「よし、後を付けるぞ〜!」 「ああ。もし何かあったら大変だからな…。…って。何だ?その無駄に長い棒は」 「これ?職員室の前に落ちてた。黒板差しかなぁと…」 歩き去って行く杉谷と志摩を見送りながら、廊下の角―――と言うか、職員室の前で名糖と喜多原は蹲っていた。さすがにテスト前なので職員室への扉は固く閉ざされている。その薄い扉を開けると、学生さんにはとても怖い人々が神妙な顔つきで地獄を作っている……。考えただけでもぞっとします。 しかし名糖は何も気にしていないのか、ぽんぽん、と手に持った長い棒を遊ばせ、喜多原に笑んだ。喜多原は特に驚いた様子もなく、ただ呆れ返った溜め息を漏らす。 もう、名糖の意味不明な行動には慣れてしまっていた。慣れと言うのは怖いものだなぁと今更ながら喜多原は頭に浮かばせる。 喜多原はへらへら笑顔の名糖をちらりと見た後、親指で職員室の扉を指差した。抑揚の無い小さな声で、名糖に注意を呼びかける。 「ちゃんと後で戻しとけよ?先生に見つかったら…」 「わっ!」 「ひにゃあぁぁあ!?」 突然背後に現れた来訪者に、喜多原はその目を張って振り向き、名糖は奇怪な悲鳴を上げて後退さった。職員室の前だという事も一瞬忘れた様子……。そんな二人がゆっくりと顔を上げると、そこには――― 「け、健都ぉ!?どうしたんだよ、こんなところに!」 えへへー。と笑いながらしゃがみ込む健都に、名糖は思わず声を裏返らせて叫んだ。喜多原などは呆然と健都を見つめている。二人に驚いてもらえて健都は満足したのか、満面の笑顔で名糖の胸に飛び込んだ。子犬のする仕草に、名糖は呆れたように息を吐く。 「めーとー、きたはら、びっくりした?先生かと思った??」 「健都……。…だから、なんでこんなとこにいるのかって」 抱き付いてきた健都の髪を、苦笑しながら名糖は柔く梳いた。健都は名糖の身体に埋もれた顔をひょこっと出し、屈託の無い笑顔で名糖を見上げる。 「んーとね、特に用はないんだけど、めーとーときたはらの背中が見えたから。うわァ、今だ!おどろかせ!って思ったー」 健都の言葉に、名糖と喜多原は顔を見合わせ、再度苦笑した。今時小学生でも考えないような事を平気でやってのけるなんて…。…まぁ、かわいいからいいけど。 「でさでさ!めーとーときたはらは職員室の前なんかで何してたの?スパイごっこ?おれも混ざるー」 興味津々の目で、健都がぱぁ、と両手を広げた。 元気ハツラツ☆の健都に、何と答えていいのか。名糖は一瞬、ほんの一瞬だけ考えるが…。突如、策士の笑顔で健都の肩に手を乗せた。きょとんと首を傾げる健都に、名糖は言い聞かせるようにゆっくりと口を開く。 「……そうだ。俺とヒロは、今極秘ミッションの最中なんだ。だから、お子様は早く帰って―――」 「うわぁ、おれ大当たり!?凄いな、ごくひか!よくわかんないけど、おれもまざる〜!」 『えぇ!?』 今度は喜多原も交えて、名糖は声を張り上げた。シーッと、健都は手まねで名糖と喜多原をキッと見交わす。……そう言えば、ここは職員室の前。思い出したように名糖と喜多原は慌てて腰を立たせた。名糖に抱き上げられる形で立ち上がった健都は、ニコニコと二人を見上げている。名糖はうう、と狼狽を見せながらも、ついには諦めたように息を吐き…… 「う〜、……よし、分かった!健都も極秘パーティに入れてやろう!」 ビシッ!と天井に向かって人差し指を向け、半ばやけくそ気味に名糖は声を上げた。きょとんとしていた健都は、見る見るうちに表情を明るくさせ――― 「本当?めーとーだいすきー!」 再び、名糖に飛びついた。仕方ないなぁ、と名糖は苦笑混じりに健都の顔を見下ろす。 ……全く、子供と子犬には勝てないってね☆Byめーとー 「…って、おいおい楽蓙!俺は―――」 「だ〜いジョビ☆俺がいるしぃ♪ヒロには問題ないない!」 どっからくるんだその自信……!!喜多原は血の気の引いた顔で、すっかりほのぼのムード突入中の名糖と健都を凝然と見つめた。 名糖や喜多原に比べて、健都ははるかに常識が無い。家の事情で、小・中とほとんど学校に行かせてもらえなかったあげく、その家にもテレビやラジオ、新聞すらも取っていなかったのだ。そんな特殊な家庭に生まれ育ったもんだから、知っていることより知らない事の方が多すぎて、冗談ではないが守ってやれる自信は喜多原には無かった。 しかし、名糖の健都への甘さは半端どころではない。『お兄ぃちゃん』、『弟〜』の世界なのだ。というよりも、愛犬とその飼い主と言った方が表現は適切かもしれないですが。 「ごくひって何する事?職員室の張り込み?」 呆れる喜多原の前で、健都が楽しみに瞳を輝かせながら名糖を見上げている。健都より倍以上背のある名糖は、優しい口調で違う、とだけ言って、まるで愛犬を愛でるように健都の頭を撫でた。そして、ふと、喜多原でもぞっとする程の不敵な笑みを浮かべる。 その顔は、次第に喜多原の方へ向いて行き… 「ふ、ふっふふふ…。い〜いこと、思い付いたぁ〜♪」 ―――後の話によると、喜多原はこの時ほど名糖に付いてきたのを後悔した日はない。と言っていたそうな…。
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