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異聞 政宗記(いぶん まさむねき) 作者:GART

第3回   その参 父・宗遠の南奥羽
「政宗のために長井庄を平定せねばならんの」

伊達宗遠は酒を飲みながら一人つぶやく。
現在の福島県の伊達郡がそのまま宗遠・政宗の領地でそれは遠く源の頼朝の功にあやかったものである。

伊達は京都の藤原の流れをくむ中村と申し、頼朝の奥州平定のおりに従軍し伊達郡を授かり、以後は伊達と名乗っている。

鎌倉幕府崩壊後は、建武評定所で長井・大崎に並んで評定の主要顔ぶれになっていたが、足利幕府が出来ると暫くは南朝方に属して、ひらたく申せば反足利勢力として南奥羽で暴れ回ったのが伊達宗遠である。

宗遠が元服した歳に尊氏が京都・室町に幕府を開き、24歳にして伊達の家督を継いだ。
なにせ父の行宗が宗遠24歳の時に亡くなったから仕方ない。
いわば宗遠は鎌倉幕府滅亡や建武の親政さらには南北動乱に生きる戦に明け暮れた武将であった。

「父上」
政宗が無造作に入って来る。

「坐れ」
宗遠はどぶろくを政宗に突き出す。

「父上、家督はいつ譲って頂けるので」
政宗はそう聞きいて注がれた酒を飲み干す。
「御主はいくつになった」
「29歳になりもうした」
「わしが24歳の時に家督を継いだ。けっして遅くはないの」

宗遠は己の年齢を反芻してみる。
動乱に明け暮れて、政宗という嫡男を得た歳が29歳。政宗に嫁を取らせたのが47歳の時である。

人生五十年と言われる人の世に呑気な展開である。
既に善法寺の娘「咲々」の婚姻に漕ぎ付けて十年が経過し57歳。

もはや、いつ死がむこうからやって来ても可笑しくない歳になってしまった。

「わしの眼が黒い内は家督は譲れぬ」
宗遠はわざと心と違う発言し政宗を高ぶらせた。
「今、なんとおっしゃられました」
「家督はダメじゃっと言ってるのだ」
「それでは家臣団に示しがつきません。既に28歳にし元服から14年も経ち、子供も元服する歳になりました。ここで父上に隠居して頂き、この政宗が家督を継ぎ・・・」
「まてまて政宗、早まるな。わしからの条件を満たせば家督も譲る」
「してその条件とは?」
「長井庄を取るのじゃ」
「長井を討つのでございますか!」
既に伊達と長井は40年も領地争いしている。

ほとんどが伊達の七ヶ宿から峠を越えて高畑を取り合う陣取り合戦である。
「父上、長井を平定すれば家督の件しかと聞き入れて頂けるので」
「むろん異存はない」
こうして政宗の長井庄攻略が火蓋を切って落とされる事になる。
宗遠は政宗が勢い込んで席を立ってから、独り言を吐いた。

「長井庄は30万石はある。20万石の伊達に正攻法では勝てぬ。奴にそれだけの度量があれば申し分がないが、この南北動乱はもうすぐ北朝の勝利で結末を迎えるじゃろう。その前にこの南奥羽では伊達が北朝の長井を打ち破らないと足利幕府体制では生き残れまい」

宗遠は刀を抜き、ろうそくを斬り倒す。

宗遠の読みでは、北朝の勝利で足利幕府体制は磐石になる。そうなると南奥羽での長井の勢力は絶大になり、伊達もつぶす働きかけをも仕掛けて来るに違いない。
既に幕府の地方機関として鎌倉府が置かれ関東はおろか奥州をも管轄の下に置いてある。まだまだ権限は名ばかりではあるが今後、力を増すのは否定できない。時代は宗遠より16年下の基氏(もとうじ)が亡くなり二代目氏満(うじみつ)の代になっていた。

これらを牽制して勢力温存でなく拡大を図るべく善法寺の娘を嫁に入れるのに骨を折ったのだ。
いずれ長井・鎌倉府が寄ってたかって伊達を攻め滅ぼすに違いない。

「それまでに是が非でも攻略せずば伊達の明日は来ぬ。どんな手立てを使ってもだ」

ろうそくの火が板を焦して消えた。






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Novel Editor