怪我の治療のため週末病院で過ごすことを余技なくされた千広くん。一刻も早く退院したいという本人の希望から月曜日の午前中に検査を受け、渋々ながらも退院の許可が出ると、すぐさま弦音さんにあるものを持ってきてほしいとお願いしたのでした。
「はい頼まれたもの」
千広くんに紙袋を差し出す弦音さん。
「弦音姉さん、ありがと……って、ちょっと弦音姉さん!」
中身を確認するなり怒りをあらわにする千広くん。まあ無理もないですよね、だって中に入っていたのは千広くんが千尋ちゃんとして着ていた女子生徒用の制服だったんですから。
「ええー、制服持ってこいっていったの千広くんだよ」 「確かに頼んだけど、僕が頼んだのは普段着ているヤツ」 「冗談よ冗談。こっちだったわよね」
おもむろに隠してあった別の紙袋を差し出す弦音さん。
「まさかそれ、メイド服じゃないよね。優結さんのバイト先の」 「……千広くんのいけず」
渋々ながら差し出していた紙袋と別のものを千広くんへと手渡す弦音さん。
「ありがと弦音姉さん」
ようやく無事(?)学園指定の制服(もちろん男子生徒用ね)を手に入れた千広くん。ここまで持ってきてくれた(余計なものも多々ありましたけど)弦音さんにお礼をしました。
「いえいえどういたしまして。これでこの間の借りはチャラね」 「うわっひどっ」
あまりの不平等にブーブーと不満を漏らす千広くん。
「でもこんな時間からわざわざ行かなくてもいいのに」 「いいの、幸い今日は体育の授業ないし」
弦音さんの言う通り学園なんて休めばいいものの、千広くんったら退院の許可が出るなり学園へ行くからと言い出したのでした。
「それじゃあ、あとの手続きお願いね」 「はいはい、それぐらいはサービスするわよ」 「じゃ」
そう言って病室を飛び出す千広くん。
(優結ちゃん、あとはうまくやるんだぞ)
病室の窓から元気よく学園へと向かって駆けだしていった千広くんの後ろ姿を見つめながら、そうつぶやく弦音さんなのでした。
学園へと到着した千広くん、クラスに入るなり友達から『麻疹だったんだって』とか『よ、重役出勤』とからかわれながらも、視線はというと言うまでもないですよね、そうです優結ちゃんへと向けられていました。
(よかった、元気そうで)
クラスメイトと楽しげに会話している優結ちゃんの姿を見てほっとする千広くん。実は千広くん、入院中にある決意を固めていたのでした。
『優結ちゃんに想いを伝えるのはやめよう』
結果オーライだったものの自分がついていながら優結ちゃんを危険な目に遭わせてしまったという負い目からそう決心した千広くん。ほんと呆れちゃうぐらいのくそ真面目さんですね。
授業が終わったところで真依子ちゃんから処方してもらった薬を飲むためミネラルウォーターを買いに購買へ向かった千広くん。自販機で買ったペットボトルを手に教室へ戻ろうとしたところで、そうですね、距離にして15メートルぐらい先でしょうか、そこに彼女、優結ちゃんの姿が。歩みを進めながらも何度も何度も気持ちを落ち着かせるよう自分に言い聞かせる千広くん。次第に距離が縮まり、そしてついに二人の距離がゼロになったときのことでした。
「一宮くん、忘れ物だよ」 「え? 忘れ物?」
そう優結ちゃんに声を掛けられたものの、まったくもって身に覚えのないことに首を傾げる千広くん。そんな千広くんに向かって右手を差し出す優結ちゃん。ゆっくりと広げたその手のひらには数種類の錠剤が乗っていました。
「これが化膿止めで、こっちが痛み止めで、えっとそれから……」
一つづつ指で指し示しながらお薬の説明を始める優結ちゃん。
「いや薬だったらここに……って、どど、どうしてゆ……黒沢さんがその薬を!?」
自分と全く同じ薬を持っている優結ちゃんに驚く千広くん。一方、優結ちゃんはというと今にも泣き出しそうな表情で、
「ごめんね、本当にごめんね。私のせいであんな怪我までさせちゃって……」 「けけ、怪我って何かな? べべ、別に怪我なんてしてないけど」
千広くん、何ともないと言っている割にはどもりまくっちゃってますけど。
「私、知ってるんだからね。一宮……ううん、千広くんが千尋さんだってことを」 「だ、誰かな? 千尋さんて?」
そんな人知らないとしらばっくれる千広くんに対し、誤魔化したって証拠があるんだからねと千広くんの下腹部めがけて『えいっ』と軽くつつく優結ちゃん。千広くん、退院したとはいえ完全に傷口がふさがった訳じゃありませんから。だって証拠にまだ抜糸してませんからね。そんな状態ですから痛くないわけありません。千広くん、うぐっという呻き声とともに顔をしかめ持っていたペットボトルを床へと落としてしまいました。
「だって姉さんたち何も……」 「私がお願いしたの。千広くんには黙っていて下さいって」 「ごめんなさい。黒沢さんのこと守らせて下さいって言っておきながらあんな危険な目に遭わせてしまって」
深々と頭を下げる千広くん。優結ちゃん、慌てて千広くんの体を抱き起こすと、
「そんな千広くんがいなかったら私、今頃どうなっていたかと考えるだけで怖くって。ありがとうね千広くん。それとね嬉しかった。香菜芽先生から千広くんの気持ちを聞けて」 「香菜芽姉さんが!? えっと、あの、その……」
すっかりパニックモードに突入してしまった千広くんに拾ったペットボトルの封を開け差し出す優結ちゃん。
「はいお水。ついでだからお薬も一緒にね」 「え、あ、うん」
優結ちゃんが用意してくれた薬を口の中へと放り込み、水で嚥下させる千広くん。
「それとね弦音さんが言ってた。きっと千広くんのことだから責任を感じて気持ちを伝えないだろうって。無理矢理押さえ込んじゃうだろうって」 「……」
千広くん、ものの見事に読まれちゃってますね。
「私は千広くんの本音が聞きたいの。そんなしがらみのない本当の気持ちを。だから待ちます。千広くんの気持ちが整理つくまで待ってます」 「黒沢さん……」 「できれば優結って呼んでほしいなぁ……って、もうそろそろそうなっちゃうか」
悪戯っぽい笑みを浮かべる優結ちゃん。
「優結さん? ……って、まさか!」
慌ててポケットに手を突っ込み、薬を取り出す千広くん。ひい、ふう、みい……と数え終えたところであることに気づきました。
「優結さん、もしかしてお薬の中にあれ、混ぜましたか?」 「はい、混ぜちゃいました♪」
それはもう素敵な笑みを向ける優結ちゃん。これ、香菜芽先生から預かっていたものですと、千広くん……じゃなかった千尋ちゃんに紙袋を差し出す優結ちゃん。中身はもちろん言うまでもないですよね、この学園の制服です。もちろん優結ちゃんとおそろいのヤツです。
「ちょうどよかった。今日、お店ピンチだったんです」 「あは、あはははは……」
千広くん、さすがにもう笑うしかないですよねー。
「それじゃあ保健室で着替えてからお店に行きましょうか」 「拒否権なんて……ないですよね、やっぱり」 「さあ、それはどうでしょう? でも千尋さんなら喜んで手伝ってくれるって信じてますから」
こ、今回だけだからねとちょっぴりツンデレ風味の入った千尋ちゃんを連れ保健室へと向かって歩き出した二人。果たして二人の関係の行く末は……。それはまた別の機会にということで。
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