「三上クン、おっはようさぁ〜〜〜ん♪」 翌日、学園に到着し教室へと入ったところで名緒が挨拶をしてきた。げっ、昨日に続いて今日も厄日かよ……。少女マンガのように目をキラキラと輝かせていた名緒の表情に思わずため息をつく。 「なによ、そのあからさまに嫌そうな顔は。失礼しちゃうわねー」 長年の付き合いだからわかる。こいつがこんなに嬉しそうにしているときに限って、ロクなことが起きた試しがない。なので先手を打つことにする。 「先に言っておくが話なら聞かんぞ」 「なにお、せっかく夜も明けきらないうちに学校へ来て、何かあったときのためと思ってあらかじめコピーしておいた鍵を使って職員室へと忍び込むという苦労に苦労を重ねて仕入れてきたネタを真っ先に教えてあげようと思ったのにいぃぃぃーーーっ!」 やっぱりな。それにしても職員室の鍵をコピーしてあるとはある意味さすがだと言うべきであろう。まあいいや。とりあえずこんな犯罪者と付き合ってられん。犬でも追い払うかのように手をシッシと振りながら、 「大いに遠慮しと……うわあっ! こら名緒! 何考えてんだよ、おまえはっ」 名緒の姿が視界からいなくなったことに気が付いたときには既に遅かった。背後から名緒が勢いよく抱きついてきた。 「聞きたい? もちろん聞きたいよね〜」 「バカ、いいからとっとと離せ!」 「聞きたいって言ったら、すぐにでも離してあ・げ・る」 「嫌だ、それだけは絶対に嫌だぁー」 「相変わらず、強情なんだから♪ それじゃあこれならどうかな」 首に回されていた手にぐいっと力が加わってくる。同時に背中に押しつけられていたあれが更に密着してくる。うーん、それにしても相変わらず成長してないな。優風先輩から少し分けてもらえば……何で俺は冷静に分析なんかしてるんだ。今はそんなことしてる場合じゃねえだろうがっ。 「いい加減しつこいぞ。聞きたくないものは聞きたくない、そう言ってるだろうがっ!」 「あ、そう。それじゃあこれならどうだ!」 「うわわわぁぁぁっ! みみみ、耳に息が息ぐわあぁぁぁーーーっ! わわわ、悪かった。俺が悪かった。全面的に悪かった。聞きたい、すっごく聞きたいです。お願いですから聞かせてぐだざいぃぃぃーーー」 「そうそう、最初からそう素直に言えばこんな目に遭わなくて済んだのにね」 そう満足げに言ったあと、名緒はぱっと手を離した。 「危なかった……。名緒、あやうくもう少しで制服が血まみれになるところだったぞ」 「まったく、そんなことでこれから先どーすんの? いい加減、少しは慣れてくれないとボクの日頃の努力が報われないでしょう」 「そんなこと言われたってなあー。でもさ、前に比べたらずいぶんとマシになってきたじゃないか」 すると名緒はこれでもかってぐらい大きなため息をついてから、 「まあ確かにね。でも、それはボクだけであってボク以外の人にはまるっきしダメダメじゃないさ。はあ、ボクとしてはいい加減そろそろさかりを迎えてくれるとすっごく楽になるんだけどなあ。あ、だからといってうちのちびたんには手を出さないでね。嫁入り前の大切な体なんだから」 「俺は猫かっ」 ちなみに“ちびたん”とは名緒が飼っている猫の名前である。 「でもさ、三上クンって結構身長あるし、顔だってそこらの男子よりは全然整ってるし、その気になればいつだって彼女できると思うんだけどなぁー。そういえばさ、春先なんて事情を知らない下級生から確か六通……違った七通だったよね、ラブレターもらったもんね」 本人すら覚えてないのに何でこいつはそこまで覚えてるんだ? っていうか、俺、こいつに話した覚えなんかないぞ。 「そんなこといいからさっさと話進めろよ。HRまであまり時間ないぞ」 「そういえばそうだね。それじゃあ早速だけど本題に入るね。今日ね、このクラスに転校生が来るんだって」 転校生? そういえば瑞原さん、今日からこの学園に通うとか言ってなかったか。しかも俺と学年が一緒だって言ってたから、ふーん、そういうことかー。 「そっかー、瑞原さん、うちのクラスに来るんだ」 「そうなのそうなの。しかもね……」 「結構かわいいんだよな」 「そうそう。転校生で美少女、そんなシチュエーションときたらどっかのご都合主義たっぷりの恋愛小説みたいだもんね。うちのクラスの男子、きっと黙ってない……って、ちょっと三上クン、何で七海ちゃんのこと知ってるのよぉ!」 ものすごい剣幕で俺を捲し立てる名緒。知ってるもなにも昨日本人に会ったし、その上あんな衝撃的な出会いをした訳だし……。事情を話したらそれはそれで大変なことになるだろうから、とりあえず誤魔化すことにする。 「まっ、気にするな。こういうときもあるさ」 「………………」 「うん? どうした名緒? 黙ってないでさっさと話、続けろよ」 どういう訳だか俯いたまま急に黙り込んでしまった名緒に話を進めるように促す。 「……………か」 「うん?」 「…………ばか」 「は?」 俯いていた顔を上げると同時に鋭い視線で俺のことを睨みつけながら、 「三上クンのぶぅぅぅわぁぁぁかぁぁぁーーーっ! そんな薄情者には、こうしてやるうぅぅぅーーーっ!」 「て、てめえ! 昨日といい、今日といい、そんな縁起の悪いもん、机に置くんじゃねえっ!」 すかさず机の上に置かれた花瓶を突き返す。 「元はといえば、ボクの楽しみ奪ったキミが悪いんじゃないかあぁぁぁーーーっ!」 「そんなの知るかっ! 文句があるんだったら作者に言え、作者に」 「なにそれ、意味わかんないよぉ」 「あ、あのぉ〜〜〜」 緊迫した空気を根底からぶち壊すようなものすごく間の抜けた声。あまりの声に全身から力が抜けていく。肩をがっくりと落としたまま声が聞こえてきた方に目を向ける。予想通りそこにはちかぽんがいた。 「あ、知佳センセ、おはようございます」 「おはよう、名緒ちゃん♪」 名緒の元気のいい返事を返していた。どうやら力が抜けたのは俺だけのようだ。 「……おはよ」 「みーちゃん、どうかしたの? 全然元気ないよぉ。もしかしてお腹出したまま寝ちゃって風邪でも引いちゃったとか」 こののほほんおっとりとした人は、ちかぽん……じゃなかった鈴木知佳(すずきちか)。一週間前、急遽退職した保険医の後任としてこの学園へと赴任してきた。ちょっとトロンとした茶色の瞳にほんのちょっと童顔な顔立ちで、軽くウェーブの掛かった髪は色素が薄いせいかちょっとだけ茶色っぽく見えた。赴任当日、全校生徒の前で行われた挨拶の席上で『あるコト』が受けに受け、初日にして一部の男子学生から絶大の人気を得たという肩書きを持っていた。 『あるコト』……それはごくごく普通の人がいくら努力したところでその領域へと達することが極めて困難であり、生まれ持った人だけにしかその真価を発揮することのできないと言われる伝説の奥義、“天然ボケ”だった。 「そんなちかぽんじゃあるまいし……」 小声で言ったつもりだったのだが、どうやらちかぽんに聞こえていたようだ。ちかぽんはぷくーっと頬を膨らませると、 「そんなことないもんっ! 昨日はちゃんとパジャマをパンツではさんだから大丈夫だったもんっ!」 そこまでムキになるとかえって怪しいぞ。しかも昨日ってところをものすごく強調してるし……。さすがはちかぽん、抜かりはない。 そういや何でちかぽんがここに……。ああ、いつものあれか。それにしたって一週間も経つんだからいい加減覚えてほしいとは思うんだけど仕方ないか……。 「あのさ、ちかぽん。もしかしてまたか?」 「え? え、え、え?」 「センセ、何も言わなくていいからね」 二人して大きくため息をつく。ちかぽんは極度の方向音痴で自分の仕事場である保健室に行こうとして何故かこの教室に顔を出すことが多々あった。(ちなみに多い日は、一日に二桁という記録をマークしている) 「ちかぽん、ここは三階だから保健室はないぞ」 「え? え、え、え? そそ、そうだったよね、うんうん。三階は二年生の教室しかなかったよね。ごめんね、いつも迷惑掛けてばかりで」 「気にしなくていいよ。もう慣れちゃったから」 「保健室まで案内しようか?」 するとちかぽんは頭を左右に振ってから。 「ううん、ここまで来れば大丈夫だよ。だってここからならみーちゃんたちが作ってくれた道案内があるから」 そういや名緒と一緒に壁に保健室までの道順を貼り付けたっけ。 「がんばれよ。さてと名緒、邪魔が入ったが続きいいか?」 「もちろん、望むところよ」 名緒の了解を得たところで第二ラウンドのゴングを鳴らす。 「あれ? なんか忘れているような気が……。すっごく大切なことだったような気がするんだけど……。うーん、何だったっけなあ……ああぁぁぁーーーっ! そそ、そうだよぉ〜〜〜。今日は担任の山崎先生がお休みだから、私が代理でHRをするために来たんだよぉぉぉ〜〜〜」 「ねえ三上クン、知佳センセ、何か騒いでたみたいだけど……」 確かに何か言ってたような気もしないでもないが……。いや、もしかしてこれは名緒の戦略なのでは? そうだ、きっとそうに違いない。ふー、危なかった。危うく名緒に騙されるところだった。 「なんだ、もう負けを認めるのか?」 「なにおうっ! いつ、誰が、負けを認めたってぇぇぇーーーっ!」 「ふたりともぉぉぉ〜〜〜、お願いだから先生の話を聞いてよぉぉぉ〜〜〜」 ちかぽんがやっとの思いで俺と名緒を止めたときには、HRの開始を知らせるチャイムがなってから五分後のことだった。
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