HR終了後、クラスメイトから暖かい拍手で見送られた俺は感謝の意をグッと堪え目的地である保健室へと向かった。 (くそっ、あいつら覚えてろよ) 特に名緒っ! 教室から出て行く間際に人の机にそれはもうとても縁起のいい白や黄色の菊を生けた花瓶なんぞ置きやがって。あいつとだけは一度きちんと話し合う必要があるようだ。それもまあ何事もなく無事に生還できたらの話なのだが。そうこうしているうちに一階にある保健室へ到着した。 (大体さ、俺が一体何をしたっていうんだよ……) そもそも一度も会ったことのない倉田先輩にどういった経緯で恨みを買うようなことをしていたのか、これっぽっちも見当つかなかった。きっと何かの間違いだろう。いや間違いであってほしい。そうであることを心から祈りつつ、保健室のドアに手を掛ける。 「失礼します」 「あ、優風さん。知佳ちゃんでした……ら」 「あっ……」 ドアを開け保健室に足を踏み入れようとしたところで思わず立ち止まってしまう。中には女の子がいた。しかも一目見ただけでわかるぐらいそれはもうかわいい美少女だった。 整った顔立ち、すうーっと通った鼻筋、長い睫毛、淡くピンク色がかった頬……あれ? そういやこんな台詞、つい最近口にしたような気もするようなしないような……。まあ恐らく気のせいだろう、うんうん。透きとおった青い瞳が特徴的で艶のある黒髪が淡いピンク色をしたビキニを……って。 あれビキニ? だって水泳の授業ならもう半月も前に終わっているじゃないか。何で今更そんな格好をする必要があるんだ。確認のため、もう一度よく見る。そういや水着にしてはちょっと……いや、かなり生地が柔らかそうに見える。あれ? ちょっと待てよ。女子の水着ってこんなデザインだったか? 確かもっとこう露出度が低くて、色はこんな色じゃなくって紺色じゃなかったっけ? そうそう俗に言うスクール水着というやつじゃないか。ということはこれは水着ではなく他のものなのでは? 他のものって一体なんだよ。こんなの普通に考えたら下着とか下着とか下着とか……。ああ、それなら納得できる。道理で水に濡れたら透けそうな生地なわけ……あれ? ちょっと待てよ。 下着? 下着だってえぇぇぇーーーっ! ななな、何でこんなところでそんな格好してるんだよ。ももも、もしかして俺、間違って更衣室に……って、そんなちかぽんじゃあるまいし、いくらなんでも間違えないだろ普通。 「う、嘘……」 「いや、あの、その……」 どどど、どうしよう。まずいよ、これ。どう考えたって絶対まずいよ。とりあえず笑って笑って誤魔化すとか……なんてわけにはいかないよな。それじゃあどうすれば……そうだ。謝ろう。とりあえず謝ろう。許してもらえるまで何度でも謝ろう。 「司ちゃんがどうしてここに……」 「ごご、ごめんなさい。その、あの、えっと俺さ、その……保健室に用があってその……ドアを開けたら……え、司ちゃん? ど、どうして俺の名前を……」 女の子は手早く天井からぶら下がっていたベッドを囲うときに使うカーテンを体に巻くと、 「えとえと、そのその……ごごご、ごめんなさいっ! こんなはしたない格好で……」 「そんなことはない。結構なものを見させていただきまして……じゃなくって、その、あの、えっと……とにかくごめん!」 何バカなこと言ってるんだよ、俺は。とにかく謝らないと。許してくれるまで何度でも謝らないと。 「ねえみやっち。この子さ、結構いいプロポーションしてるって思わない?」 声が聞こえてきた。背中から、耳元に向け甘くささやくような、そんな声だった。 「そ、そうですね」 「これでさ、あともうちょっと胸があったら言うことないって思わない?」 「でもこれはこれで十分かわいいかと……」 全身から冷や汗が……。恐る恐る振り返るとそこにはそれはもうとっても素敵な笑みを浮かべた女性が立っていた。どこかのモデルかと見間違えそうなぐらいの顔立ち、ウェーブの効いたロングのブロンドの髪、凛とした赤茶色をした瞳からは相手に有無を言わせない威圧感がひしひしと伝わってくる。 「気持ちはわからなくもないけど、さすがに覗きはちょっと感心できないわね」 「べべべ、別にあのですね、その……覗きをしてたわけじゃなくってですね……」 リボンの色から上級生であることを示していた女性は鋭い視線を向けると、 「その辺、詳しい話を聞かせてもらえると嬉しいんだけどな。これからちょっと時間いいかしら?」 「は、はい……」 直後、こちらが声を掛けるまで廊下で待っていること。あんたみたいな覗き魔が近づいてこないよう見張っていること。もちろん逃げた場合は命の保証はないから、ときつく釘を刺されたあと反対側の壁へと蹴り出された。その蹴りといったらよく骨が折れなかったと思えるぐらい凄まじい破壊力のあるものだった。
蹴られたところをさすりながら待つこと数分、保健室へと連行された俺は指示された椅子へ腰掛ける。四角いテーブルを挟んで前には俺を蹴り飛ばした女性、そしてその隣には制服に着替え終えた美少女が座っていた。 「それにしても窓とか天井からこっそりと覗くんじゃなくて、ドアを開け真っ正面からやるなんて、ほんと最近の若い子ってずいぶんとまあ大胆な行動をするものね」 どこから持ってきたのか、汚れ傷の具合からしてかなり年季が入っていると思われる金属製の電気スタンドから差す光がとても眩しい。これでカツ丼でも出てきたら取調室の雰囲気をすべて堪能したことになるだろう。 「違います、そんなんじゃないんです。俺はある人に呼び出されてここへ来ただけであって、ましてや着替えてるだなんて……」 女の子は何でも明日からこの学園へと通うこととなった転校生なんだそうで、手続きが終わったところでここ保健室で届いたばかりの制服の試着をしていたということだった。 「お黙りっ! 理由はどうであれ、女の子の着替えを覗くなんて、たとえ神が許したって私が許さないわ」 「優風さん違います。三上さんは悪くありません。わたしがここで着替えさえしなければこんなことにはならなかったんです。だからわたしが悪いんです」 「七海っ、あんたは黙ってなさい! これはね、あんただけの問題じゃないの。こういうのはきっちり白黒つける必要があるの。あんたみたいにうじうじと泣き寝入りする女性がいるから、こういう犯罪が一向にこの世から減らないの。いい、わかった」 「あ、あのう……」 あくまでも不可抗力であって決して覗きをしようだなんて気はなかった。そう言おうとしたところで、 「あんたは黙ってなさいって言ったばかりでしょうがっ! 大体ね、あんたがここに入る前にちゃんとノックさえしていれば、こんなことにはならずに済んだでしょうが。言ってること間違ってる」 「……はい、おっしゃる通りです」 あまりの恐ろしさに、ただただ頷くしかなかった。 「いくら何でもそれはあんまりです。三上さんは別に覗きをしようとしていた訳じゃなくってですね、そのその……そ、そうです! 事故みたいなものなんです」 「事故おぉぉぉ」 「そうです! 事故なんですよ、事故事故」 見るからに怪訝そうな表情を浮かべている優風さんと呼ばれる女性に向かって七海と呼ばれた女の子は言葉を続けた。 「ふーん、事故ねぇ」 「事故。事故なんですよ、事故事故。正真正銘の事故なんですよ」 「……わかった。七海がそこまで言うんだったら事故ということにしてあげる」 返事を聞いた途端、女の子の顔から笑みが溢れ始めた。 「わかっていただけましたか?」 「ええ。それじゃあ事故と決まったところで慰謝料でも頂きましょうか」 「あ、あの……優風……さん?」 さっきまでの表情はどこへやら。瞬く間に女の子は表情を曇らせていった。 「だって事故なんでしょう? だったらそれぐらい当然よね」 「当然じゃありません。それにわたし慰謝料なんていりません」 「大丈夫、あとのことは私に任せておきなさいって。ところでみやっち」 「……」 女性は顔はそのままで視線だけをこちらに向け声を掛けてきた。一瞬自分が呼ばれたのかと勘違いしてしまいそうになってけれどあいにく俺はそんな名前ではない。もしかして誰か来たとか。そういやこっち側がドアだったっけ。けどドアが開いた音は聞こえなかったんだけどなあ……。あとで耳掃除でもしなきゃダメかな? そんなことを思いながら後ろを振り返る。あれ? 誰もいないじゃないか。 「ふーん、名前を呼ばれても返事しないなんていい度胸ね」 「え……。もしかして……俺、ですか?」 「あんた以外に誰がいるって言うのよ。いいこと、一度しか言わないから聞き逃すんじゃないわよ。名前を呼ばれたらきちんと返事をする。挨拶というのはね、この社会でコミュニケーションをとっていく上で必要最低限のことよ。わかった、わかったんだったら返事をするっ!」 「は、はい、わかりました」 どうやら俺の呼び方は既に決まっていたらしい。 「以後、気を付けるように。それじゃあ話を元に戻すけど、みやっちって確か帰宅部だったわよね?」 「はい、そうですけど……」 「だったらさ、この子のために一肌脱いでもらえないかな? この子が所属するサークル、部員が一人足りなくて困っていたところなのよ」 さっきのことは水に流す代わりに女の子が所属するサークルに入れ、そういうことらしい。 「まあ、サークルといっても形式だけで大した活動するつもりなんてないから安心して良いわよ。たまに顔だけ出してさえくれれば、あとは好きにして良いから、どう?」 はあーっと大きくため息をつく。どーせ俺には拒否権なんかないんだろうな。でも料理部とか手芸部みたいな男が入りそうもないサークルだけはさすがに嫌だな。半ば諦めながらもとりあえず尋ねてみることにする。 「ちなみにそのサークル、どういった活動をするところなんですか?」 「知らない」 「……はい?」 予想外の答えに目を丸くする。 「ねえ七海、どんなサークルにするんだったっけ?」 「優風さん、何言ってるんですか。昨日のお夕飯のときに『明日、みんなでお話しして決めましょう』ってことになったじゃないですか」 「そうだっけ? まぁ、いっか。みやっち、聞いての通りこれから決めるってさ」 「……」 もう返す言葉も思いつかない。 「こらこら、男の子なんだからそんな細かいこといちいち気にするんじゃないの。もうそろそろ、麻子と典子も来るだろうから、そしたらすぐにでも決まるから。あ、そういえば自己紹介がまだだったわよね。私は倉田優風。一学年上になるわね、よろしく」 「え、あなたが倉田先輩、ですか」 この人が俺を呼び出した張本人だったのか……。 「ちょっい待ち、私のことは名前で呼ぶこと、決して名字では呼ばないこと。OK?」 「わかりました。それじゃあ優風……」 「女王様」 「……」 なんか頭痛がしてきた。 「ちょっとノリが悪いわねー」 「そ・よ・か・さ・ん」 女の子は目を吊り上げ怒りを露わにしていた。 「もう、ちょっとした冗談じゃないの。“先輩”でも“さん付け”でも“呼び捨て”でも、みやっちの好きな呼び方で構わないわ」 「それじゃあ優風先輩でいいですか」 「Good♪ そんでもってここでぷんすかしてるのが瑞原七海(みずはらなみ)。みやっちと同学年になるわね、仲良くしてあげてね」 「別にぷんすかなんかしてません! あ、瑞原七海です、よろしくお願いします」 「俺は三上司。こちらこそよろしく」 女の子……じゃなかった、瑞原さんはぺこりと頭を下げたあとにっこりと微笑んだ。あれ? そういや瑞原さんどこかで見かけたような気がするんだけど……。えーと、どこだったっけなー。確かつい最近だったような気がするんだけどなあ……。あれやこれやと記憶をたどっていると、誰かが俺の肩をバンバンと叩いてきた。 「それじゃ挨拶も無事終わったことだし、部長であるみやっちから一言もらいましょうか」 「は」 ちょっと待て。優風先輩、今なんて言った? 俺の聞き間違いでなければ俺が部長とかどうとか言ってなかったか? ふーん、俺が部長かあー。どんなサークルかすら決まってないのにそいつは大変だあー……って、えぇぇぇーーーっ! ぶぶぶ、部長だってえぇぇぇーーーっ! 「ちょっと待って下さい。何で俺が部長なんですか? それ俺、まだサークルに入るなんて言ってないです」 すると優風先輩はニヤリと不敵な笑みを浮かべながら見るからに窮屈そうな胸ポケットから何か箱状のものを取り出した。取り出したものを見せつけるかのようにゆっくりと差し出してくる。差し出されたもの、それは最新型の小さなデジカメだった。 「別に強要する気なんてこれっぽちもないけどね。ただし、そのときはこれが学園中に出回ることになるかもしれないけどいい?」 「何が写って……げげげっ! い、いつの間にそんなものを……」 一体デジカメを手元まで引き戻してからちょいちょいとボタンを操作する。今度はひっくり返し液晶パネルが俺に見えるような形で差し出してきた。見た瞬間、驚きのあまり目の前が真っ白になっていく。そうモニターにはさっき俺が保健室のドアを開けた瞬間の光景が憎たらしいぐらい鮮明に映し出されていた。 「最近のデジカメってすごいわよねー。こんなにくっきりはっきりと写るんですもの。仕方ない、みやっちがそう言うんだったら、こーれ、持ち主に返してこようかなあー」 「いいっ! それって優風先輩の持ち物じゃないんですか?」 「そっ、みやっちの知り合いから今日だけ借りてきたの」 嫌な予感がする。ものすごく嫌な予感がする。とんでもなく嫌な予感がする。何故かって、それはこれと同型のデジカメを持っている奴を知っているから。そうでないことを祈りつつ恐る恐るデジカメに目を向ける。……うっ、やっぱり……。どうして嫌な予感ってこうも的中するものなのだろうか。ストラップの先についてる猫の人形があざ笑うかのようにこちらを見ていた。 「みやっちならどうなるかわかるわよねー。今から明日の朝が楽しみでしょうがないでしょう」 タイミングを見計らったように優風先輩がとどめの一撃を刺してきた。 「で、どうする? 入部するの、しないの、どっち?」 やっぱり俺には選択肢なんて存在しなかった。俺はテーブルへと頭を擦りつけながら、 「つつつ、謹んで入部させていただきます……」 「うんうん、人間素直が大切よね。あ、もちろん部長も引き受けてもらえるわよね」 「ええ、それはもう喜んでやらせていただきますですはい」 きっと今泣いたら血の涙になってるんだろうな……。とってもハッピーな気分だった。 「うんうん、そうこなくっちゃ。それでこそ男ってもんよね」 「あ、あの優風さん、それは脅迫というのでは……」 それからまもなくしてここへとやってきた麻子先輩と典子先輩を交え、サークルの活動内容についての議論が始まった。
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