き〜んこ〜んか〜んこ〜ん。 本日最後の授業の終わりを告げるチャイムの音が鳴り響く。号令が終わり、挨拶し、いそいそと部活へ向かう姿、どこかへ寄り道でもしようかと相談する姿、教室がわいわいとざわめきだした中、俺はほとんど中身の入っていない鞄を手に取るとちかぽんに頼まれたことをするため瑞原さんの席へと向かった。 「お疲れ」 「あ、三上さん、お疲れ様です」 「今日一日、どうだった?」 「うーん、やっぱり古文はちょっと……ではないですよね。そうですね、やっぱりかなり緊張しちゃいました」 瑞原さんは小さな口から舌をちょっぴり出して苦笑いした。 「あ、ごめんなさい。すぐに準備しちゃいますから」 「あ、別に慌てなくてもいいよ。このあと用がある訳じゃないから」 「でも、あまり遅いと優風ちゃん、『あんたたち何遊んでたのよー』って怒りますよ」 その言葉に身の危険を感じた俺は、 「……やっぱ、時間は有効に使わないといけないよね、うんうん」 「くすっ、そうですね。あ、お待たせしました、それでは参りましょうか」 瑞原さんの準備が整ったところで二人揃って教室をあとにした。廊下に出たところで、 「それじゃあ、とりあえず音楽室とか図書室とかがある新校舎からでいいかな?」 「はい、よろしくお願いします」 行き先が決まったところでゆっくりと歩き出す。そうなのだ、俺はちかぽんから瑞原さんを案内するよう頼まれたのだ。普通ならこういったことはクラス委員長とかに頼むものなのだが、まあ今回のようなケースならそうなっても仕方ないのかな、そう思ってしまう訳で……。 「三上さん、どうかしましたか?」 「ぷっ」 すぐ隣を並んで歩いている瑞原さんのことを見た途端、思わず吹き出してしまう。 「え、わたしの顔に何かついてますか?」 「ごめんごめん。そうじゃなくて、瑞原さんがちかぽんに連れられ教室へ入ったときのことを思い出しちゃったらつい……」 「そ、それは……。でもでもそこまで笑うことないじゃないですかぁ」 顔を真っ赤にしながらも、怒った表情を見せる瑞原さん。今朝のHRで、自分がしてしまったことを思い出したからであろう。 連絡事項が終わったところでちかぽんは『今日から新しいお友達が増えま〜す。みんなぁ、仲良くしてあげて下さいね〜』と小学生、いや下手すれば幼稚園児並みの挨拶で出迎えられた瑞原さんは、見るからに緊張した面持ちで教壇へと上がった。見るに見かねた俺は、周りに気が付かれないよう(特に名緒には)に瑞原さんに向け小さく手を振った。何故そんなことをしたのかというと、知っている人がいれば少しは緊張がほぐれるんじゃないかな、そう思ったからだ。結論から言うと当初の目的は難なくクリアーした。けれでもその後、想定していた以上の結果を生み出すことなる。瑞原さんは俺のことに気づくなり瞬く間に表情を明るくし、何故かそのまま俺の側まで駆け寄ってくると、『三上さんだぁーーーっ♪』と大声を上げ、そのまま抱きついてきた。それ以降のことに関しては割愛するが、恐らく前代未聞の転入生の挨拶だったと思う。 「でも、知佳ちゃんも人が悪いです。三上さんと同じクラスだってこと知ってたのにちっとも教えてくれないんですからぁ」 「あれ? 瑞原さんてちかぽんと知り合いなの?」 「……もしかして知佳ちゃんのことですか?」 「そうそう」 すると瑞原さんはくすくすと小さく笑いながら、 「知佳ちゃん、怒りませんでしたか?」 「初日だけかな? 次の日には全然気にしなくなってたよ」 その代わり、翌日から俺のこと“みーちゃん”と呼ぶようになったことを教えた。 「知佳ちゃんとは子供の頃からの知り合いなんです。家が近所だったものですからよく遊んでくれたんです。わたしにとって知佳ちゃんはお姉ちゃんみたいなものなんです」 お姉ちゃんという言葉にあることを思い出す。それは昨日の放課後、あともうちょっとで思い出せそうになっていたところを優風先輩に思考を遮られたためうやむやになってしまったのだが、家に帰って夜風呂に入っていたときに突然思い出したことだった。それはあの夜に出会った女の子が瑞原さんに似ていた……ううん、というよりも本人なのでは? なんて思えるぐらいそっくりだったということ。けれどもその考えは泡のようにすぐさま消えてなくなることとなる。何故かというと一つだけ大きな違いがあったから。それは瞳の色。瑞原さんは、透きとおった青い瞳だが、あの子はルビーのような透明感のある深紅の瞳だった。 「ねえ瑞原さん、一つ聞いてもいいかな?」 「何でしょうか?」 「あのさ、瑞原さんって姉妹いる?」 「姉妹、ですか?」 ちょこんと首を傾げる瑞原さん。 「そうそう。双子か、もしくは年の近いお姉さんか妹さんがいるとかしないかな?」 「わたし一人っ子でしたから友達とか見ているといたらいいなあーと思ったことはたくさんありましたね。でも、その代わり知佳ちゃんがずっと側にいてくれましたから」 そっか、一人っ子かぁ。てっきり双子かと思ってたのに……。それぐらいそっくりだったのにな、あの夜に出会った女の子に。まあ、仮にそうだったとしたところで、どうこうしようなんてこれっぽっちも考えていないんだけどね。ましてやこんな体だし。 「どうかしたんですか?」 「いやね、つい最近のことなんだけど瑞原さんに……あ、着いたよ。この先にあるのが図書室だよ」 「この先、ですか?」 「そう、突き当たりにある扉が入り口だよ」 瑞原さんは若干目を細め、真剣な表情をしながら扉を見つめていた。その仕草がなんとなく気になった俺は瑞原さんに声を掛けた。 「もしかしてあまり目、良くないの?」 「あ、はい」 そう言うと瑞原さんはスカートのポケットから小さなケースを取り出しパカッと開いた。ケースの中に入っていたのは眼鏡だった。 「あれ? 授業中は掛けていなかったよね」 「あ、はい。授業中はコンタクトを着けていたんですけど、最近切り替えたばかりでまだ慣れてなくって」 まだ長時間着けてられないんです、と笑いながら瑞原さんは眼鏡を掛けた。 「コンタクトって慣れるまで結構違和感あるんだよね」 「そうなんです。あのごわごわっとした感じが結構気になっちゃって」 「やっぱり眼鏡って邪魔?」 生まれてこの方、眼鏡なんて掛けたことがないのでよくわからないが、煩わしいとかうっとうしいとかの理由でコンタクトに切り替えた、なんて話をよく耳にする。 「そういうわけではないんですけど……。あ、あのぉ……三上さんはそのぉ……めめ、眼鏡を掛けた子と掛けていない子、どっちが好みですか?」 「は」 それまでの話とはまるっきしかけ離れた質問に思わず目を丸くする。 「で、ですからですね、そのその、えとえと……かかか、彼女にするんでしたら、眼鏡を掛けた子と掛けていない子、どちらにしますか?」 「はい? あ、あの……瑞原さん?」 まったくもって質問の意図がわからない。 「もしかして、彼女……いらっしゃるんですか?」 「へ? い、いや、いないけど……」 しかもどうして急にそんな話になるんだ? 一人首を傾げていると、瑞原さんはズズズっと体を乗り出しながら、 「ででで、でしたら、その……どちらの方が好みですか?」 「いや、その、何が?」 「ですから、眼鏡を掛けた子と掛けていない子、どちらが好みなんですか?」 「ああそっちのことね。そうだな……うーん、やっぱ相手によるかな?」 「相手、ですか?」 瑞原さんは意外そうな顔をしながら尋ねてきた。 「そう。好きになった子が眼鏡を掛けていれば掛けた子が、掛けていなかったら掛けていない子が好みになると思うよ」 「そうですか……」 瑞原さんは何故か残念そうに肩を落とした。 「でも瑞原さんって眼鏡、似合うよね」 「え」 「もちろん掛けていないときでも十分かわいいんだけどね」 「え、え」 「でも俺的には眼鏡を掛けているときの方がかわいいなあーと思うんだけどね」 先に断っておくが俺は眼鏡っ子属性なんてこれっぽっちも持ち合わせていない。ただ単に思ったことをそのまま口にした、それだけのこと。それだけのことなのに瑞原さんはどうしてそうなったのか、全くもってわからないけれど、なんだかものすごおぉーーーくやる気満々といった力強い口調で、 「止めますっ! わたし、コンタクト止めますっ!」 「へ? だって眼鏡を止めたくてコンタクトにしたんじゃないの?」 「はい、そうなんですけど、もうその必要なくなりました」 「そ、そうなの?」 「はいっ♪ 三上さん、ありがとうございます」 「いや、俺は何もしてないんだけど……」 お礼を言われるようなことなんてしていないのに……。ちょうどそのとき何かが手に触れてきた。反射的に手を引っ込める。直後、瑞原さんは今にも泣き出しそうなぐらい表情を崩し……いや、既に涙ぐんでいた。 「……三上さん……ぐすっ……わたしのこと……ぐすぐすっ……嫌い、ですかぁ」 「ちちち、違う。違うんだ。好きとか嫌いとかそういうことではなくて、これにはいろいろとわけがあって、えっとえっと……」 「ぐすっ……わけ、ですか?」 「そうそう。信じられないことかもしれないけれど、俺さ、その……女の子と握手できないんだ」 「……え?」 これでもかってぐらい拍子抜けした表情でじっと見つめてくる瑞原さん。そりゃそうだ。俺が瑞原さんの立場だとしたら、間違いなく信じないだろう。 「別に握手に限ったことじゃないんだけどね。どういう訳だかわからないんだけど、女の子に触れただけでだんだんと頭の中がぱあーって白くなっていっちゃってさ。ひどいときにはそのまま意識をなくしたりすることもあるんだ」 「そうだったんですか……。三上さん、ごめんなさい。知らなかったこととはいえ、そのその……ごめんなさいっ!」 「こっちこそごめん。でもさ、その……信じてもらえるの? こんな馬鹿げたこと」 「もちろんです、三上さんがおっしゃることですから」 瑞原さんは屈託のない笑顔を浮かべ大きく頷いてくれた。 「でも、このあいだはそんなことは起きなかったのに……」 「このあいだ?」 聞き返した瞬間、瑞原さんはあからさまにうわずった声を上げながら、 「いい、いえいえ、何でもないです、何でも。えとえと……あ、そうそう。図書室の次は何処ですか? 音楽室ですか? 視聴覚室ですか? それともそれとも、えとえと学食ですか?」 「学食? 学食ならお昼に案内したけど……」 「そそ、そうでしたよね、あは、あははは……。そうでしたよね、お昼は学食に連れて行ってもらったんですよね。や、やだ、わたしったら何言ってるんだろう……。ごめんなさい、変なことを言ってしまって。それでは音楽室に行きましょう。三上さん、音楽室は何処ですか?」 「音楽室なら、この上の階だけど……」 「でしたら時間もったいないことですし、早く参りましょう、ねっ、ねっ」 「別にそんなに急かさなくて……って、ちょ、ちょっと瑞原さん。さっき説明したばかりじゃないかぁー」 「でしたらキビキビ歩いて下さいね。も・し・も、のーんびり歩いているようでしたら、後ろから抱きついちゃいますからね♪」 「わかった歩く。歩くからそれだけは勘弁してくれー」 それから瑞原さんに急かされながらも一通り校内を案内したところで、そのまま部室である保健室へと向かった。
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