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青年と少女と黒猫と幽霊と 作者:H2

第4回   4
「それから僕は当て所なくそこら辺を彷徨っていたのさ。特に、初めて竜君と出会ったこの公園でね・・・ちなみにさっき倒れたのは自分が落ちたときを思い出しちゃって」
青年は力なく笑った。
「・・・やっぱり、幽霊だったのね・・・」
「気づいてた?」
「ええ・・・なんとなくだけど・・・普通の人間とは違うって」
「そう・・・幽霊は・・・少なくても僕は普通の世界のものは感じられないんだ」
「感じられない?」
「暑くもない。寒くもない。お腹も減らないし、普通の人、いや、生き物には見えることすらしない。人間の作ったものには触れる事すらできない」
「ちなみに今座ってるベンチは木でできてるよ」と青年は付け足した。
「なんで君は僕が見えたんだい?」
「・・・分からないわ。私は確かに生きていた筈だし・・・それより今は?この夢の中では違うの?」
「そうみたいだね。この中では僕は生きてる人間と全く変わらない」
雨は降り続いていた。あの日も雨は降り続けた。青年は顔を歪める。
「でも―――」
青年は泣いていた。冷たい雨の雫の中に自分の涙が溶けて消えていく感覚。それは何かが消えていく感覚に似ている。
「僕は・・・人間である前に偽善者だよ・・・」
「・・・」
「生きていれば偽善者。死んだと思っても死に損ないの幽霊だ」
「そんなこと・・・」
「何もできない・・・偽善者なんだ。情けをかけるだけかけて、結局は何もできない・・・」
青年の表情は徐々に憎悪に歪む。それに気づいた少女は少しその表情に本能的な恐怖を覚えた。
「明・・・」
「僕をその名前で呼ばないでくれないか?」
「・・・」
「憎いんだ・・・偽善者の僕も、その他の奴らも皆憎い・・・あいつらがいなければ竜君は苦しまなかった。僕が偽善者でなければ竜君を助けられた!」
「あなたのせいじゃない!」
「煩い!何も知らないくせに!!」
青年は頭を抱え込むようにして立ち上がって、その場にしゃがみこんだ。
「憎いんだ・・・憎い・・・全部・・・皆憎い!!」
「駄目!!」
「何もなければいいんだ・・・何も・・・何もかも!!」
「!!」
青年に変化が現れ始めた。徐々に身体が闇に包まれていく。少女は後ずさりした。動物としての本能が闇の恐怖を教える。
「駄目!」
「はぁ・・・はぁ・・・くふっ!!」
グチャ、という嫌な音とともに、青年の口から血が吹き出た。青年は更にその顔を憎悪に歪めていく。
「僕が強ければ・・・僕にあの時力があれば・・・!」
「明が悪いんじゃない!」
「黙れ!僕をその名で呼ぶな!!」
「明!!竜太君はそんなこと望んでない!!」
「くっ・・・竜君が・・・!!」
竜太という名前に反応する青年。少女はなんとか明を正気に戻そうと必死になる。
「竜太君は結果として生きることから逃げてしまったかも知れないわ!でもその時自分の命を捨ててまであなたにそうなってほしくないことを伝えたんでしょう!?だったら・・・竜太君のことを思うんだったら、絶対に闇に身を染めたりしちゃだめッ!!」
「く・・・くそっ!くそっ・・・クソッ!!」
青年は最期の理性で必死に己の闇と戦い始めた。しかし、既に闇は青年の殆どを取り込んでいて、必死で足掻く青年の表情もこれ以上ないほどに険しくなっていた。
「あなたは偽善者なんかじゃない!そうでしょう!?」
「でも・・・でも・・・!」
「あなたは偽善者じゃない!だって・・・だって・・・!」
少女は、恐怖に涙を流し始めていた。闇そのものへの恐怖と、青年が消えてしまう、その恐怖に。ぽろぽろと涙を零し始める少女。その間にも闇は青年の全てを飲み込もうとしていた。苦しみの表情が闇に消えていく。少女にそれを止める術はなかった。
「だって・・・あなた、あたしをかばってくれたじゃない・・・行く当てもない、汚れたあたしをこの場所でかばってくれたじゃない・・・ねぇ・・・それでも偽善者なの・・・ねぇ・・・明・・・明!!」
「明!!」
そこにもうひとつの声が重なった。目の前に、闇をかき消す眩い光が現れ、辺りを照らす。
「明!掴まれ!!」
闇の中の青年に伸びていく光。青年は闇から必死に手を伸ばし、その光を掴んだ。
「くそっ!なんて闇の力だ・・・!」
声を発する光に戸惑いながらも少女はそれを見つめていた。眩く輝く光の中に、誰かいる・・・
「手伝ってくれ!!」
「えっ?」
「君!君だよ!早く!!」
少女はわけのわからないまま、闇から逃れようと必死になって伸ばしている青年の腕を引いた。
「引っ張りあげるぞ!せーの!!」
2人が力を込めた途端に、ぐいっと引っ張られるような形で、青年は闇の中から飛び出してきた。
「明!!」
バタッ
少女は力なく地面に倒れた青年の肩を必死に揺すった。返事がない。口から紅い血が流れている・・・
「どいて!」
「えっ?」
少女が後ろを振り返ると、そこにはどことなく人の姿を象ったような光があった。眩く輝くその光は更に人の形に近づいていき、最終的には完全に人のシルエットとなった。少女よりも幾分身長の高いそのシルエットは徐々に光を失い、そして光が完全に消えた時、中から1人の青年が出てきた。その青年はすぐさま倒れている青年のもとへ向かって、何やらぶつぶつと唱え始めた。

『汝慈愛の神の名に於いて冒されし彼の魂を癒し給え』

さっきと同じ眩い光が今度は青年の手から放たれた。その光は倒れている青年を包み、その途端に青年の表情が和らいだ。
「ふぅ・・・危なかった・・・あ〜・・・大丈夫。気絶してるだけ」
少ししんどそうにしながら顔を上げる青年。
「海野・・・竜太・・・」
少女は自然とその名を呟いていた。それを聞いて竜太はにこっと笑う。
「ご名答」
激しく降りしきっていた雨も気づけば止んでいて、代わりに鮮やかな月が空に上っていた。
「もう明から俺のことは聞いてるんだな?」
「あなたが・・・海野 竜太・・・!」
「えっ・・・?」
「あなたが・・・あなたが明を苦しめた人・・・」
少女は拳を握った。突然の事に錯乱して、怒りや恐怖の対象を誤ってしまっていた。
「・・・ああ。そうだよ」
そんな少女に対し、竜太は否定することもせず、首を縦に振る。
「だから俺はここに来た。明を苦しめた分の償いをするために」
「なんで・・・なんでもっと早く来なかったの!?今までずっと明は苦しんでたのに!」
「・・・ごめん。これなかったんだ。どうしても・・・でもやっと・・・やっと君のお蔭で明を助けることができた。感謝してるよ」
竜太は小さくため息をついた。
「私の・・・お蔭?」
「ああ・・・まったく・・・苦労した・・・明が成仏できないみたいだから、どうにかしようと思ったら、明は心に鍵を掛けてて、全然心の中に入れないときた。それを外したのが君ってわけだ」
「あたし?あたしは鍵なんて外してないわ」
「・・・正確に言うと、時を動かした。だな」
「・・・」
「人間を嫌いになっちまった明の心を解き放てるのは、人間じゃない何かだったんだ」
「何言ってるのかさっぱりわからないわ」
「う〜ん・・・ま、人間じゃないからいっか」
「?」
ただただ首をかしげるばかりの少女に竜太は笑って、「本当は天界のことは人間には秘密なんだけど」と舌を出した。
「あ、名前知ってるってことは、明から俺の生前は大体聞いて―――」
「ええ、聞かせてもらったわ」
少女はピシャリと言い切る。竜太は「なら大丈夫」と頷いて説明を始めた。
「俺があの時自殺してから、俺は死後の世界に旅立ったわけだ。まぁ当然だな。で、そこで俺はとりあえず天国行きになったわけだ」
「・・・明をあれだけ苦しめておいて?」
少女の意見は率直だった。竜太は寂しそうな表情で「俺だって・・・ずっと悔やんだ」と苦々しく吐き捨てた。
「だから俺は天使見習いになった」
「天使見習い?」
「そう。俺は天使になりたい。天使ってのはいろいろあるんだけど、俺はその中でも成仏できなかった死人の魂を天に連れて行く仕事を選んだんだ・・・俺が・・・あんな死に方だったしな・・・」
「・・・」
「俺のところにも天使は来てくれたんだぜ?その人は優しかったな・・・確かエルっていう人だった・・・」
遠い目で感傷に浸っている竜太を少女が小突いた。
「それでどうしたの?」
「ん、ああ。悪い悪い。ともかく、俺はその人に憧れて天使になろうと思ったわけだ。っていってもそんなすぐにはなれない。人間が天使になるときは幾つか試験を受けなきゃいけないんだ。一つ目は天使としての素質があるか」
「素質?」
「そう。魂を天界に連れて行く俺の役職の場合はそれ相応の優しさを持っているか・・・俺はなりはこんなんだけど、自分自身のことがあるから・・・な」
また寂しそうな顔をする竜太を見て、少女があることに気づいた。
「・・・明にそっくりな目をしてるわ」
「そりゃそうだろうね。ずっと一緒の環境だったから。人間の形成の1/3は環境で決まるって言うし。しかも明は優しかっただろ?違うか?」
少女は何も言わず、倒れている明に視線をやってから、「ええ」と短い返事をした。
「それよりさっきから言ってることが難しいわ。明の話だと勉強ができなくて苦労してたみたいだけれど」
「それは死んでから勉強したんだ。知識も必要だったから」
「生きてる間に勉強しとけばよかったんじゃないの?」
「う〜・・・どうしても興味が湧かなかったんだ。もとは料理人になりたかったし」
「ふ〜ん・・・」
「で、今回は念願の初仕事。その時始めて明が自殺したのを知った。ショックだったけどあのままいけばこうなるのは、ある程度必至だったからな。それを君が手伝ってくれたわけだ。本当に恩に着るよ」
「どういたしまして」
少女は素っ気ない返事をして、くるりと振り返り、意識が戻らない青年のもとにかがんだ。
「・・・本当に生きてるの?」
「もとが死んでるからなぁ・・・」
竜太は頭を掻きながら首をかしげた。
「ただ、もう少しで悪魔になりかけてたよ」
「明が・・・悪魔に?」
「・・・明は優しすぎるからな。いつも傷つくのはあいつなんだ。だから気づいたらあいつ自身がボロボロになっちまう。ま、それがあいつの一番の長所で短所だけど」
「そうね」
少女は微笑みながら頷いた。
「さて、もうそろそろ帰らないと」
竜太は軽くため息をつきながら残念そうに肩をすくめた。
「で、だ」
「?」
「上からの許可が出てるんだ」
「何の?」
「今回、君のお蔭で明を救うことができた。だから君はひとつ、願いを叶えてもらう権利を得たんだ。ちなみにこれは相手が人間だったら内緒で、気づいたらささやかな形で願いが叶っているんだけど・・・ってもし君が人間になりたいとか言ったら今までのこと秘密にしとかなくちゃいけないのか?」
目の前で悩みだす竜太。
「・・・あなたやっぱりちょっと頭悪いわよ」
少女は少し呆れたあと、くすっと笑った。
「でもなんとなく、明があなたを守ろうとした理由がわかるわ」
「はは、そうか・・・で・・・ついては・・・えーと・・・名前がないから黒猫さん」
「何?」
「・・・人間に・・・なりたいか?」
「・・・いえ、別に」
少女の決断は以外と早かった。
「なんだか明と竜太の話を聞いてたら人間ってしんどそうに見えてきちゃった」
「そう・・・じゃあ何を望む?」
「そうね・・・秋刀魚」
「さんま?」
「そう、新鮮な秋刀魚が食べたいわ。噂で聞いたんだけどとっても美味しいらしいの・・・」
「・・・涎出てます」
「あら、失礼」
「そうか、秋刀魚か」
「何か可笑しい?」
「いや、別に。でもエルさんが前に願い事を叶えた女の子も、面白い願い事をかなえてもらってたから・・・やっぱり、人を救える人は利益を追求しないんだな、と思って」
「じゃああなただったら何を叶えて欲しい?」
「う〜ん・・・天使は利益を求めちゃ駄目なんだけど・・・まぁ強いていえばとりあえず上手にチーズケーキ焼けるようになりたいかな」
「・・・チーズケーキって何?」
「明の好物さ」
竜太はふっと苦笑して目を閉じた。
「・・・優しいのね」
「どうかな・・・あ、そろそろ帰らなくちゃ」
「う・・・」
青年のうめき声を聞いて竜太が焦った。
「話していかないの?」
「合わせる顔がないよ」
徐々に光に包まれていく竜太。何かを思い出したようにはっとして、少女に伝言を頼んで、光の中に消えた。

「うっ・・・ここは・・・」
「気がついたのね」
「変な夢を見てた気分だ・・・」
「まだ夢の中よ」
「そうだね」
青年は身体中についた泥を払いながら立ち上がった。
「竜太が・・・ここに来てたね」
「知ってたの?」
「見えたんだ。光の中に」
「そう・・・竜太君から伝言を預かってるわ」
「何?」
「一つ目は、『ぐずぐずしてないでさっさとこっちにこい!』って」
「はは・・・竜君にそう言われるようになったか・・・」
「二つ目は・・・『生きてる間に言いそびれた。ありがとう』だって。これってどうなのかしらね?」
「どうなのって・・・どういう意味だい?」
「だって自分で死んでおいてそれはないと思わない?」
少女はなんだか納得がいかない、という様子だった。それを見て青年が苦笑する。
「それでも言いたかったんじゃない?今は僕もだけどね」
青年は空を見上げた。丸い月が浮かぶ空はもう既に暗い。時は動き始めていた。
「ありがとう」
「えっ?」
「君に会えてよかったよ」
「・・・そう。あたしも楽しかったわ。こうやって人も体験できたもの」
「・・・次に会うときは・・・その・・・」
「・・・何?」
「できれば・・・人間の君と・・・会いたいな」
それを聞いた少女は、ふん、と鼻を鳴らし、「お断りするわ」と小さく舌を出した。
「どうして?人間になりたいんじゃないの?」
「竜太君も同じようなことを言ってた。でも明の話を聞いてたら人間って窮屈だわ。あたしはもっと―――」
少女はその場でくるんと回った。水に濡れた長い黒髪と、黒いワンピースが雨の雫で煌く。
「自由に生きたいの。気ままに、ね」
青年はふっと笑って、「そうか、その方が君らしいよ」と目を閉じた。
「もう行かないと。竜君も待ってるし」
「そう・・・」
世界がゆっくりと月明かりに溶け始める。2人の姿も徐々に光に溶け始めていた。
「・・・さよならだね」
「そうね」
「また・・・どこかで・・・」
何かを言いかける青年に対し、少女は首を振った。
「会えないわ。あなたはもう行ってしまうもの」
「・・・会えるよ。君が人間になりたいと望んだみたいに、僕も君ともう一度会えるように望むから」
「でもあたしはあきちゃったわ」
「僕は飽きないよ。きまぐれじゃないから」
「そう・・・」
夢が醒めて行く。少女は自分の、人間の掌を見つめて、目を閉じる。
(また会おう・・・か・・・)
とてもじゃないが、猫の世界では聞けない台詞を、少女は胸の奥底にしまいこんだ。
(会えたら・・・ね・・・)



ちゅん、ちゅんと小鳥のさえずりがあたりに響く。爽やかな風景のわりに、雨が降ったのでとても蒸し暑い。そんな中、ベンチの上で寝ていた黒猫が、身体を伸ばして、大きな欠伸をしながら起きた。先ほどまでのどしゃぶりにもかかわらず、黒猫が寝ていたベンチの一部だけが、不自然に乾いていて、黒猫も殆ど濡れていない。黒猫はもう一度大きく伸びをすると、軽やかにベンチから飛び降り、ゆっくりと草の茂みへと歩き始めた。その草の茂みに入る前に、黒猫は後ろを振り向いて、自分が寝ていたベンチへと視線を向けた。誰もいないベンチを暫く見つめた後、黒猫は「ニャーン」と小さく鳴いて、草の茂みの奥へと入っていってしまった。

Fin

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Novel Editor by BS CGI Rental
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