ませんな」
 成実はさらに声を潜(ひそ)めた。

「ならば殿、六月の二条城での武家諸法度の発表の際は如何でござった。あそこの広間に大小三百の大名が並んで前に家康公は坐っていたはず」
「そう確かに家康は奥に座っていた。しかし一言も声を発せず、文言は今井宗薫に読ませて、最後の締めは秀忠が申した」

「なら間違いないのでは」
 政宗の独眼が光り唇も歪む。

「影武者なれば、わしと顔を合わす事はできぬわ。わしは忠輝の勘気を説くべく手紙を何度も出したが、会ってくれぬので藤原定家の実筆の和歌集まで贈呈すると伺いを駿府にすれば、「そのような家宝は大事にし伊達の宝とせよ」という書状を寄越しただけじゃ。旨く秀忠と正純に担がれているようじゃ」
 
 忠輝への冷遇も頷ける。
 影武者が必要なのは秀忠である。
 今は徳川政権の基礎固めの大事な時。

 秀忠も大御所の威光を借りて進めるために、側近の本多正純の意見を重視するようになったようだ。
 江戸に政宗の黒い風説が昨秋から流れ始めたのは必然であった。
 

 一月十六日、江戸にいた細川忠興(ただおき)は、国許の豊前小倉城の嫡男・忠利に書状を送った。

「政宗謀叛の風聞がある。十中八、九政宗は挙兵するだろう。油断なく、隠密のうちに出陣の用意を整えておくように云々」
 
まさに的を得た了見である。

 ただ政宗は忠輝を再生させるには如何にすべきか思案していただけであり本当に謀反を起こす気はなかった。

 噂は恐怖ないし不安が絡んだ重要な案件に、あいまいさが掛け合った時に枯野は燃え広がる。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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