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異聞 政宗記(いぶん まさむねき) 作者:GART

第4回   第二章 政宗の米沢攻略
政宗は米沢攻略に向けて、赤館から大きく北から迂回する道中を選択した。
この方が近く、七ヶ宿からニ井宿峠を越え高畠にはいる道程である。

夏の夜にニ井宿峠を越えると、夜明け頃に高畑に到着する。そこから南下すれば米沢である。

「お館様、長井勢の甲冑の音かと思われます。油断なさらぬように」

家臣・鬼庭喜兵衛の注進に、政宗は、
「怖れるに足りず」と、
家臣を叱咤激励し、歌を詠んだ。

山間(やまあい)の霧はさながら海に似て 波かときくは松風の音

この戦いは甲乙付け難く高畑は両陣営の軍勢で田畑は踏み荒らされ野原は燎原と化した。
この戦いで双方の死傷は数百人に昇り、米沢攻略は今年も頓挫したのである。


「まずは敵に悟られぬように侵入せずは勝ちはおぼつかない」
と政宗は決断し、1380年の元旦から数日後に板谷峠の雪越えを決断した。
板谷峠は米沢を南からはいる道程である。

東からはいるニ井宿峠よりもはるかに米沢に近いのだが、険しく難所である。
しかも冬場に峠を越えると言い出したのである。

伊達と長井の40年の戦いに終止符を打つ合戦である以上、従来とは別のルートで戦わなければ勝利は転がりこまない。

なかなかに九十九折(つづらおり)なる道たえて 雪に隣の近き山里

政宗は板谷峠に差し掛かり歌を詠んだ。
板谷峠は過去は国鉄がここだけ電化する事を考えたくらいの険しい難所である。

しかし雪になれた伊達勢でも苦難を極めた難所。
それゆえに長井広房の驚きは大きかった。

広房は置賜の国人衆に呼びかけつつ、口田沢城の新田遠江守を先方隊として最上川の上流にある小松に布陣した。

「よいか皆の者よく聞け!。今や長井勢は浮き足立っている。応援が出羽から駆けつける前に、この合戦で勝負をつけよ!」

政宗の軍杯が頭上高々と上がった。

こうして伊達と長井の決戦の火蓋が落とされた。








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Novel Editor