ここは星彩学園高等部のとある一室。
もう少し詳しい場所を説明すると新校舎と呼ばれる建物の中にある文化系の部室が軒を連ねる一角にある一室。入口には一目で女の子が書いたとわかるような丸っこい文字で“てんもんぶ”と書かれた真新しいプレートが掲げてあった。
扉の向こう側。部室の中央には、総勢三名という部員(幽霊部員は除く)にはもったいないぐらい大きなテーブルが。部屋の隅には、天体観測に必須である望遠鏡を取り付ける三脚が並んでいた。
時間は放課後。あと一時間もすれば空に浮かんでいる雲が朱く化粧をし始めるであろう頃、それは起きた。
「はあ? 小説? しかも恋愛もの? あんたが? 熱でもあるんじゃないの?」
誰が見ても一発でわかるぐらい呆れ果てた表情を浮かべているのは天宮玲緒(あまみやれな)。細めの赤いリボンを使い、長い濃紺の髪をアップさせ、アメジストのような紫色をした瞳が特徴の女の子。
「すごーい。恭くんがそんなことできるなんて、私、知らなかったよ」
まるで神様にお祈りでもするかのように胸元で両手を合わせ、尊敬の眼差しを向けているのは雪崎華乃(ゆきざきかの)。胸元に届くぐらいの長さの金髪に赤いリボンを留め、南の島の海みたいなきれいな碧色をした瞳が特徴の女の子。二人とも半月ほど前に衣替えした夏服を着ていた。
二人に知り合ったのは中学に上がったときなのだが、不思議というか、運命の悪戯というか、はてまた腐れ縁というべきなのか。どういう訳だかずっと同じクラスだったりする。
余談になるが、去年の文化祭で行われたミスコンで、新入生ながら1・2フィニッシュ(しかも票差はわずか1票。その上、3位もうちのクラス関係者だったので、この学園創立以来初めて同じクラスによる表彰台独占という快挙を成した)という記録が示すとおり結構レベルが高かったりする。
……いけね、話がそれた。えっと、先ほどの二人のコメントは何かというと、昨夜、俺の身に起きた出来事に対してだったりする。
「あのな華乃、おまえだって知ってるだろうが。俺が現国苦手だっての」 「そうそう。テストの度にレポート提出だものねぇー」
待ってましたと言わんばかりに玲緒が茶々を入れてくる。
「好きでやってんじゃねーよ。仕方ないだろうが、苦手なものは苦手なんだからさ」 「へぇー、そうだったんだ。あんたのことだから体が疼くぐらい好きで好きでたまらなくて、わざと毎回赤取ってるんだと思ってたわ」 「……おまえ、喧嘩売ってんだろ」 「まっさかぁ〜」
そんなことある訳ないじゃないと言わんばかりに、玲緒は両手を広げちょこんと首を傾げ戯けてみせた。……くくく、くっそぉぉーーーっ! 大人しくしてりゃあ、好き放題言いやがって! 喧嘩を売られたからには店頭表示価格(もちろん税込み)の三倍で買ってあげるのが赤いハレー彗星の教えである。
「人のこと言えた義理かっ! 知ってんだぞ。こないだの世界史、赤だったくせに」 「失礼ね、世界史じゃなくって日本史よ、に・ほ・ん・し」 「どっちだって変わんねえよ」 「変わるわよ。世界史だったらレポートなんて軽く100枚はいけるわよ」 「世界史じゃなくてギリシャ神話についてだったら、だろ?」
玲緒のギリシャ神話好きといったらそれはもうすごいものである。
「男のくせに細かいこと気にするんじゃないわよ。でもさ、ほんとどーするつもりなの? どう考えたってあんたに向いてないわよ」
まったくもってその通りである。俺は、はあーとため息をついてから、
「拒否できるぐらいなら、とっくにしてるよ」 「確かにね」
腕を組み、うんうんと頷く玲緒。そう、俺に小説(しかも恋愛もの)を書けなどという無茶なことを言い出したのは、我が姉である高井弥生(たかいやよい)。小さな出版社で編集長という立場に就いているのだが、予算不足なのか、人手不足なのか、はたまたただの気まぐれなのか。実際のところよくわからないけど、一年ぐらい前から仕事を押しつけ……じゃなかった、頼んでくるようになった。
具体的にどんな仕事が回ってくるのかというと、パソコン用語の解説とか新製品のレビューといったちょっとした記事を書くことだったのだが……。昨夜は違った。とにかく違った。360°どころか1080°ぐらい違った。なにせ渡された仕事というのが、小説(しかも恋愛もの限定)を書けだった。
もちろんそんなことできるわけがない。すぐさま抗議したところ……までは覚えているのだが、そのあとの記憶がまるっきしない。今でも顎あたりにズキズキとした痛みがあることから、恐らくカミソリの刃以上に切れ味のいいフックもしくはアッパーを叩き込まれたのだと思われる。そもそも俺に拒否権なんてものは、はなっから存在してないけど。
「まずは情報収集から、というのが基本じゃないかなぁ〜」 「え?」 「ごめんねぇ〜、遅くなっちゃって。職員会議のあと、ちょおぉぉ〜〜〜っと山田先生に捕まっちゃってぇぇ〜〜〜」
とてとてとすっごく間の抜けた足音を響かせやってきたのは、天文部顧問にして、うちのクラスの副担任で、ついでに保険医で、何故か先生なのにミスコン3位の保持者で、プライベートではうちの姉の友達という五拍子揃ったとってもお買い得な肩書きをもつこの人の名は鈴木知佳(すずきちか)先生。気持ち垂れ目気味の茶色の瞳、全体的に軽くウェーブの掛かった髪は、色素が薄いせいだろうか黒髪と言うよりはちょっと茶色っぽく見えなくもない。
「知佳りん、『情報収集』って何?」 「えへへ、聞きたい? 聞きたいよね? どっしよっかなぁ〜♪ 別にぃ〜、隠すことでもないしぃ〜、教えてあげてもいいんだけどなぁ〜〜〜♪」 「あ、別にいいです。華乃、そろそろお茶会の時間よ。飲み物よろしくね」 「え? あ、うん」
そんなのぜっんぜん興味ないですから、と言わんばかりにあっさり返事をした玲緒とそれにつられた華乃。
「あれ? あれあれ?」
予想外の玲緒&華乃の行動にあたふたし始める知佳先生。まあ知佳先生が玲緒に仕掛けた時点でこうなることはわかりきっていたんだけどね。さてと、知佳先生に助けの手を伸ばすべきか、それとも玲緒たちと一緒に知佳さんをからかうべきか。コンマ5秒ほど悩んだところで、
「それじゃあ俺は冷蔵庫から華乃が用意したケーキでも持ってくるかなー」 「ふえぇぇ〜〜〜ん。お願いだよぉぉ〜〜〜っ、誰でもいいからぁぁ〜〜〜、わたしの話を聞いてよおぉぉぉ〜〜〜〜〜」
うるうると涙目で懇願してくる知佳先生。
「最初から素直にそう言えばいいのよ。それで」 「ぐすぐす……ふえ? 玲緒ちゃん、聞いてくれるの?」 「今ならね」 「えへへ、ありがとぉ♪ えっとねえっとね、恭ちゃ……じゃなかった。恭平クンのお仕事のことなんだけどね。わたしが思うに恭平クンだったら、とってもとっても素敵で甘く切ない恋物語を書き上げてくれると……ふえ? ねえねえ、玲緒ちゃん、どーかしたの?」
玲緒は、一方の手を自分のおでこに、もう一方の手を知佳先生のおでこに当てながら、
「うーん、熱はないみたいだけど……。知佳りん、黄色い救急車呼んでくるからちょっと待ってて」
ちなみに黄色い救急車というのは都市伝説であって実際には存在しないそうだ。
「ひっどぉぉぉーーーーーい! 別にわたしおかしくないよぉぉぉーーーっ」 「そんなの政治家とか犯罪者が好き勝手やっといて『俺はやっていない』と言うのと一緒だってば。あのね知佳りん。このアホ・バカ・マヌケの現国の成績知ってます? あ、知らないからそんなのーてんきなこと言えるのか」 「ううん、知ってるよ。これでも一応あなたたちの副担任なんだから。確かに恭平クンの現国の成績といったらそれはもうひどい有様………じゃなくて、壊滅的………でもなくて、えとえと………手の施しようがないぐらい悲惨な………ととと、とにかくっ! 玲緒ちゃんの言うとおりあんまし芳しくはないかもしれない。それに言葉をたくさん知ってれば知ってるほど表現の幅は広がると思う。でもね、お話を書く上で重要なのはそこじゃないんじゃないかな、わたしはそう思うの。一番大切なのはぁ………」 「一番大切なのは?」 「………うーん、何だろうね?」
知佳先生の答えに一同、思わずこけてしまう。
「あれ? どうしたのみんな? まるでハトさんがM61A1ばるかん砲で蜂の巣にされちゃったみたいな顔しちゃって」
誰のせいだと思ってるんですか、だ・れ・の!
「知佳先生、私たちに何かお手伝いできることってありますか? 私たち恭くんの力になりたいんです」 「ねえねえ、聞いた聞いたぁ〜。『私たち恭くんの力になりたいんです』だって♪ このこのっ、相変わらず愛されてるわよねぇ〜〜〜」
バンバンと勢いよく背中を叩いてくる知佳先生。あのー、結構痛いんですけど……。
「知佳さん、いつも言ってると思いますが別にそんなんじゃないです。こら華乃、おまえも勘違いされるような発言は止めろって」 「なんで止めるの? だって私は恭くんのこと好きなんだよ。だから力になりたいと思うのは当然だと思うんだけど」 「だから、そういうのは止めろって言ってるんだよ」
(まったく、こいつときたらもう……)
よくもまあそんな恥ずかしい台詞、口にできるよな。聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるよ。
「はいは〜い、痴話喧嘩はそこまでぇ〜〜〜。華乃ちゃんの気持ち、無駄にする訳にはいかないわよね。よしっ! 二人とも、悪いんだけど恭ちゃんのために一肌脱いでもらえないかな?」 「はい、頑張りますっ!」 「ちょい待ち、私は手伝うだなんて一言も……」
すると華乃はにこにこと頬を緩ませながら、
「玲緒ちゃんも手伝ってくれるよね?」 「誰がそんなめんどくさ……うっ」 「手伝ってくれるよね?」 「だ、だから私はそんなめんど……ううっ」 「手伝ってくれるよね?」 「ああ、もうっ! わかった、わかりました。手伝えばいいんでしょ、手伝えばぁ!」
華乃が相手だと何か調子狂うのよねぇー、とブツブツ独り言を言う玲緒。
「話もまとまったみたいだし………こほんこほんっ。じゃん、じゃーじゃじゃ、じゃ、じゃんじゃん、じゃん、じゃーじゃじゃ、じゃ、じゃんじゃん………それでは任務を伝える」
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「「「ええぇぇぇーーーーーっ!」」」 知佳先生の提案に俺たち三人の驚きの声が部屋中に響き渡ったところで、 「諸君らの検討を祈る、だよ♪」
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