おいおい、とっておきの場所ってここかよ……。てっきり新聞部の部室にでも連れて行かれるもんだと高を括っていたのだが、連れてこられた場所はというと……。最近、放課後になると頻繁に顔を出しているところだった。名緒は躊躇することなくドアに掛かっていたプレートを……って、ちょっと待て。今までこんなもんぶら下がっていたか? ひっくり返された面には『しんさつちゅう』と丸っこい字(しかもひらがな)で書かれていた。名緒は『これでよしっ』と一人うんうんと頷いてからガラガラとドアを開けた。 「知佳センセー、いますかぁー?」 「あ、名緒ちゃん、いらっしゃ〜い」 遅刻してきた手前、副担任であるちかぽんに顔を合わせづらかったのだが、ここまで来た以上今更どうしようもない。ちかぽんが知らないことに期待することにした。 「ど、どうも」 「お、おはようございます、知佳ちゃ……知佳先生」 「二人ともおはよぉ〜〜〜。ああぁぁぁ〜〜〜っ! こーら、二人とも遅刻しちゃ駄目じゃないのおおおぉぉぉ〜〜〜っ」 やっぱり知ってたか。そりゃそうだよな、副担任だし。 「す、すいません」 「ご、ごめんなさい」 二人揃って頭を下げる。 「ほんとだったらぁ〜、廊下にバケツを持ったまま立たせるとかぁ〜、原稿用紙二枚に反省文を書かせるとかぁ〜、それからそれから……そうそう、放課後中庭の掃除をさせるとかぁ〜。やっぱりそれなりの処罰を与えないといけないんだろうけどね。でも、遅刻とわかっていながらもずる休みせずちゃんと学園に来たから、今日は特別に許して上げるねっ♪ ところで三人揃ってどうかしたの? もうすぐ授業、始まっちゃうよ」 「センセ、もう忘れちゃったんですか? HRのとき、センセが『三、四時限目の授業、お休みだからね。隣のクラスに迷惑掛けちゃ駄目だぞぉ〜』って言ったじゃないですか」 「あ……そういえばそうだったね。ごめんね、すっかり忘れてた」 「ところでセンセ、場所、お借りしたいんですけどいいですか?」 「うん、いいよ。それじゃあみんなのお茶でも入れてこよっかなぁ〜」 ちかぽんは椅子から立ち上がると鼻歌交じりに給湯室(保健室の隣でしかも廊下を介さなくても直接行ける)へ姿を消した。名緒はきょろきょろと辺りを見回してから『二人とも、そこに腰掛けてもらえるかな?』と言いながらベッドを指さした。名緒に言われたとおり二人揃ってベッドへと腰掛ける。当の名緒はというとベッドの側に置いてあったパイプ椅子へ腰掛けた。 椅子へ座るなりはあーーーっと大きなため息をついてから、 「それにしても、まさか三上クンに先を越されるなんてなぁー。やっぱショックよねぇー」 「は? 何がだ?」 さっぱり意味がわからん。 「しかもそれだけならまだしもその日のうちにホテルまで行くなんて……。キミとは中学からの腐れ縁だったけどそこまで大胆だったとはねぇー。キミもやるときはやるもんだね、うんうん」 そう言いながら嬉しそうにバンバンと俺の肩を叩いてきた。 「名緒、痛いぞ」 「男なんだからさー、それぐらい気にしないの。ねえねえ七海ちゃん、昨日の夜はどうだった? 三上クン、優しくしてくれた?」 「え、あ、はい」 「そっかそっかー。うんうんよかったよかった。これで心おきなく七海ちゃんとこに婿に出せるよ」 うんうんと嬉しそうに頷く名緒。ちょっと待て、心おきなく婿に出せるって、一体いつからおまえは俺の保護者になったんだよ。 「あ、でもでも司さんはいつでもその……優しくしてくれますから。あ、けれども昨日はいつも以上にその……ものすっごく優しくしてくれました」 「うわあぁぁぁーーーっ。ねえねえ三上クン、聞いた聞いた。やっぱりこれってのろけだよね、そうだよね」 「しるかっ」 浮かれている奴の相手なんかしてられるか。 「それにしてもさ、あのホテルよく予約とれたね」 「ホテル? 予約?」 はあ? ホテルの予約ぅ〜? 一体何言ってるんだよ、こいつは。俺がそんなことするわけない……ってことはないか。ちらっと隣に座っている七海に視線を向ける。そうだよな、俺にはその……彼女が、七海がいるんだよな。ということはこのままいけばそういったこともないとは言い切れない訳で。昨日はたまたま運が良かっただけなんだしな。これからはそういうことも考えなきゃいけないよな。 「ちょっと三上クンってばぁっ!」 「へ?」 「まったくもう、ボクの話聞いてる?」 「も、もちろん聞いてたぞ」 口ではそう言ったもののもちろん名緒の話なんか聞いてなかった。名緒はあからさまに疑いのまなざしを向けながら、 「だからぁ〜、昨日二人で泊まったホテルだよ。キミにしてはずいぶんと気が利いてるよね」 「あーあ、昨日のホテルのことか。あれはたまたまクジが当たってな」 そうなのだ。昨日、例のアトラクションを出たところでくじ引きがあって、引いたら特賞であるこのテーマパークに隣接するホテルの宿泊券が当たったのだ。 「うんうん」 「何でも当日限り有効ってことでだな」 その辺りをスタッフに尋ねたところ、何でも本日限定のイベントだからそれに合わせたい、というスポンサーの意向を尊重したためなんだそうだ。 「ふむふむ」 「そりゃあ、翌日が月曜日だとわかってはいたんだけどさ」 俺だって男だ。七海と二人っきりで一夜を過ごせる場所を提供しますよ、なんて言われたらすぐさまOKの返事をしてしまいそうになってしまったのだが、いくらなんでもそれは急ぎすぎだろ、と理性を失いかけていた自分に言い聞かせる。それに、もしそんなことをして『司さんてそういう人だったんですね。エッチな人だったんですね。そんなこと言う人なんてだいっきらいです』なんて言われたら立ち直れない。でも七海とだったら例の発作が起きないこともわかったことだし、その……。いや、ダメだ。やっぱりその日のうちにというのは良くない。でも、いやこんなチャンスそうそう転がってなんかこないだろうし、ここは本能に従って……。そんな葛藤を延々と繰り返していたときのこと、七海がささやくような小声で『あ、あのっ、司さんさえよろしければ、その、あの、わたし……』と言ってきた。そういえばお昼を食べているとき『わたし、一度このホテルに泊まってみたいんですっ♪』そう言ってたっけなあ……。叶えてやりたい、彼女の、七海の願いを……。迷いなんてもう何処にもなかった。俺はスタッフに宿泊する旨を伝えたあと、七海に向かってこう告げた。
『七海、今日だけでいい……今日だけでいいから、俺の側にいてくれないか』
七海は一瞬、驚いた表情を見せ、うるうると涙を潤ませながら勢いよく抱きついてきた。それから俺のことを見つめながら『今日だけじゃないです。司さんがわたしのことを嫌いにならない限り、どんなことがあっても、わたし……わたしは司さんのお側にいます』そう言ってくれた。 そのあとスタッフの人(そういやどことなく優風先輩に似ている人だった)に連れられ、ホテルのチェックインを済ませたあと、係の人(これまたどことなく麻子先輩に似ていた気がする)が部屋まで案内してくれた。余談だが、廊下を歩いている途中、どこからともなく飛んできたバケツの水を被って七海がずぶ濡れになるというハプニングがあった。(こんな芸当、できるのはちかぽんだけだかと思っていたが、まだまだいるとは……。世の中というのは実に奥が深いものだ、うんうん) あ、そういえばバケツをひっくり返した人、ちかぽんに似てたっけなあ……。 「ねえねえ、みーちゃん、どうだったどうだった? かわいかったよねっ、ねっ」 給湯室から戻ってきたちかぽんが見るからに興味津々といった視線を向け尋ねてきた。 「センセ、こぼす前にとりあえず、そ・れ、渡してください。」 「……ふえっ? あ、ごめんね名緒ちゃん」 名緒はちかぽんから人数分のカップが乗っているトレイを奪い取ると近くのテーブルまで運んだ。 「ねえねえ、みーちゃん、もったいぶらないで早く感想聞かせてよぉ〜」 「あのー、感想って何のですか?」 「もう、とぼけちゃってえぇぇぇ〜〜〜♪ もちろん昨日の七海ちゃんに決まってるじゃない。ホテルの廊下で水、被っちゃったあと着替えたでしょう? 着替えたあとの七海ちゃん、どうだった? すっごくかわいかったでしょう?」 「そりゃあもう、無茶苦茶かわいかったですよ」 係の人に連れられていった七海が戻ってきたのは俺が部屋でくつろぎ始めてからかれこれ三十分ぐらい経過したときのこと、コンコンという規則正しいノックの音と係の人の声から七海が来たのを理解した俺は、慌ててドアへと駆け寄った。はやる気持ちを抑えつつドアを開けた瞬間、予想もしなかった光景に思わず目が釘付けになってしまう。 (すんげー、かわいい……) ふんわりとしたふくらみのある肩口、首筋どころかもうちょっとで胸の谷間が見えそうなぐらいまで大きく開いたスクエアネックの襟元、そしてなによりもまるで七海のために作られているのでは勘違いしそうなぐらい体のラインにフィットした裾が広がった丈の短いさくらの花びらのような淡いピンク色をしたワンピースを身にまとっていた。そのあと七海が『つつ、司さん、どうですか、似合ってますか?』と心配そうな表情を浮かべながらくるりと一回転したとき、腰についていた大きめのリボンがよりいっそう七海のかわいらしさを引き立てていた。 「センセ、ボクが受け取った中にそんな写真、入ってなかったですよー」 「あれ? そうだったっけ? えっと確かこの辺りに……あったあった。はい、どうぞ」 ちかぽんは机のところまで歩み寄ると、置いてあった大きな茶封筒の中から何かを取り出し名緒へと差し出した。受け取るなり名緒は食い入るようにそれを見つめた。 「うわあー、すっごくかわいいですねー」 「おまえ、何見てそこまで騒いで……え?」 気になった俺は名緒の持っていたものを覗き込む。それはなんと例のワンピースを着た七海の写真だった。改めてこうしてみると、七海って無茶苦茶かわいい訳で。これはちかぽんに頼んで焼き増しを……じゃねえだろ、おい! 何でこんな写真がここにあるんだよ! ていうか、俺だって持ってないのに、何でちかぽんがこんなものを持ってるんだよ! 「それにしても、センセ、うまくいきましたね」 「そうだよねぇ〜。ここまで大成功できたのはみんなのお陰だよぉ〜〜〜♪」 「それじゃあ予定通り夕方から優風先輩の家で打ち上げですよね」 「そうだね、そうだねっ♪ 麻子ちゃんってば腕によりをかけるって言ってたから、すっごく楽しみなのおおおぉぉぉ〜〜〜♪」 (ま、まさか……) ある考えが思い浮かぶ。そんな訳ない……よな、いくら何でもそこまで手を回すなんてちかぽんには不可能だよな。でも優風先輩がいれば……そういやさっきちかぽん『ここまで大成功できたのはみんなのお陰だよぉ〜〜〜♪』と言っていたような気が……。まさかとは思いつつちかぽんに尋ねてみることにした。 「なあ、ちかぽん」 「うん? なあに」 「この計画立てたの全部ちかぽんなのか?」 するとちかぽんはえっへんと胸を大きく張りながら、 「うん、そうだよぉぉぉ〜〜〜。えっへん、褒めて褒めて〜〜〜。あ、でもでも、細かいところは優風ちゃんと麻子ちゃん、典子ちゃん、それに名緒ちゃんにも手伝ってもらったけどね」 「つ、司さん? 一体どういうことですか?」 七海は話がまるっきり見えてないらしくきょとんとした表情を俺に向けてきた。 (そうか、そういうことだったんだ……) すべては昨日の朝から、いや三日前、俺が優風先輩たちに尋問されたときから動き始めていたのだろう……。デートの予行練習といって俺を誘い出し、待ち合わせ場所に七海を連れて来てそのままデートに行かせるところまではよしとして、問題はそのあとだ。俺と七海、お互いに惹かれ合っていることを知っていたちかぽん(どちらかというと優風先輩のような気がするが)は、ちょっとしたきっかけを与えることによって俺たちがそのまま次のステップへと進んでいくと確信していたのだろう。そのきっかけとして用意したのがあのお化け屋敷“the Phantom Labyrinth”なのだ。恐らくあの妖精たちもグルだったに違いない。思惑通りことが進んだところで当たりしか入っていないくじを引かせ、あたかも特賞を引いたと思わせ(どうりで出口で他の人たちを見かけなかったわけだ)、そのままホテルへと向かわせるというのが、ちかぽんの書いた筋書きであろう。 「どうりであのとき似ているなーと思ったわけだ」 くじ引きのところにいた優風先輩似の人も、ホテルにいた麻子先輩似の人も、バケツをひっくり返したちかぽん似の人も、似ている人ではなく本人たちが演じていただけに過ぎなかった。 「そうだったんですか……。わたしちっとも気がつきませんでした」 「みーちゃん、すごいよすごいよぉぉぉ〜〜〜。私、何も言ってないのにぜーんぶ当てちゃうなんて。まるで魔法使いさんみたいだね」 ……おいおい、魔法使いは俺じゃなくってそっちだろうがっ。 「センセっておもしろいこと言うんですね。魔法使いだなんてそんなのいるわけないじゃないですかー」 「そうかな? そんなことないと思うけどな。ねえねえ名緒ちゃんの言う魔法使いさんって一体どんな人なのかな?」 「どんな人って言われても……。うーん、そうですね、ボク的には空を飛んだりとかものを動かしたりとか怪しげな薬とか作っている人かな?」 「確かに絵本とか小説なんかに載っている魔法使いさんってそんな感じのものが多いよね。でもね、私はこう思うの。人は誰でもみんな魔法使いさんなんだってね。確かにお空を飛んだりとか怪しげな薬なんかは作れやしない。でもね、あるものだけは動かすことができる、私はそう思うの」 「あるもの、ですか?」 名緒の問いかけにちかぽんは胸に広げた左手を添え、その上から広げた右手を重ね合わせてから、 「それはね、ココロだよ。コ・コ・ロ」 「……こころ、ですか?」 「そう、みーちゃんの中にある七海ちゃんへの想いが魔法となって七海ちゃんのコ・コ・ロを動かし、七海ちゃんの中にあるみーちゃんへの想いが魔法となってみーちゃんのコ・コ・ロを動かすの。想いという魔法が強ければ強いほど相手のコ・コ・ロを大きく動かすことができる、今のみーちゃんや七海ちゃんのようにね。だからね、人は誰でも魔法使いさんなんだよ。今度の中間試験に出すから、よおぉぉぉ〜〜〜く覚えておいてね♪」 「……………」 とりあえず試験云々は置いとくとして、まさかちかぽんの口からこんなの聞くなんて……。思わず言葉を失ってしまう。 「どど、どうしちゃったのみんな。急に黙り込んじゃったりして。私、なんか変なこと言ったかな?」 「いや変というか、なあ……」 「その……まるで詩人さんみたいだったものでつい……」 「明日、季節はずれの寒波がやってきて大雪にでもならなければいいなー、なんて」 三人揃って大きく頷く。 「み、みんなひどいよぉぉぉ〜〜〜〜〜っ。いいもんいいもんっ。これから学食行ってやけ食いしちゃうんだからぁ」 そう言うとちかぽんは机の引き出しから財布を取り出すと、トテトテと足音をさせながら出て行ってしまった。うーん、保険医とはいえ仕事を放棄するのはあまりよろしくないかと。ま、腹がいっぱいになったら戻ってくるだろう。 「そうそう三上クン、仕方ないこととはいえ七海ちゃんにあんなことしちゃ駄目だからね。気をつけなさいよ」 「……とりあえず善処はする」 恐らく名緒が言ってるのはあれのことだろう。俺だって好き好んであんなことをしているわけじゃない。けれども自分の意思に関係なく体が勝手に動いてしまうんだから仕方ないだろうが。一応、前向きな返事だけはしておく。名緒はため息をついてから呆れた口調で、 「あのね『とりあえず』じゃないでしょう? いい加減、直しなさいってば」 「そうは言われても無意識のことだからな、そう簡単には直らないって」 「それは三上クンが直らないと思っているからちっとも直らないのよ」 「あ、あのー、一体何を直すんですか?」 首を傾げながら七海が尋ねてくる。 「癖よ癖。三上クンってば、人のことを平気でポンポンと投げ飛ばす癖があるのよ」 「そうだったんですか……。わたし知りませんでした」 「違う違う、そんなんじゃない」 名緒の発言を疑うことなく信じそうになっていた七海を慌てて制する。 「え、違うんですか?」 「あたりまえじゃないか。こら名緒、七海に変なこと吹き込むんじゃない」 とりあえず文句を言ってみる。当事者の名緒はというと『そんなに違ってないのに……』とぶつくさ言いながら、 「えっとね七海ちゃん、もうちょっと詳しく説明すると、うしろ……特に右側からだね、三上クンにそっと近づいたりしなければ投げ飛ばされるようなことはないから。なんでも視力がない代わりに神経系が過敏になっているというのが理由らしいんだけど、肩とか背中にそっと触れられたりするだけでも反応しちゃって、ひどいときにはそのまま相手を投げ飛ばしちゃったりしちゃうの」 「つつつ、司さん! 視力がないって本当なんですか? 本当に視力が……あっ! ごご、ごめんなさい! わたしわたし、あのそのえっと……とと、とにかくごめんなさいっ!」 今にも押し倒さんばかりの勢いで迫ってきたかと思うと、何故か急に表情を曇らせ幾度となく頭を下げる七海。一体どうしたんだろう……。ただただ謝ってばかりでそのわけがちっともわからない。そもそも俺の癖というか条件反射について話していただけであって、七海が謝るようなことなんて……。あ、もしかして目のことを。そんなのちっとも気にしてないのに七海ったらもう……。とりあえず止めさせないと、俺は両手をそっと七海の肩へと置いた。七海は驚きの声と共にぴくんと体を硬直させたあと、恐る恐るといった感じで頭を上げてきた。そんな七海に向かって俺はできる精一杯の優しい口調で、 「別に七海が謝ることなんてないよ。ずっと前からのことだし、それに見えないと言っても右目だけだしね」 「でもでも、わたし司さんの気持ちも考えずにその……ごめんなさいっ!」 「ほんと気にしなくっていいから、ね」 「でもでも……あっ」 その先の言葉を遮るかのように人差し指をそっと七海の唇へと当てる。 「そ・こ・ま・で。七海はちょっと気を遣いすぎだよ。少なくとも俺に気を遣う必要なんてないんだよ。俺たち恋人同士なんだからさ」 「そうなんですよね。わたしたちその……恋人同士なんですよね」 「そう。それにね俺はこう思ってるんだ。思っていることをそのまま相手に伝えることができてこそ本当の恋人同士なんだってね。少なくとも俺は七海とそういう関係になりたいと思ってる。七海はどう思う?」 「わ、わたしも司さんとそういう関係になりたいです」 「これから先ずっと、お互いに気を遣うような真似はしない、いい?」 「……はい」 今にも泣き出しそうになっている七海をぎゅっと抱きしめる。七海の体から伝わってくる温かいぬくもりがすごく心地いい……。まさかこうして女の子を抱きしめることができるようになるなんて、昨日までの俺にはとても考えられなかった。 「でも不思議よねー。三上クンが助けたっていう女の子、誰も見てないんでしょう?」 「女の子?」 「名緒、その話はいいだろ」 なにもこんなタイミングで話さなくてもいいだろうが。こいつの性格からして無駄だとわかってはいるが一応釘を刺してみる。 「そう? ボクとしては七海ちゃんも知る権利あると思うけど」 「わたしも、ですか?」 「そ、なにせ三上クンの右目が見えなくなった原因と絡んでいるわけだし」 やっぱり無駄だったか……。けどまあ確かに名緒の言うとおりかもしれない。 「七海、聞きたいか?」 「できればその……聞きたいです。あ、でもでも司さんがお話ししたくなければ別にいいです」 「さっきも言っただろう? 俺に遠慮なんかいらないって。その代わり、あんましおもしろくないぞ。それでもいいか?」 「はいっ。それでもわたし聞きたいです」 七海がそこまで言うんだったら、まあいいっか……。俺は覚悟を決めると、大きく深呼吸をしてから名緒に続きを話すように頼んだ。 「あのね七海ちゃん、三上クンの右目、ある事故がきっかけで見えなくなったの」 「事故、ですか?」 「そ、何でも車にひかれそうになっていた女の子を助けようとしてそのまま……。あとはドラマみたくお約束通り、気がついたらベッドの上だったんだって」 「えっ!」 驚きの声を上げる七海。その声はただ単にびっくりしたというものなんかではなく、まるでずっと信じていたものが瞬く間に根底から覆されたかのような感じだった。あまりの豹変ぶりに心配になった俺はすぐさま七海へと声を掛けようとしたところで七海が口を開いた。 「……十年前、ですよね」 「うん? 何が?」 「司さんが事故に遭われたのは」 「えっと……三上クン、そうだったっけ?」 「ああ」 事故に遭ったのは小学校一年生のときだから計算すると確かに七海の言うとおりだ。そっか、もう十年にもなるのか、あの子を助けようとして……。そういえばあのとき怖いなんてこれっぽっちも思わなかったよな。ただただあの子を助けたい、その一心だった。よくよく考えたらあれが俺の初恋だったのかもしれないな。もし、この話を七海にしたら『てっきりわたしが司さんの初恋の人だと思っていたのにー』とか言いながら嫉妬とかしてくれるかな? なんてね。それにしてもこんなことを思い描くようになるなんて、ちょっと前の俺にはとてもじゃないけどできなかった。これも全部、七海のおかげだよな。 「でも不思議なのが三上クンが助けたっていう女の子、その場にいなかったんだって。第一発見者の話によると三上クンだけが倒れていたそうよ。しかも半年もの間、入院するぐらいの大怪我だったんだからその子だってそれなりの怪我を負っていても……ちょ、ちょっと七海ちゃんどうしちゃったの?」 七海がどうしたって。名緒の声に慌てて七海へと視線を向ける。う、嘘だろ……。さっきまで何ともなかったじゃないか。なのにどうして今にも倒れそうなぐらい顔を真っ青になってるんだよ。七海に声を掛ける。すると七海はかすかに聞き取れるぐらいの弱々しい声で、 「……せいだ……わたしの……せいだ……。司さんの視力がなくなちゃったの、わたしのせいだ……」 「何言ってるんだよ。別に七海のせいなんかじゃ……お、おい、七海っ!」 「七海ちゃん!」 瞼が閉じられると同時にまるで電池の切れたおもちゃのように七海の体がグラリと大きく揺れた。ギリギリのところで七海の体を支えた。 「名緒っ! 早くちかぽんを」 「うん、わかった」 名緒が勢いよく立ち上がった反動でパイプ椅子がガタンと大きな音を立て床へと倒れる。そんなこと気にすることなく名緒は豪快にドアを開け放つとちかぽんのいる学食へと走り出していった。その姿を見届けたところでそっと七海をベッドの上に横たえる。 (一体、一体どうしたって言うんだよ……) 七海のせい? 俺の視力がなくなったのは七海のせいだって。そんな馬鹿な。俺が視力を失ったのは七海なんかのせいじゃない。もちろん助けたあの子のせいなんかでもない。すべては自らの意思でやったことなんだから、責任はすべて自分にあるはず。なのに七海がどうしてあんなことを言ったんだ? いくら考えたところでその理由はわからなかった……。
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