和睦は東陽寺で両陣営の主だった武将が集まった。 しかし長井広房自らは和睦の席に現れない。
宗遠は当主自らの出席を要請したが新田遠江守に拒まれてしまった。
宴が始まり、宗遠は些細な事で新田遠江守をなじり、ついには斬り捨ててしまった。
長井勢は混乱の中で、伊達と再び太刀を交わせる事になったが大将いない新田勢はそれまでとは別の集団のごとく飛散した。
政宗は驚きと不快に満ちた中で、父をなじる。
「なぜ和睦した相手を斬るのでございますか!」
「遠江守はわしを斬ろうとしたからじゃ」
宗遠の言葉に政宗は顔を横に振った。
「仮にこれで勝ちを納めても、この米沢で伊達になびく者がおりますかどうか!」
「勝負とは非情なものよ」
宗遠の返事に政宗は詰め寄った。
「政宗、今こそ全軍挙げて長井広房を討つのじゃ」
政宗はなんとも言えぬ怒りを後方の長井本陣と戦う事で昇華した。
長井広房は新田遠江守の騙まし討ちを知り退却を始め、ついに夕刻には伊達に阻まれて米沢を捨て安芸に逃げてしまいました。
こうして長井時広から189年間の米沢統治は長井八代で終わりました。
宗遠はこの事が気がとがめたのか歌丸という地に新田の霊を鎮める五輪等を立てました。 政宗も気がひけたのか、出家はしませんが円孝という禅僧名をつけて供養するようになりました。
宗遠は米沢が手に入り安堵したのか三年後になくなり伊達の当主は間違いなく九世政宗の時代にはいりました。
この時、政宗は三十三歳。
|
|