それから玲緒に未緒ちゃんが持っていたものがおもちゃだと納得させるのに十分。瑞菜さんが用意してくれた服で出かけることを説得するのに二十分。先程の騒動ですっかり乱れまくった髪を整えるのに三十分。計一時間ほど時間が経過したところで、瑞菜さんと未緒ちゃん二人に見送られ最寄り駅へ向かう俺と玲緒。
「その……さっきは取り乱したりしてごめん。私さ、あれっていうかその……む、虫全般がちょっと苦手で……」
歩き始めてから5分ぐらい過ぎたところで、玲緒がいつもとは打って変わって弱々しい声で話しかけてきた。
「気にするなって。そもそもあいつを好き好む奴なんてそうそういやしないよ。でも、意外っちゃあ意外だよな。おまえだったら新聞紙片手に真っ向勝負するかと思ってたけど」 「失礼ね、私を何だと思ってるのよ」 「あ、そういや女だったよな。ごめんごめん、すっかり忘れてた。そうだよな、あんだけ柔らかいものを押しつけ………あっ」
『口は災いの元』というけど、まさにこういうときに打ってつけの言葉だと思うわけで。玲緒は狙いを定めた大鷲のような鋭い眼光を向けながら、右足をすっと後ろに引く。
「どうやら今すぐあの世へ行きたいらしいわねぇ」 「い、いや、遠慮するっす」 「恭平っ、覚悟はいいわねぇぇぇーーーーーっ!」 「ちょちょちょ、ちょっと待て。話せばわかる話せば……」
そもそもそんなひらひらしたスカートで蹴りはさすがに無理が……いや、こいつなら造作もないことか。以前、華乃の誕生日に呼ばれたとき、こいつの姿を見て吹き出した途端、かかと落としが入ったっけ。うう〜〜〜ぅ、せめて2、3発で済めば御の字ってところか。
(………あれ?)
覚悟を決め、目をつぶっていたけれど、いつまで経っても何も起きなかった。
「れ、玲緒?」
おそるおそる目を開け玲緒に話しかける。
「……と言いたいところだけど、今回だけは特別許してあげる」 「へ?」
予想外の展開に目を丸くしていると、
「そもそも今回の件に関して非があるのはあんたじゃないから。だから、あんたがきれいさっぱり忘れるという条件つきでなら不問にするわ。それでどう?」 「そう言われてもなあー。あのふにふにとして、それでいて張りのある独特の感触はそうそう簡単に忘れられる………わわわ、忘れました。たった今忘れました。木っ端微塵に記憶から消え去りました」 「……よろしい」
(あ、あぶなかった……)
いつでも蹴りを繰り出せるようスタンバイしていた足が元の位置に戻ったのを確認したところでほっとため息をつく。
「だったら俺も謝らないといけないな。ごめんな、昨日、女装を期待してるなんて言ってさ」 「いいわよ別に。私だってこんなの似合うなんて思って……」 「こういった感じの服もいいもんだな。お世辞抜きでよく似合ってるよ、うんうん」 「も、もうっ、変なこと言わないでよぉ」 「そうかぁ? 別に変なこと言った覚えはないけど。それにさ、その髪型がなんていうかその……」
いつもと違い今日は首筋ぐらいの位置で左右二つに分けて髪を結っていた。その髪型が普段感じることのない幼げな印象を醸し出していた。
「な、なによぉ」 「かわいいよなー」 「なっ! かか、からかうのも大概にしなさいっ!」
玲緒は顔はおろか耳まで真っ赤にして抗議してくる。
「別にからかってなんかないけど。あ、そうそう、行き先なんだけどさ」 「こらそこっ、はぐらかすんじゃないわよ。ほんと、あんたってば昔からそうなんだから。いいこと、人の話を聞かない人はね、社会に出てから……」
それから駅に着くまでの間、玲緒のお説教タイムと化したのであった。
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