ブロロロロロォォォォォ・・・・ 車の行き交う騒音が聞こえる。 ザワザワザワザワ・・・・ 人々の行き交う雑音が聞こえる。 小鳥のさえずりも 犬の鳴き声も この都会という場所で不協和音として響いている。 昼下がりの都会の小さな公園、そこに一人の青年がいた。 学校にも行かず、それでも学生服を着て、公園のベンチに佇んでいる彼を、小さな子供も、その母親達も、誰も気にとめようともしない。そして彼もそれを当たり前のように受け入れ、誰を引きとめようともせず、何をすることもせず、ただそこに座っていた。 (暇だな・・・) そしてすぐに考える。どこに行ったら、何をしたら暇じゃなくなるんだろう・・・ (やめよう・・・) 青年は自嘲的に笑った。『暇』だなんて考えたらきりがない。青年はいつでも『暇』だった。 そして青年はさっきまでと同じように、目の前の光景を虚ろな目で眺め始めた。 ・・・この暑い中で遊んでいる子供達も、その母親達も、餌でも探しにきたのか、数十匹の鳩も、皆のどかで、皆幸せそうに、少なくても青年にはそう見えた。そして青年は少しだけその光景を睨む。 (・・・?) その時視線の先に何か黒いものを見つけた。その『黒いもの』も青年の視線に気づいたのか、青年の方に首を曲げた。黒い毛並みに琥珀の瞳。黒猫だった。 青年と黒猫は暫くの間お互いを見つめていた。 (見えてる・・・?) 試しに青年は「おいで」と黒猫を呼んでみた。すると猫は「ニャァ」と小さな声で鳴いて、青年の足元までやってきた。人懐っこい態度を見せる黒猫を、青年は抱き上げて、膝の上に置いた。本来美しい筈の黒い毛並みが汚れてしまっている。多分野良猫だろうと青年は思った。 「ニャァ・・・」 どこか眠たげに鳴く黒猫。青年は「君も暇なのかい?」と聞くが、黒猫は目を瞑ってやはり眠たそうに少しもそもそと動くだけだ。青年は何も言わず、黒猫を撫でた。黒猫は気持ちよさそうに目を瞑って、青年の膝の上に座っている。それが青年にはとても新鮮で、少し優しい表情にさせる。他にやることのない青年は、飽きることなくその猫を撫でていた。黒猫も青年の膝の上でじっとひなたぼっこをしていた。 (眠い・・・) 青年はうとうとと眠気に襲われていた。黒猫の方もいつしか膝の上で眠ってしまっている。青年は「ふぅ・・・」と小さなため息をつくと、自分も目を閉じて、また少しだけ笑った。 「君も暇かい?」 眠っている猫は少しだけもそもそと動いた。 「そうか・・・」 その時突然、ゴロゴロという雷の音が聞こえてきた。その後すぐにポツポツと雨が降り始めてきて、青年と黒猫をを濡らし始めた。 不意に雨粒に身体を濡らされ驚いた黒猫をかばうようにして、青年が身体を折り曲げる。黒猫は安心したようにまたその下で身体を丸めた。 (・・・僕にまだ何かのためにできることがあるなんて思わなかったな・・・) 青年はポタポタと自分の髪の毛から滴り落ちる水滴を眺めた。この雨はどれだけ強く自分の背中を打っているのか、どのくらいの冷たさなのか、青年には知る由も無かった。 「はぁ・・・」 ため息交じりの吐息が青年の口から漏れた。せめてこの雨が止むまでこの黒猫をかばっていよう。それぐらいしか自分にできることなどないのだから。と、青年はまた目を瞑り、一向に止む気配を見せない雨の中で眠り始めた。
「ん・・・」 青年は暫く後目を覚ました。少し頭に痛みを覚えながら、周りを見回す。 (夕暮れ・・・?) 夜というには明るすぎて、昼というには暗すぎる。そろそろ一番星が出てきそうな夕暮れ時。 (少し長く寝すぎたかな・・・?) 青年はそう考えたが、何かを否定するように首を横に振った。 (どうせ時間なんて関係ないし・・・な) 膝の上にいた筈の猫もどこかに行ってしまっている。青年はもう一度辺りを見回した。 (・・・?) 青年の頭に浮かんだひとつの疑問。静かすぎる。 (誰も・・・いない?) 青年は静かに腰を上げて、公園を歩き始めた。そこには誰もおらず、都会を埋め尽くす程の車の騒音も、人のざわつきもない。ただその代わり、暗い空を飛んでいく一羽の鴉を見つけた。こんな風にみると鴉も風情があるもんだなと思いつつ、青年は人を探し続けた。が、やはり誰もいない。 (夢の中?) 青年は小さくため息をついてそんなことを考え始めていた。少し大きめの公園をどれだけ歩いても人一人いない。気づけば最初のベンチまで戻ってきていた。結局見つけたものいえば鴉一羽。青年はまたベンチに座った。 (ここは・・・どこだ?) 誰もいない夕暮れ時の世界。 (ここはやっぱり―――) 「どうかしら?自分自身の夢の世界は?」 「誰?」 青年がゆっくりと顔を上げると、その先にはひとりの少女がいた。真っ黒なワンピースを着た少女は、真っ黒なストレートヘアーを腰まで垂らし、日本人というには到底無理がある琥珀の瞳で青年をみつめている。 「・・・誰?」 青年はもう一度怪訝そうな表情を浮かべて聞いた。少女は「名前なんてないわ。それより、あなたの名前は?」と逆に聞き返してきた。 「・・・」 青年は暫く考えた後、「僕にも名前はない」と答えた。 「ふ〜ん・・・人間は皆名前を持ってるものだと思ってたわ」 「君はどうなんだい?」 「あたし?無いに決まってるじゃない」 「なんでさ」 さらっと矛盾した答えを平気で返す少女に、青年は少しむっとして訊いた。 「だってあたしは―――」 少女はゆっくりと、優雅な足取りで少年の傍によると、ベンチに座った。 「人間なんかじゃないもの」 「・・・」 この返答には少し青年は戸惑った。が、落ち着き払った態度で「じゃあ僕も人間じゃない・・・かな」と返した。 「・・・嘘でしょ?」 「・・・微妙」 かなり曖昧な返答だったが、別にこれが嘘、と断定できるわけでもなかった。第一に青年自身にも自分は人間と言い切れる自信はない。 「あなた面白い人ね」 「君も相当じゃないかな」 「そうかしら?」 「そうだと思うよ。その前に幾つか訊きたい事があるんだけど」 「何?」 「ここは何処?」 「あなた自身の夢の中」 「君は誰?」 「あたしはあたしだけれど?」 「・・・じゃあ君は・・・何?」 「あたしは猫」 「猫?」 「あたしは黒猫。あなたが眠る前に膝の上にいたあの黒猫」 「あれが君?」 「ええ」 「じゃあなんで僕の夢の中にいるのさ?大体君は猫なのになんでそんな姿をしているんだい?」 「それはあたしが望んだから」 「僕の夢に入りたいって?」 「違うわ、あたしが望んだのは『人間になりたい』っていうこと。あたしを夢に呼んだのは多分あなた自身」 青年は「う〜ん」と首をかしげて考えた。別に思い当たる節はない。でも「いや、別に」と言うのもなんだか空しい気がしたので、「・・・そうかも知れない」と頷いた。 「でしょ?」 これ以上はなんだかわけが分からなくなりそうになったので、青年は質問をやめた。 「ねぇ、少し散歩してみない?」 「・・・やけに唐突だね」 突然の提案に少し青年は戸惑った。 「『猫はきまぐれ』って聞いたことない?」 「あるけど・・・実際そんな様子みたことなかったから」 「それよりどうするの?行く?行かない?」 「・・・わかった」 青年は腰を上げて、一度大きく伸びをした。ついでに欠伸もした。 「眠いの?」 「まぁね、最近はずっと寝てたようなものだから」 「ふーん・・・人間はそれでも生きていけるの?羨ましい。あたしもできればいつも寝ていたいわ」 あまりにも羨ましそうに言うので、青年は少し困った表情で、「う〜ん・・・それも微妙・・・」と青年は頭を掻いた。 「じゃ、行きましょ」 「あ、うん・・・」 ひとりで歩き始めてしまう少女を慌てて追いかけながら、青年はもう一度辺りを見回す。 「ねぇ、この世界には本当に僕ら以外誰もいないのかい?」 「そんなこと知らないわ。ここはあなたの夢の中だもの」 「そっか・・・」 青年は夢についてあることを思い出していた。『夢は記憶の整理』だということである。 その理論によると、夢というのは昼間起きている間に起こったことや感じたこと等の記憶を整理するために見るらしい。青年はなんとなく納得した。 「じゃあこの世界には多分僕と君しかいないよ。あ、鴉もいるか」 「あたし、鴉は嫌いだわ」 早々と歩きながら、少女は顔をしかめた。 「食べ物を取られちゃうもの」 「ふーん・・・」 (やっぱりあの黒猫は野良猫だったのか・・・) 「ところで何処へいくつもりだい?」 「別に宛てはないわ。できればあなたが案内してくれないかしら?ここはあなたの夢の中なんでしょう?」 「いや、確証はないんだけど・・・これがもしかしたら現実なのかもしれないし」 「ありえないわ。あたしたち以外誰もいないだなんて」 「う〜ん・・・世の中結構信じられないこともあるもんだよ?」 青年は感慨深げにそう呟き、軽くため息混じりに「何処へ行こうか・・・」と行き先を考え始めた。 「ねぇ、あたし、少しお腹が減ったんだけれど」 「・・・」 行き先は青年が悩む間もなく決定された。どこか食べ物が置いてあるところだ。 「どうせ誰もいないんだよなぁ・・・」 青年の足は自然と近くの駅へと向かっていた。普段あれだけ混雑している場所に人一人いなかったら。それなら、本当に誰もいないと確信できると思ったからだ。しかし・・・ 「・・・」 青年は公園から出た瞬間唖然とした。大量の自動車が道路に止まっている。中には誰もいない。見れば歩道の所々にも自転車がある。それも動かないまま、しかもスタンドなしで。写真を撮って、そこから人間だけを消したような風景が広がっていた。 「・・・」 「所詮夢の中よ」 (これ・・・) 唖然としている青年を軽くたしなめるように、少女は悠々とその中を歩いていく。青年は戸惑っていた。 (どこかで・・・) 「・・・待って」 「何かしら?」 青年は少女を呼び止めた。振り返る少女に向かって青年は俯いたまま「少し・・・美味しいものを食べに行かないかい?」と言った。 「本当?」 「・・・」 青年は黙ったまま足早に歩き始めた。
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