母さんと別れて店に戻ったボク。もちろん今度はさっき母さんが教えてくれたとおり内股で靴を履いたのは言うまでもない。
「まなみさんお待たせしました」
「あれ? 音(おと)さんは?」
「ちょっと外出してくるからと言ってました。あ、飲み物まだでしたよね。すぐご用意致しますね」
作戦そのいちー。まなみちゃんって、うちに来るといつもコーヒーを注文するんだよね。だから、それを逆手にとって注文を聞かずに先手必勝コーヒーを出してまなみちゃんの気をこっちに向かせるって方法で攻めてみようかと。
えっ? なになに? そんなので気づいてもらえるはずないだろうって? 喫茶店ならコーヒーを注文する可能性が高いんだから、そんなこと無意味じゃないかって? まあ、普通に考えたらその通りなんだけどね。でもね、まなみちゃんに出してるコーヒーって、ちょっとだけ特殊なんだ。ここだけの話、母さんには内緒でまなみちゃんには砂糖とミルクを増量してあるんだな、これが。しかも、このことを知っているのはボクとまなみちゃんだけだから、ボクだと気づいてもらうための判断材料として十分通用すると思うんだよね、うんうん。
まさか増量しているのが、こんな形で役に立つなんて思いもしなかったけど。もしかしてもしかしてうまくいけばこのまままなみちゃんに気づいてもらえるかも。なーんてね。思いつきとはいえ結構いい作戦かも。
「かなさん、ミルクティーお願いできますか」
「ミルクティーですね。かしこまりまし……え? コーヒーじゃなくってミルクティー、ですか?」
予想もしなかったまなみちゃんのオーダーに目をパチクリさせるボク。
「はい。あの、できればお砂糖をちょっと多めにしてもらえると嬉しいんですけど……いいですか?」
「……か、かしこまりました。少々お待ち下さいませ」
しゅんと肩を落としたままカウンターへ戻り、渋々ミルクティーの準備を始めるボク。まさか、まさかまなみちゃんがコーヒー以外のものを注文してくるなんてこれっぽっちも考えてなかったです。その上、砂糖の量も多めにって指定されちゃったし、のっけから作戦失敗です。
ど、どうしよう……。これなら十分いけるかも、なんて心を弾ませていた分、ショックが大きいわけで。はあーっと大きなため息を吐くボク。ううん、どちらかというとこれぐらいで気づいてもらえるなんて思っていたボクが浅はかだったんだよ、きっと。
『まなみちゃんとのことが発覚したらどうなると思う? それはもう素敵な記事になるでしょうね』
(……はっ!)
姉さんの言葉を思い出す。いけないいけない。これぐらいでめげてどーするよ。まだ一つ目の作戦が失敗しただけじゃないか。ここでボクが逃げ出したらまなみちゃんに被害がいっちゃうかもしれないんだから、さっさと次の作戦を練らないと。
さっきのコーヒーみたいな、ボクとまなみちゃんのあいだだけに存在する暗黙のルールみたいなものって他には……。そうそう、まなみちゃんって大の猫好きで、道端で猫を見かけると引き寄せられるように近づいていっちゃう……は却下だな。あいにくうちは近所の居酒屋さんみたく勝手口にたむろってないし。そういえば以前二人で出かけたときに食事をした定食屋さんで、お店にいた猫にせがまれて焼き魚を半分近くあげてたっけ。あのときの笑顔ってすっごくかわいかった……いかんいかん、とりあえず猫から話題を切り替えないと。
うーん、何かいいものないかなー。できれはここに関わっているようなものがベストなんだけど。コーヒー以外でまなみちゃんがオーダーするもの……あっ! あるある。まなみちゃんがうちでよく注文するもので、しかも母さんとボクで作り方が違うものが。
ミルクティーの入ったカップをトレイに乗せまなみちゃんの元へ。なるべく音を立てないようにテーブルにカップを置く。
「お待たせしました。ミルクティーです」
「ありがとうございます」
「まなみさん、甘いもの、お好きですか?」
「はい、大好きです」
「ちょっと待っててくださいね」
ぺこりと頭を下げ、カウンターへ移動するボク。
(まなみちゃんの大好きなあれを用意しよう)
まなみちゃん、うちのワッフルが大のお気に入りなのすっかり忘れてたよ。
温めておいたワッフル生地を取り出し、発酵具合を確認する。生地がちゃんとふくらんでいくことと表面にブクブクと気泡が発生しているのを確かめてから、ワッフル型を火にかけ始める。
用意したのはボクが担当しているブリュッセルタイプの生地。母さんの作る生地にあられ糖を混ぜたリェージュタイプよりも甘さが控えめに仕上がるけど、表面がカリッと中はふんわりとした食感が楽しめるこっちの方が好きだってまなみちゃん言ってたから。
適温になったワッフル型に生地を流し込む。火加減に細心の注意を払いベストの状態に焼き上げたワッフルを手早く皿に盛りつけ、上からメープルシロップとチョコレートソースをたっぷりかける。生クリームと旬のフルーツを添え、仕上げに軽く粉砂糖を振る。
完成したワッフルをトレイに乗せまなみちゃんの元へ。
「お待たせしました。当店自慢……と音さんからお聞きしてるんですけど、ワッフルと季節のフルーツ添えです」
「これかなさんが作ったんですか?」
「あ、はい。かあ……音さんに作り方を教えてもらって。まなみさんのお口に合うかわかりませんがどうぞお召し上がり下さいませ」
私、ここのワッフル好きなんです、そう言って嬉しそうにワッフルを口に運ぶまなみちゃん。ここだけの話、甘いものを食べているときのまなみちゃんのふわふわとした笑顔を眺めるのがボクの楽しみのひとつだったりする。
「相変わらずおいしいです。私、ここのワッフル大好きなんです」
「あ、ありがとうございます」
嬉しそうにワッフルを頬張るまなみちゃん。その姿に首を傾げるボク。あれれ? もしかして作戦失敗ですか? おっかしいな、まなみちゃんなら生地の違いに気づいてもらえるかと思っていたんだけどなー。さっきの砂糖&ミルク増量作戦に続き、今回の作戦も不発みたいです。ぐっすん。
でもね、さっきに比べるとショックが少ないかも。だってだって、ご褒美としてまなみちゃんの笑顔が見られたんだから。
自分の作ったものをおいしそうに食べてくれるお客さんの姿を目にするのって嬉しいわけで。しかもそれが自分の好きな人だったりしたら、それはもう格別なわけで。とりあえず良しとしましょう、うんうん。これで次の作戦がパッと思いつけばいうことなしなんだけどね。そんなに世の中甘くはないよね。
「それにしても奏くん遅いな」
「はい?」
まなみちゃんの言葉にドキッとするボク。遅いってどういうこと? だっていま11:30だから約束の13:00までまだまだ時間があるはずなのに。
「ど、どうかしましたか?」
「今日奏くんと約束してたんです。9:00くらいかな? 優風さんから電話があって11:00にここに変更になったからって」
「……う、うそ」
そんな話、初耳です。
「もしかして忘れちゃったのかな? 私との約束」
「そんなことないって! 姉さんが勝手に……あ」
慌てて口を塞ぐボク。しまった、今は奏ではなくかなだったんだ。するとまなみちゃんは心配そうな視線を向け、
「かなさん? どうかしましたか?」
「い、いえ、なんでもないです」
姉さんのバカバカー。変えたなら変えたで教えていけってんだよ。
「やっぱり私の勘違いだったのかな」
寂しげな表情のまなみちゃん。
「勘違い、ですか?」
まなみちゃんはコクリと頷くと、
「昨日奏くんから電話があったんです。大切な話があるから会いたいって。私に伝えたいことがあるって。そんなこと男の人に言われたら、もしかしてって期待しちゃうじゃないですか」
「まなみさん……」
「ご、ごめんなさい、つまらない話しちゃって。私、そろそろ帰り……かなさん?」
立ち上がろうとしたまなみちゃんの両肩に手を置き、ゆっくりと椅子へと押し戻す。
「……待って。待ってください。あと5分……いいえ、3分でいいです。ボクにお時間下さい。ボクが必ず奏くんに連絡取ってみせますから」
「かなさん」
「お願いします。ボクに時間を」
「わかりました」
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