あれから何度か優結ちゃんの誘拐を試みてきた黒服さんたちですが、その都度ことごとく千尋ちゃんに阻止されるのでした。いつまで経っても吉報が届かないことに業を煮やした黒服さんたちのボスさん、ついに強硬手段に出ることにしました。
昨年度から導入された完全週休二日制により、今週学園へ登校するのは最終日となった金曜日のことでした。急遽、午後の授業がすべて休講となり、いつもよりも早く優結ちゃんのバイト先へと向かうことにした千尋ちゃんと優結ちゃん。
「あ、あの千尋さん。お聞きしたいことが……って、千尋さん、どうかしましたか?」
昨日から気になっていた千尋ちゃんの背中にある傷跡について尋ねようとして、いつもと違いどことなく落ち着きのない千尋ちゃんに気づいた優結ちゃん。
「え、あ、うん、なんでもないです、なんでも」
そういって笑ってみせる千尋ちゃんでしたが本当はとっても気になることが。まったくもって懲りもせず少し離れたところからハイエナのごとく様子を伺っている黒服さんたちとは異なる視線に戸惑っているのでした。
(何だろう、この感覚……)
黒服さんたちみたいな殺気は一切感じられないし、しかも何故か私にだけで優結ちゃんには一切向けられていないし、と悩む千尋ちゃん。
(気のせい、かな? ううん、この感覚どこかで覚えが……)
記憶という名のパズルに片っ端から当てはめていく千尋ちゃん。……違う、これじゃない。これは……ううん、ちょっとだけ違うかな。基となるピースと拾い出したピースを照らし合わせては捨て、次のピースを拾い出す。その作業を繰り返すことようやく辿り着いたピース。それは弦音さん、正確に言うと弦音さんと同等の能力を持った人からのものだったのでした。
ターゲットに一切気づかれることなく遠距離からピンポイントで狙い撃てる腕前を持つ弦音さんと同等もしくはそれ以上の腕を持つ超一流のスナイパーが何故自分に向けられているのか、頭をフル回転させスナイパーさんの目的を割り出し始める千尋ちゃん。
(しまった! 犯人の狙いは私だ!)
おそらくスナイパーさんは私の動きを封じ、その隙を狙って黒服さんたちに優結ちゃんの誘拐させるつもりだと判断した千尋ちゃん。すぐさま優結ちゃんへと叫びました。
「優結さんっ! 人通りの多いところまで走って。早くっ!」 「ど、どうしたんですか千尋さん」
突然のことに驚く優結ちゃん。
「いいから早く、時間がないの」 「え、あ、はい」
優結ちゃんが走り出したのを確認したところで、ポケットからトランプを取り出し空高く放り投げる千尋ちゃん。1枚が2枚へ、2枚が4枚へ、4枚が8枚へ、8枚が16枚へと、次々と分裂していくトランプたち。瞬く間にあたり一面を覆い隠すような紙吹雪へと変化しました。これで少しでも時間稼ぎになれば、そう願い優結ちゃんのあとを追うように駆け出す千尋ちゃん。スナイパーさんの狙いが自分へと向けられているのなら優結ちゃんから離れるべきなのだけれど、万が一のことを考えるとスナイパーさんと優結ちゃんへの射線軸上へ自らの体を置いておく必要があるからとの判断からなのでした。
とはいえ相手もプロです。千尋ちゃんの努力も空しく、ほんのわずかな隙間から的確に千尋ちゃんへと狙いを定め引き金を引くスナイパーさん。パーンと乾いた銃声が鳴り響いた直後、優結ちゃんの背後でドスンと何かが倒れる物音がしました。
「千尋……さん?」
その音に思わず立ち止まってしまった優結ちゃん。おそるおそる後ろを振り返るとそこには歩道へと倒れ込んでいた千尋ちゃんの姿がありました。
「千尋さん、しっかりして下さい。千尋さんってばっ!」
千尋ちゃんの元へと駆け戻る優結ちゃん。千尋ちゃんの体を抱き起こしたところで腹部あたりから大量の血が流れ出していることに気づいた優結ちゃん。
「わ、私のことは……構わず、早く……逃げて」 「そんなことできるわけないじゃないですか。今すぐ救急車を……きゃっ!」
ここぞとばかりに優結ちゃんの身柄を拘束する黒服さんたち。
「放してっ! 放してってばっ! 千尋さんが千尋さんが……」 「野郎ども、とっととずらかるぞ」 「へいっ!」 「千尋さん千尋さーん」
抵抗したものの黒服さんたちの手で車へと押し込められる優結ちゃん。
「千広くんしっかりして! 今すぐ救急車呼ぶから」
数分後、千尋ちゃんからの緊急通報を受けた香菜芽さんたちが千尋ちゃんの元へ到着、倒れていた千尋ちゃんを抱き起こし声を掛ける香菜芽さん。
「香菜芽姉様……はあ……ごめんなさい、やっちゃい……はあ……ました」 「千広くんのせいじゃないわ。こうなることを想定しきれなかった私のミスよ」
まさか彼らがこんな強攻策に出るなんてと悔やむ香菜芽さん。
「香菜芽姉様……はあ……真依子ちゃんは?」 「お待たせ、ちいにい」
香菜芽さんに遅れてやってきた真依子ちゃんが返事をしました。
「優結さんなら今、いとねえに追跡してもらってる。今のところ制服に仕込んでおいた発信器もすべて正常に機能してるし、犯人の車も衛星でキャッチしてるから大丈夫。そう簡単には逃がさないよ」 「ごめんね……はあ……あとで埋め合わせはするから。それじゃあ……はあ……お願いできるかな?」 「はいはい。止めたところで、ちいにいのことだから何言ったって聞かないもんね。ということでかなねえは車の方、お願いね」
車のキーを香菜芽さんへ放り投げる真依子ちゃん。そして持ってきた愛用の鞄を開き千尋ちゃんの応急処置を始めました。
「ちょ、ちょっと二人とも何考えてるの。そんな体で優結ちゃんを助けに行けるわけないでしょう。ただでさえかなりの出血量だというのに、仮に止血できたとしてもこの傷じゃあちょっと動いただけですぐ開いちゃうわ。そしたら元に戻れなくなっちゃうかもしれないんだよ」
実は千尋ちゃん、女性化した際に使った薬の副作用として一定量まで血液が減少すると元の体、つまり男の子へ戻れなく可能性があるのでした。
「もちろん……はあ……わかってるよ。でもね……はあ……でもね約束したの。優結ちゃんのこと、絶対に……はあ……守るって。だから……」 「千広くん……」 「香菜芽姉様……はあ……お願い。早く追いかけないと……はあ……優結ちゃんが優結ちゃんが……」
手の甲で目元に滲んでいた涙を拭き去る香菜芽さん。
「もう仕方ないんだから。その代わり、千広くんのこと一生千尋ちゃんなんて呼ばせることになったら承知しないんだからね」 「……うん」
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