あれからちょうど一週間が過ぎ、机の上に枕代わりに組んだ腕に頭を乗せ、食後の優雅な睡眠を過ごしているときのこと。 「…………クン………上クン……ちょっと三上クンってばぁっ! きゃっ!」 目を開けると何故か目の前には床へと座り込んでいる女の子の姿があった。女の子の名は、佐藤名緒(さとうなお)。中学に入学して以来ずっと一緒のクラスという腐れ縁みたいな関係だ。栗色をしたショートボブに薄茶色の瞳、血色のいい肌色が元気いっぱいの性格によくマッチしている。白のワンピースをベースに襟はセーラーカラーには黒いラインを二本、肩はふわっと膨らませボリューム感を持たせ、胸元のリボンは学年を表すエメラルドグリーンのリボン、そしてボタンは中心よりも左側によせ配置され、スカートの裾にあしらわれた黒のレースがアクセントとなっていた。名緒の話によると数年前にデザインを変更したものだそうで、この辺りではかわいらしいと評判で制服目当てに入学する人も多いそうだ。 「何してるんだおまえ、床なんかに座り込んで。せめて新聞紙か段ボールでも敷いてから座った方がいいと思うぞ」 「誰のせいよ、誰の」 「……さあ?」 まったくもって見当つかない。名緒は首から提げたストラップの先にあるデジカメを手に取ると心配そうな表情であちこちを覗き込んでいた。それから十数秒後、よかったーと安堵の表情を見せたのもほんの一瞬のこと、見るからに不満128%(当社比)といった視線で俺を睨みつけながら、 「三上クン、自分のしたこと自覚ある? もう、壊れていたら弁償してもらうところだったんだからね」 「はあ? 何で俺が弁償するんだよ」 「どう考えたってキミのせいじゃないか。キミが掴んでるのがなによりの証拠よ」 「俺が掴んでいる? 別に何も……って、うわあぁぁぁっ!」 予期せぬ事態に驚いた俺は思わずぱっと手を開く。 「あ……」 しまった、と思ったときには既に手遅れだった。俺という支えを失った名緒はそのままドンッと床へと落ちた。 「痛たたたた……。もうっ、いくら何でも手を離すなんてあんまりだよ」 「悪い悪い、つい」 とりあえず頭を下げる。すると名緒はぷんすかしながら立ち上がると、スカートについた埃をパンパンとはたき始めた。不可抗力とはいえやっぱり申し訳ないと思うわけで。恐らく寝ていたときに右肩に触れられたと同時にそのまま思いっきり手を引っ張ってしまったのであろう。 「悪いな。でもおまえは知ってるだろ、右はダメだって」 「だからっていきなりこれはないんじゃない? せっかくお客さん連れてきたのに」 「お客さん? 俺はおまえなんかと違って強請なんかしてないぞ」 「誰がそんなことしてるのかな?」 声はいつも通りだったが、不敵な笑みを浮かべ睨みつけるその様はちょっと怖い。 「もうっ、変な噂広めないでよね。初対面の人に勘違いされたらどうしてくれるのさ」 「いや、それだったらなおさら事実を教えておいた方がいいだろうと思ってな」 「ふーん、三上クンってば、そういう風にボクのことを見てたんだね」 さっきよりも視線がグサグサと突き刺さってくる。ちょっと調子に乗りすぎたかな、そう思ったときのことだった。名緒の背後から丁寧な声が聞こえてきた。 「お取り込み中のところ大変申し訳ありません」 「あっ、すみません、お待たせいたしまして。お探しの商品はこれです、これ。今なら金利手数料はサービスしますよ」 名緒はテレビショッピング顔負けの営業スマイルで売り込み始めた。こらこら、本人の許可なしに俺を家電扱いするんじゃない。つっこみはその辺で止めておくとして、そんなことより先程の声の主が誰なのか気になった俺は名緒の後ろに目を向ける。そこには胸元のリボンの色から上級生と思われる女の人が二人立っていた。一人は物静かな様子から同年代の女性と比べてちょっと大人びた、そんな感じだった。紫水晶をはめ込んだような澄んだ瞳、腰よりも長くまったくといっていぐらい癖のないストレートの銀髪とそれを更に引き立たせる色白の肌。それに体全体を包み込む雰囲気がまるでフランス人形をイメージさせるようなとてもきれいな人だった。そしてもう一人はというと……本当に高校生なのか? もしかして中学生なのではないかと勘違いしてしまいそうなぐらいとてもちっこい女の子だった。興味津々といった様子できょろきょろと茶色の瞳を動かし、その度にこめかみよりちょっと上あたりで束ねられた明るい茶系のツインテールの髪がゆさゆさと大きく揺れていた。 銀髪の女性は一歩足を踏み出すと、 「三上様でいらっしゃいますか?」 「は、はい、そうですけど……」 いくら長いとはいえ髪の先端が床に着きそうなぐらい深々とお辞儀をすると、 「お初にお目にかかります。わたくし3−Aに籍を置いています仁科麻子(にしなまこ)と申します。こちらはわたくしの双子の妹で典子(のりこ)といいます。以後お見知りおきを」 「よろしくね、みーちゃん」 「はあ」 普通、双子ってそっくりなもんじゃないのか? ここまで違うととても双子だなんて信じられ……あ、そうか。二卵性か。 「優風様よりお言付けを預かってまいりました」 「優風……様?」 そんな名前、聞いた覚えないぞ。たぶん顔に出ていたのだろう、麻子先輩はさっきのように頭を下げると、 「あ、わたくしとしたことが失礼いたしました。倉田優風(くらたそよか)様よりお言付けを預かってまいりました」 「……ちょっと三上クン、一体何をしたの」 隣にいた名緒が耳元で俺にしか聞こえないぐらい小さな声で話しかけてきた。 「いや何も。それどころかそんな名前の人すら知らんぞ」 すると名緒は、あからさまに信じられないといった表情を浮かべながら、 「もう忘れちゃったの? こないだ話したばかりじゃない。例の先輩よ、セ・ン・パ・イ」 「いいっ!」 ちょちょちょ、ちょっと待て。何であの先輩が俺なんかに用が……。あまりのことにどう返事していいのか困ってしまう。なにせ倉田先輩といったら、この学園でその名を知らない奴なんていないぐらい超有名人だった。 確か転入してきたのは……そうそう、あの摩訶不思議な出来事のあった翌日だったはず。学年は一つ上だから目の前にいる仁科先輩たちと同学年になるな。名緒の資料によると、成績は優秀、スポーツは何でもOK、美人でその上同性からでも羨ましくなるぐらい(そういや名緒のやつ、その話をしているときに自分の胸元を見てがっくりと肩を落としていたっけ)極上のプロポーションをしているそうだ。話はそれで終わらない。転入初日にしてそのイメージは大きく覆されることとなった。午前中の内に7、8割近くの生徒を、午後には生徒会を掌握した彼女は、放課後を迎える頃には一部の教員からも恐れられる存在となっていた。だからといって彼女は手に入れた権力を振り回すような真似はしなかった。ただし例外がないわけでもない。彼女に呼び出された奴は一人として生きては戻ってきていないとのことだった。 「…………様………上様……三上様?」 「……へ?」 「あの、どうかなされましたか?」 どうやら俺は話しかけられていたことに気がつかなかったようだ。 「い、いえ、何でもないです、何でも。どうぞお話続けてください」 「かしこまりました。それでは優風様からのお言付けをお伝えいたしますね。放課後、保健室の方にお越し下さいとのことです」 それは紛れもなく死刑宣告以外の何者でもなかった。 「あああ、あのですね仁科先輩、その……」 「三上様、差し支えなければわたくしのことは麻子とお呼びいただけませんでしょうか?」 「麻子、ですか?」 「はい」 すかさず麻子先輩の隣にいたえっと確か名前は……そうそう典子先輩が側まで歩み寄ってくると、ひょこっと背伸びをし肩をバンバンと叩きながら、 「みーちゃんみーちゃん、あたしも典子でいいよぉ」 「は、はあ……」 本人たちがそう言うんだからこれからはそう呼ぶことにする。 「わかりました。えっと麻子先輩、念のため確認したいんですけど、本当に俺なんですか? こいつじゃなくって」 「ちょっと三上クン」 「冗談だよ、冗談」 麻子先輩はにっこりと微笑みながら、 「ええ、間違いありませんわ。優風様からのお言付け、確かにお伝え致しましたので、くれぐれもお忘れのないようお願い致しますね。それではこの辺りで失礼いたします。典子ちゃん、教室に戻りますよ」 「はぁ〜〜〜い。みーちゃん、またあとでね〜〜〜」 麻子先輩はお辞儀をすると優雅な足取りで、典子先輩はスキップしながら教室の外へと歩き出した。それからドアのところでこちらに振り返ると、麻子先輩はもう一度頭を下げ、典子先輩はものすごい勢いでブンブンと手を振りながら教室をあとにした。 「ねえねえ、三上クン三上クン」 二人の姿が見えなくなったと同時に名緒がデジカメ片手に見るからに興味津々といった様子で詰め寄ってくる。ま、いつものことだ。記者としての血が騒ぐのであろう。ったく、こっちはそれどころじゃないっていうのに、こいつときたら……。ほんと芸能レポーター並みの図太い神経持ってるよな。 「先に行っておくがコメントならなんもないぞ」 「えぇぇぇーーー、そんなぁぁぁーーー、せっかくこんなとびっきりのいいネタが転がってきたっていうのにぃぃぃ〜〜〜。……何てね。ま、仕方ないか、それに関しては独自に調査するってことで……はいこれ」 差し出された手には、思わず『どこからそんなもん持ってきたんだぁーーー』と思わずつっこみを入れたくなるぐらい大きな救急箱を持っていた。 「あ、ありがとうな。でもさ、その程度で済むもんなのか? 確かおまえのネタによるととてもじゃないけどそんなもんで済まなかったよな」 「そうだね。ボク的にはどちらかというとこっちの方がいいかなと思うけど。そうそう掛けるときは市外局番を忘れちゃダメだからね」 今度はトラジマの猫の人形が付いたストラップ、その先には最近発売されたばかりの携帯電話がゆらゆらと揺れていた。 「おまえさ、人ごとだと思って楽しんでないか」 「うん、だって人ごとだもん♪ あっ、ねえねえ三上クン、友達の場合っていくら包めばよかったんだっけ?」 「……」 「あれ? どうしたの? ああ、そっかそっかぁー。ボクの優しい心遣いにすっごく感動してたんだね。もお〜、しょうがないなあぁ〜〜〜。それじゃあ、特別にもう千円、奮発しちゃおっかなぁ〜〜〜♪ あ、もちろん税込みだからね。最近、総額表示に変わったから」 「っんなもんいらんわっ!」 差し出された黒白の紐が結わえられていた袋をそのまま名緒へと突き返した。
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