明けて翌日、 「お姉ちゃん、ありがとうね」 「いえいえ、どういたしまして」 ベッドから上半身を起こし栗色の短めの髪を揺らしているのが妹の宮下優希。優希はお気に入りのお菓子の箱を手に嬉しそうに微笑んでいた。途中、売店によって優希が好きそうなお菓子を買ってから病室に顔を出す、これが私のもう一つの日課だった。 「あれ、どうかしたの? それ、お気に入りじゃなかったっけ?」 「そんなんだけど、これを食べたらまた体重が増えちゃうかと思うとどうしようかなって」 真剣な表情で箱の裏に書かれている成分表にあるカロリー値を見つめる優希。まあ同性としてその気持ち、わからなくもないんだけれどね。けれどもちょっとばかし納得できないことがある。まあこれは優希に限ったことじゃないんだけどね。それはね、どーして細い人ほどそういうこと気にするのかなあぁぁぁーーーっ! なんか無性に腹立ってきた。私はわきわきと指を動かしながら、 「ふふふふ……優希さん、ずいぶんとまあ楽しいご冗談ですこと」 「ふえ? ひゃあっ! い、いひゃい。いひゃいふお、おへえひゃん」 親指を使って優希の口をおもいっきり横方向へと引っ張る。へえー、人間の口って結構伸びるものなんだね。これが人体の神秘ってやつかしら? なんて感心していると優希は手をバタバタさせながら、 「いひゃい、いひゃいっへはっ!」 「このこのっ! そんだけ細いくせに気にするんじゃないわよ」 「いひゃいひょおぉぉぉ〜〜〜」 ま、今日のところはこれぐらいで許してあげるとするか。パッと手を放した途端、優希は両手で頬をさすりながら、 「い、いひゃい……。なんでかな? なんで優希がいじめられるのかな?」 「どう考えたってあんたが悪いっ! 私だからその程度で済んだものの、他の人だったらコンクリート詰めにされちゃったあとそのまま東京湾に沈められてたところよ」 「……そんなこと考えるの、お姉ちゃんぐらいだよ」 「うん? 何か言った?」 「ううん、なんにも。でもでも、それを言ったらお姉ちゃんの方こそ自覚なさすぎだよ。ウエストなんか優希より全然細いのに……」 「そんなことある訳ないって。ちゃんと測ったらあなたの方が細いに決まってるでしょうがっ」 すると優希はハリセンボのようにぷくーっと頬を膨らませながら、 「だって優希、お姉ちゃんのスカートはけなかったんだもん」 「へ? スカート?」 ちょっと待って。私、パンツの方が好きでスカートなんて数えるぐらいしか持っていないんだけど……。 「優希ね、内緒でお姉ちゃんの学校の制服、着ようとしたの。そしたら……」 「そしたら?」 「……留まらなかったの」 「何が?」 「だからその……ホックが……」 優希は顔はもちろんのこと耳まで真っ赤にし俯いてしまった。え、そうなの? 私、てっきり優希の方が……あれ? ちょっと待って。何で優希は私の制服なんか着ようとしたの? だって私と優希は同じ高校なんだからそんなことする理由なんて何処にもないじゃない。あ、そういえば……ひとつばっかし思い当たることがある。あれは確か……そうそう、高校の入学式が近づき頼んでおいた制服が届いたときのこと。箱を開けるなり隣にいた優希はまるで少女マンガのヒロインのように目をキラキラと輝かせながら『うわあぁぁぁ、かわいいね〜〜〜』と言ったあとすぐに私に着てみせてと催促してきたっけ。けれども友達との約束が迫っていたから『帰ってきてからね』そう言って私はすぐ出かけてしまったのだ。帰ってきたところで『どうせなら優希が着てみない?』そう提案したんだけれど、優希からの返事はものすごく素っ気ないものだった。 (ああ、なるほどね) あのときはどうして優希があんな態度を取ったのかよくわからなかったけれどそういう理由だったんだー。もう優希ったら、そんな昔のことまだ気にしてるだなんて。私は優希の頭をくしゃくしゃと撫でながら、 「こーら、二年以上も前のこと、いつまでも気にしてるんじゃないわよ」 「……違うよ、まだ一ヶ月とちょっとしか経ってないよ。だって事故に遭うちょっと前だもん」 事故……。その言葉が深く胸に突き刺さる。 「ごめん……」 「お姉ちゃん、や・く・そ・く」 「あっ……」
『優希、もう謝らない。だからお姉ちゃんも謝ったりしちゃダメだよ』
交わしたのは事故後、初めて優希の病室を尋ねたときのこと。病室に入るなり私は優希に向かって『迎えに行くなんて言わなければこんなことにはならなかったのにごめんね』と平謝りした。すると優希は私に向かって『あんな電話さえしなければこんなことにはならなかったのにごめんなさい』と涙ながらに訴えてきた。そこから先はもう意地の張り合いだった。二人揃って頭を下げ続けること四時間。先生の仲裁があって結ばれたものがさっきの言葉だった。
「ごごご、五面がクリアーできなくってさ。このあいだ買ったパズルゲームの。あは、あはははは……」 苦し紛れのいい訳に対して、優希はクスクスと微笑みながら、 「もう、お姉ちゃんったら。うんうん、そういうことにしといてあげる。ところでお姉ちゃん」 「うん、何」 「その……手術、受けないの?」 「……え?」 思いもよらぬ優希の問いかけに目を丸くしてしまう。 「だってお姉ちゃん、優希とおんなじケガをしたんだよね? だったらお姉ちゃんも手術を受けるんじゃないのかな?」 確かに優希には私の怪我についてはそう説明してあった。 「い、いやーね、優希ったら。もう忘れちゃったの? 私は優希と違って脊椎に破片が残っている訳じゃないから手術をする必要がないって、先生もそう言ってたでしょう?」 「う、うん……。で、でも……」 「あのね優希、私があんたに嘘ついたことある?」 「うん、たくさ……い、いひゃいっ!」 「あーら、優希さんたら、いつになく冗談が冴えていらっしゃいますわよねえぇぇぇーーーっ!」 私は本日二度目となる秘技“ほっぺたビョンビョン”を繰り出した。 「ううぅぅぅ……ひょうひゃんひゃっひゃひょにいぃぃぃ……」 「わたくし笑えない冗談、嫌いですの」 「ほへんひゃひゃい、ひょへえひゃん。ほへひゃいひゃからふゅるひいへえぇぇぇ〜〜〜〜〜っ!!」 それから数分後、無事(?)身柄を釈放された(まあ身柄を確保していたのは私なんだけどね)優希に釘を刺す。 「ゆーき、次に笑えない冗談言ったら南港に沈めるからね。いい、わかった!」 「なんかさっきと場所変わってるような気が……」 「いいの、そっちのがメジャー(ただし関西圏限定)なんだから。さてとそろそろ病室に戻らないとね」 「ええー、もう行っちゃうの?」 「もうすぐ検温の時間だからね。それじゃあ優希、また明日ね」 「うん、また明日」 優希に見送られながら私は優希の病室をあとにした。
私がいなくなってから間もなくのこと。優希は涙をポタポタと流しながらこう呟いた。 「お姉ちゃん……優希のことなんか…ぐすっ…気にすることないのに……」 もちろんそんな悲痛な声が私の耳に届くことはなかった。
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