黙々と足を進め、杉谷と志摩は無音の歩道に身を委ねていた。普段より人通りの少ない細道は、更に二人の沈黙を誘う。志摩は両腕を杉谷の筋肉質な腕にからませながら、薄っすらと笑みを浮かべていた。杉谷は、困ったような嬉しいような気持ちが入り雑じった顔で志摩を見つめている。 幸せな、恋人同士の構図だった。しかし、会話はない。 「………」 (な、何か言わないと……。つまらないって思われ…) 杉谷は志摩を盗み見ながら口を何度か開閉させた。でも、何を言っていいのか分からない。一人っ子の杉谷は、ほとんど女性と話した事が無かった。それが、今あだとなって出てきている。 二人を照らすように太陽の光は降り注いでいるのに、それを生かす術が無いなんて…。空しいというか、何と言うか。杉谷は何かを言おうと懸命に頭を働かせているけど、出てくる言葉はほとんど同じだった。(天気ですねぇ☆)―――さすがに、それは言いたくなかった。会話がすぐに終わるのが目に見えている。 …と、杉谷が精一杯に頭を働かせている横で、ふと、志摩が口を開いた。 「……ねぇ、杉谷くん」 「はぁい!?」 教育番組よろしく、やたらと上ずった杉谷の返答に志摩は思わず吹き出した。 「あはは…。杉谷くん、面白い」 手の甲を口に当て、志摩はくすくすと笑いを漏らした。杉谷はしばらく何も言えず顔を真っ赤にしていたが、そのうちに声をあげた。閑散としていた雰囲気が、柔らかな膜に包まれる瞬間。 「…、あ、あのさ……。志摩さん、」 笑いに乗じて、杉谷は志摩の顔を見下ろした。雪のように白い肌が目に映る。杉谷は、視線を泳がせつつも何とか言葉を繋ぐ。キッと、前方を強く見据えた後、志摩に向き直った。志摩は、優しい微笑みで杉谷を見つめている。 「ぼく、志摩さんが本当に―――」 「おい。そこのにぃちゃんら」 杉谷と志摩が足を止めた瞬間。まるで仕組まれたようにガラの悪いお兄さん達?が三人、杉谷たちの前から姿を現した。木の下にいたのか、紺の学ランに濃緑の葉っぱが付いております。 「誰!?」 威嚇するかのように、志摩は声を張り上げた。杉谷は完全に怯えきって志摩の後ろに隠れる始末。……駄目駄目だね★美咲ちゃん。 「俺は不良Aや」 「…B」 「Xぅ!」 勢いをつけて親指を自分に向け、不良Aは何度かリーゼント(古いぃ…)を上下させた。横についたBは目を覆い尽くすほどのヘルメットを被り、何故かXは背中を向けている。 面白いほど三角形なトリオだった。 「俺らは、まさ……」 言いかけたAの頭を、横からBが思いっきり殴り付けた。それからこそこそと、背を向けて何かを言い合っている。杉谷は怯えて何も見てはいないが、志摩は不可思議な不良たちの行動に首を傾げた。し気に、不良達を睨み付ける。 「言い直させてもらう。そこの女!付いて来たら危害は加えないから、こっちに来い」 Aに変わってBが、嘲笑するかのように杉谷たちを軽く睨み付けた。ヘルメットで顔は見えないが、睨んでいると取って良いだろう。 ―――しかし、志摩は動じない。杉谷は、もう言うまでもなく志摩の後ろに身を隠している。不良Aが、微かに苦笑を見せた気がするが、志摩にそれは映っていなかったらしい。志摩は杉谷を庇う様にして、一歩前に進み出た。 「……残念ね。けっこうよ、時代遅れのお馬鹿さん」 志摩は不良達を嘲る風に唇を吊り上げる。その優し気な外見からは想像もつかない不敵な笑み。さすがの不良達も、その異様な気迫に応戦を見せる。しかし、志摩の身体から発する異様な空気は猛者のもので、狼狽しながら、不良達は一歩退いた。 「あ〜、分〜かった、分かった…。だからお嬢さん、こわいからやめ…」 「…あぁら。さっきの威勢はどうしたの?Aくんっ!」 「うわわわ!逃げろぉ〜っ!!」 ダン、と踏み込んだ志摩に慌てて背を向け、A達は真剣に駆け出した。しかし、志摩の方が速い。すぐに追いつき、Aの頭に重い一撃を食らわせる。音を立て、リーゼントのカツラが地に落ちた。振り返るA―――名糖の首根っこをぐっと持ち上げ、狂気の笑みを浮かべながら志摩はオクターブ低い声を絞り出す。 「名糖がぁ…。どこからこんな学ラン借りてきたんかしらんがなぁ…。わいの美咲を怯えさすなや!脳味噌かっぽじって喰らったるぞゴルアァァ!!」 ―――怖いです。志摩さん。さすがの名糖も青筋を走らせ、悪かったよ、と頭を下げる。本気の謝罪だった。お嬢様の鬼の形相は、そこらの不良達よりよっぽど怖いものがあった。もし杉谷が見ていたら、どうなっていたことやら…。 「…お、お前、裏表激し過ぎだって〜!美咲ちゃんの前でぼろ出さない様に、気を付けとけよ!」 ようやく開放された名糖は、げほっと喉を押さえてせき込み、涙目で志摩を見下げた。少しは落ち着いたのか、志摩が百八十度変わった表情でにこっと笑みを見せる。このギャップが、名糖にはものすごく恐ろしく感じるが。 「大丈夫よ。私、杉谷くんのためならブリッコでもなんでもやるから」 えへへ☆と、志摩は小鳥のように首を傾けた。名糖は呆れた顔で肩をすくめ、志摩の額を軽く小突く。頑張れよ、と苦笑した後、身を翻してBとXの間に入って行った。恐らくは、Bは喜多原なのだろう。Xが、唐司か健都なのか良く分からないが…。(何せみにみに同士だし) …まぁいいか。と言ったように息を吐き、杉谷の元へと志摩は足を進めた。それに気付いたのか、かたかたと小刻みに体を震わせつつも、杉谷がゆっくりと顔を上げた。怯えきった子供のように、目には薄っすらと涙すら浮かんでいる。志摩は、まるで母親が子を愛でるように杉谷の短い髪を梳いた。ゴメンね、と言葉を漏らす。 「怖い思いさせてごめん。でも、もう追い払ったから」 眉を八の字にしながら、志摩は微笑を浮かべた。どうやって?と言う杉谷の視線に、志摩は一瞬顔を伏せるが、覚悟したように口を開く。 「実は私、空手の道場に小さい頃から通っているの。黒帯とってるのよ。だから、その…」 言いかけて、志摩はいったん口を閉じた。…どんな理由ですら、黙っていたのだ。杉谷を騙していたと言っても、過言ではない。 「志摩さん…。でも、志摩さんぼくに『ボディーガードになって』って…」 「ああ。あれは間違いよ」 さらりと、志摩は杉谷に笑んだ。何の事か分からず、杉谷は首を傾ける。志摩はふわりと絹の髪を揺らし、今度こそ柔らかな笑顔をつくった。杉谷も、つられて微笑みを見せる。 「もしよければ、言い直させて?…私、杉谷くんを守ってあげたいの」 直立で立ち尽くしている杉谷の大きな手のひらを包み、志摩は瞳を細める。杉谷は熱でもあるかのように顔を真っ赤にして、頭を垂らした。熱は、耳にまで伝わっている。心臓が、壊れそうなほど音を立てていた。それは、志摩にも聞こえてしまいそうなくらいで。 「私を、杉谷くんのボディーガードにならせて下さい。……大好きよ。杉谷くん」 杉谷は、顔を上げられなかった。ぱくぱくと魚のように口を開閉させる。志摩は、笑顔を崩さない。花の如くの笑みを見つめられないまま―――― 「…はい……。ぼくも、大好きです…」 上ずった声で、杉谷は言葉を紡ぎ出した。
「――――で?うまくいったんだ〜?」 翌日。一つの机に集まり、喜多原と名糖と杉谷はそれぞれの弁当箱を広げていた。日差しは、微風に遮られて地上までは降り注がない。ふわりと、カーテンが杉谷の頬を撫でた。杉谷はそれにつられるよう、口を開く。 「そうなのかな…。良く分からないけど」 苦笑混じりに名糖はそうか、とだけ言った。そのまま、お重並みの大きさである弁当の中のものを無造作に口に放り込む。喜多原は、やはり黙々と箸を進めていた。しかしピリピリとした空気ではなく、心なしか笑んでいるようだ。理由は分からないが、杉谷は嬉しそうに喜多原に目を向ける。 「にしてもさ〜。美咲ちゃんのどこに惚れたのかな〜?真智は〜…」 「優しい所だよ」「うぎゃぁぁ!」 背後からの声に、名糖はどこから出したのか甲高い声をあげた。後ろを向くと笑みを湛えた志摩が立っている。黒い髪が、薄い光に透けて茶色みを帯びていた。 「捨て猫、怖がりながら世話してたの見たんだ。それからかな?」 「まぁさぁと〜……。声ぐらいかけろよ〜。びっくりしただろ〜!」 ゴメンね、と志摩は軽い笑顔を見せた。喜多原と名糖は小さく息を吐き、杉谷は頬を朱に染めて俯く。志摩はいそいそと杉谷と喜多原の間に椅子を持って行き、何も言わずそこについた。ふわりと羽のように微笑を見せる。そのまま、言葉を紡いだ。 「今日から私も一緒にお昼食べさせてね!名糖くん、喜多原くん、杉谷くん!」 喜多原も、名糖も、何も言わなかった。杉谷は静かな笑みを湛えたまま――― ……答えは、分かりきっている。杉谷と志摩は、顔を合わせて小さく笑みを交せた。
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