自宅へと戻ってきた千広くんと真依子ちゃん。姉の待つ地下室へ向かおうとしたところで、真依子ちゃんに『ちょっと準備があるからちいにいは先に行ってて』と言われた千広くん。その言葉に従い一人、地下室へと向かった千広くんが部屋へと入るなり目にしたものはというと……。
「……弦音姉さん、まただって?」
千広の姉(次女)である弦音さんの姿を見るなりあからさまに呆れ果てた口調の千広くん。
「またまた言うなっ! ほんのちょっと油断してただけなんだから」
千広くんの対応に当事者である弦音さんはというとそれはもう不満一杯、膨れっ面な表情を向けているのですが、事情を知れば致し方ないことで。
弦音さん、気を引き締めているときは問題ないんですけどね。これが普段はというと……まあぶっちゃけかなりのドジっ子でして。ただただ普通に道を歩いてるだけで段差とかくぼみによく足を引っかけてそのまま足を痛めたりするんです。まったくもってこまったさんです。
今回もまあその例にならって(別にならわなくていいのに)左の足首には包帯がぐるぐると巻かれているわけでして。まあ千広くんに呆れられも無理ありませんね。なにせ常習犯ですから。
「はいはい。で、今回も一週間ってところ?」 「えっとね、それがその……一ヶ月だったりしちゃったりして……」
あははと苦笑いの弦音さん。
「一ヶ月!? 捻挫じゃないの?」 「えっとね、先生の話によると骨にヒビが入っちゃってるんだって。完治するにはそれぐらいかかるかなーって」
どうやら弦音さん、今回は捻挫ではすまなかったようです。
「千広くんお疲れ様。本当なら弦音ちゃんにお願いしたかったんだけどね。あれならお断りするけど、どうする?」
千広くんに声を掛けてきたのは姉(長女)の香菜芽さんでした。ありがとうとお礼を言ってから、香菜芽さんの差し出したカップを受け取る千広くん。
「まあ事情が事情だし。いいよ、ボクでよければ引き受けるよ。で、内容は?」 「ボディーガード。期間は明日から一週間」
千広くん、受け取ったカップに口をつけながら、
「ふーん、ずいぶんと急なんだ……うわっ! 香菜芽姉さん甘いよ、これ」
カップをちょんちょんと指さす千広くん。
「あれ? おかしいわね。いつもと同じ量にしたつもりだったけどごめんね」
もしあれなら作り直してこようかという声に千広くんは再びカップに口をつけてから、
「別に飲めないってほどじゃないから。……もしかして選挙絡みかなんか?」
千広くん、そういえばここ最近、通学路に同じ大きさで顔写真入りのポスターがたくさん掲示されていたことを思い出しました。
「そゆこと。ある代議士さんの隠し子さんを守ってほしいの。脅迫状の内容から犯人の目的は恐らく隠し子さんを誘拐し、それをネタに選挙戦への不出馬を狙っている線が強いわね」 「それなら直接その代議士さんを狙った方がいいんじゃないの?」 「それだと一歩間違えると逆に相手の政党を勢いづける結果に転がる可能性が高いから。有権者の信頼を奪うなら代議士さん自ら出馬断念の発表してもらった方が効果的でしょう」 「確かにね」 「はいかなねえ。印刷できたよ」
合流した真依子ちゃんが手にしているのは次の依頼内容の詳細が書かれた資料でした。
「真依子ちゃんありがとね。えっとね名前は黒沢優結(くろさわゆい)さん」 「えっ!?」
名前を聞いた瞬間、驚きの声を上げる千広くん。え? どうしてかって? それはですね、その名前が千広くんの好きな子の名前と同じだったからなんです。
「17歳。私立○○学園在学中……って、あれ? ねえねえ千広くん、確かこの子、うちのクラスにいるわよね」 「……」
口をパクパクさせ言葉を失う千広くん。あらあら、千広くんの態度を見るからに同姓同名どころか同一人物だったみたいですね。ちなみに香菜芽さんの表向きの職業は千広くんの通う高校の世界史の教諭で、ついでに千広くんのクラス担任だったりします。
「もしかして千広の彼女さん?」 「ちちち、違う違う、そんなんじゃないって! かか、彼女とはまだそのあのえっと……」
弦音さんの問いかけに顔を真っ赤にさせしどろもどろになっている千広くん。うーん、お仕事しているときの冷静さとは打って変わってとってもあたふたしてますねー。
「なるほどなるほど。好きなんだけどまだ告白できてないってところかぁ。相変わらずの奥手さんなんだから」 「あうっ」
弦音さん、ボケ属性のくせに色恋沙汰に関しては妙に鋭いです。
「あちゃー。かなねえ、どうする?」 「どうするって言われても……。うーん、とはいえ弦音ちゃんは怪我してるでしょう。かといって私や真依子ちゃんにボディーガードなんて到底無理だし。千広くんがダメっていうんだったらお断るするしかないかな。でも……ね、ちょっと手遅れだったかな?」 「はい? 手遅れ?」
香菜芽さんの言葉に首をかしげる千広くん。このとき既に千広くんの体にある異変が始まってるのですが、どうやら本人まったくもって気づいてないようですね。自分の体だというのに全然気がつかないなんてまったくもってにぶちんなんですから。
「だってもうお薬盛っちゃったあとだし」 「ま、まさか香菜芽姉様、お薬って……ああっ! やだ、口調変わってる! ちょっと香菜芽姉様、コーヒーに例のお薬混ぜたでしょ」
まるで女の子っぽい口調で香菜芽さんに迫る千広くん。まあそうなってしまうのも無理ないんですけどね。なにせ今は男の子ではなく正真正銘女の子なのですから。
千広くんが服用させられたお薬なのですが、男性に限り一時的に性別を反転させる作用があるそうで。それにしても随分効き目の早いお薬ですね。まるで2時間ドラマとかで使われる毒薬並みですよね。
「そ・ゆ・こ・と♪ やっぱり女性のボディーガードをするなら女性の方が何かと都合いいからね。はーい千尋(ちひろ)ちゃん、これお着替えね。今回は千尋ちゃんの大好きなゴスロリ風にしてみましたぁ〜♪」 「うわぁぁーーーん、香菜芽姉様のバカぁぁーーーっ」
一瞬だけ香菜芽さんを睨みつけたものの、目に涙を浮かばせ香菜芽さんが差し出している紙袋を受け取るというかひったくりそそくさと退出する千広くん……改め、千尋ちゃん。何でも千尋ちゃん、この薬を飲まされると自分は女物の服装なんか着たくなんかないのにーと思っていても体が要求するそうです。難儀ですよね。
「千尋ちゃんには悪いけど、ほんとかわいいわよね、あ・れ」 「えへへ、すごいでしょ。あのお薬って性別はもちろんのこと口調や性格まで書き換えちゃうからねー」
見るからに満足げな表情の首謀者である香菜芽さんと自信満々のマッドサイエンティスト真依子ちゃん。
「ご、ごめんねー。この借りはいつか返すからー」
苦笑いで謝罪する弦音さん。とはいえこの場に千尋ちゃんはいないので無意味なんですけどね。
こうして千尋ちゃんは好意を寄せている優結さんのボディーガードの任へ就くこととなりました。
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