「ミリィさん、もうこんなことをしたらダメですよ。自分の知らない世界を見たいというあなたの気持ち、わからなくもないです。でもね、あまり悪戯が過ぎると元の世界へ戻れなくなっちゃうかもしれないんですからね。えっ、うん……うん……あ、そんなこと気にしなくていいですよ。困ったときはお互い様ですからね。え……うん……うん……そんなお礼なんかいいですよ。うん……うん……え、そうなの? そっか、そういう事情があるんだ。そういうしきたりがあるならそう無下に断るわけにはいかないよね。うーん、どうしたらいいのかな? ……あ、そうだ! それならこういうのはどうかな? あなたのご厚意、謹んでお受けいたします。その代わりあなたとお友達になれたその証としてわたしの魔力を受け取ってもらえるかな? うん……うん……それで決まりね。え、彼? そんなことないですよ。彼はとっても優しい人ですよ。え、話しかけても返事をしてくれない? あ、別に無視している訳じゃないですよ、彼は魔法使いさんじゃないんですよ。え、そんなことはない? あんなに魔力があるんだから魔法使いさんに違いない? でも本当なんですよ。ですからわたしがあなたに代わって感謝の気持ちを伝えておきますから。うん……うん……いえいえこちらこそ大切な魔力を頂きましてありがとうございます。うん……うん……それじゃあ気をつけてね。うん、またね」 瑞原さんは目の前にあった淡い光に包まれていた球体が消えるまで手を振っていた。 「ふうー……これで全部です」 大きく息を吐くと同時に瑞原さんの体を包み込んでいた青白っぽい光のベールが消えてなくなる。 「お疲れ様」 こうして声を掛けるのはこれで何度目だろうか。いざ“the Phantom Labyrinth”の中へと足を踏み入れたところ、待っていたのはお化けでも幽霊でもゾンビでもなく凶暴化した妖精たちの姿だった。 「三上さんこそお疲れ様でした。でも三上さんが側にいてくれて本当に助かりました。もしもわたし一人だったら今頃どうなっていたかと考えただけでもちょっと怖いです」 「ごめんね、こんなことになちゃって」 「そんな、三上さんは全然悪くないです」 「そういってもらえると助かるよ。あーあ、せっかく瑞原さんと恋人同士みたいな気分味わっていたのになー」 「……え?」 (バ、バカっ! 何言ってるんだよ、俺) そんなこと言うつもりなんてこれっぽっちもなかったのに……。つい本音を口にしてしまったことに心の底から後悔する。これじゃあまるで俺が瑞原さんに告白しているみたいじゃないか。そりゃあ瑞原さんはかわいい……ううん、すっごくかわいいと思うし、こんな子が彼女になってくれれば……なんて夢のようなことも考えたことだってある。でも、それはあくまでも夢。夢が現実になるなんてことはそう易々とあるものなんかじゃない。それにこんな体で女の子と付き合える訳ないじゃないか……。今ならまだ誤魔化せるはず。『もちろん冗談だよ』って明るく言えばきっとそれで済むはず。 「ごめんごめん、そんなの冗談に決まってるじゃないか。それにしたってたとえ冗談だとしても笑えないよねー。瑞原さん、たちの悪い冗談だと思って、今の忘れてもらえないかな?」 トン、と何かがぶつかってきた。ふわりと柑橘系のいい香りがしてくる。そう、ぶつかってきたのは瑞原さんだった。 「嫌です。例え冗談だったとしてもわたし……絶対忘れません。だってだって、わたし、わたしは……」 背中に回されている手にぎゅっと力が加わる。 「三上さん、以前『彼女いらっしゃいますか?』とお聞きしたことがありますよね」 「確か校内を案内していたときだったよね」 「はい。えっと、わたし……好きな人がいるんです」 「あ……。そそ、そうなんだ……」 そうだよな、いて当然だよな……。こんなかわいい子、普通ほっとかないよなあ……。 「でもでも、わたしの片思いなんです」 「伝えたの? その人に、瑞原さんの気持ちを」 すると瑞原さんはプルプルと首を横に振った。そして小さな声で、 「だって、わたしなんかじゃとてもとても釣り合いませんから……」 「大丈夫だよ、瑞原さんならきっと大丈夫だよ」 「そうでしょうか?」 「うん、絶対大丈夫だよ。大体、瑞原さんみたいなかわいい子に告白されたら、みんな首を縦に振るよ」 「ほんと、ですか?」 首をちょこっとだけ傾げ、すがるような視線を向け尋ねてくる瑞原さん。俺は自信満々に胸を張ると、 「ほんとにほんと。俺だったらすかさずこう答えるね、『俺も好きだ』ってね」 「本当ですかっ! 好きって言ってくれますか!」 「う、うん」 瑞原さんのあまりの勢いに思わずコクコクと頷いてしまう。 「好きです! わたし三上さんのことが好きですっ!」 「……え?」 「ですから、わたしは三上さんのことが好きなんです、大好きなんです」 「えっと、瑞原さん。予行練習だったら前もって言っておいてもらえると嬉しいんだけどな」 いくらなんでもそんなこと突然言われたら体に悪いって。一瞬、本当にそう言われているのかと勘違いしちゃったじゃないか……。俺は苦笑いを浮かべながらそう答えた。 「予行練習なんかじゃないです。三上さん、嘘つきです。『俺も七海のこと愛してるよ。死ぬまで離さないよ』、そう言ってくれるって言ってたじゃないですかぁ」 あの……瑞原さん? 俺、そんなこと言ってないです。 「だって予行練習じゃないとすると……何だろうね?」 「三上さん! 人の話、ちゃんと聞いてますか」 「もちろんちゃんと聞いているよ。俺のこと好きだって言ったんだよね。だから予行練習だったら……」 「ううぅぅぅーーーっ」 瑞原さんはギロリと睨みを効かせてくる。でも、それがかえってかわいらしく見えてしまう訳で……。そんなことよりも何でここまで怒るんだろう? 俺だって前もって言ってさえくれれば予行練習ぐらい何度でも付き合うのに……。瑞原さんも人の話を聞かないんだから……って、あれ? 人の話を聞かない? 誰が? 俺がか? それとも瑞原さんがか? えっと仮に瑞原さんの話が本当だとすると……。ちょっと待て、そんなことあるわけないじゃないか。冷静になって考えてみろよ。瑞原さんが俺のことを好きなんて言うわけない……。でもでも瑞原さんが言ってることが本当だとすると……。ええーい、うだうだ言ってても始まらない。だったら本人に確認すればいいじゃないか。 「あ、あのー、瑞原さん。ちょっと確認したいんだけど……ほ、本当なの? さっきの台詞」 「もちろんですっ」 「本当に俺のことを……好きなの?」 「わたし、最初からそう言ってるじゃ……きゃっ! ちょちょ、ちょっと三上さん痛いですよぉ」 嬉しさのあまり力一杯、瑞原さんのことを抱きしめる。台詞はいやそうに聞こえるけれど、口調はそれとは裏腹にとても嬉しそうだった。 「俺もその……瑞原さんのことが好きだよ」 「……え?」 「だから俺も瑞原さんのことが好きだって言ったの」 「ほんと、ですか?」 胸元から顔を上げ、これでもかってぐらい真剣な表情で尋ねてくる。それに応えるように黙って頷いてから、 「ほんとだよ」 「ほんとにほんと、ですか」 「うん、ほんとにほんとだよ」 「だったら、そ、その……お、おねだりしてもいいですか?」 顔はおろか耳まで真っ赤にし恐る恐るといった感じで尋ねてくる。応えてやりたい。俺にできることだったら何でも応えてやりたい。 「いいよ、何でも言って」 「あのあの、そ、その……キキキ、キス、していただけませんか?」 「え、あ、うん、もちろんいいよ」 一旦、瑞原さんの体を放したところで腕時計を外す。 「三上さん、時計……」 その仕草に驚いたのだろう、瑞原さんは目を丸くしながら尋ねてきた。 「もしかしたら意識を失っちゃうかもしれないけれど、やっぱりその……直接、瑞原さんのこと感じたいから……」 「三上…ぐすっ…さぁん……」 「ねえ笑って。やっぱり最初はその……泣いているときよりも笑っているときの瑞原さんとしたいから……」 「……はい」 瑞原さんは指先で涙を拭うと今まで見たことがないぐらい満面の笑みを浮かべそっと目を閉じた。バクバクと今にも飛び出しそうな勢いで心臓が脈打つ。こんな状態で落ち着けと言われても落ち着ける訳ない。それでも高ぶる気持ちを抑え一歩足を踏み出した。俺の心臓の音が聞こえているんじゃないかと思うぐらいの距離に瑞原さんがいる。緊張のあまりまるで凍りついたかのように体がピクリとも動かなくなる。もしかしてこのまま意識が……。ダメだ、それだけは絶対ダメだ。信じないと……。自分を信じないといつまで経っても変わることなんてできない。ありったけの勇気を振り絞って瑞原さんの手を取る。ひゃっと驚きの声が上がる。『大丈夫だよ』と声を掛けそのまま手を俺の肩へ添えるようにする。瑞原さんが俺の肩をきゅっと掴んでくる。それを愛おしく思いながら腰に手を回す。そのまま瑞原さんにキスを……あ、届かない。めいいっぱい首を下げても届かない。えとえとその……どうしよう。腰に回した手で瑞原さんの体を持ち上げるべきか、それとも少し屈めばいいのか、そんなことを考えていると突然ぐいっと瑞原さんの顔が持ち上がってきた。それと同時に更に肩に力がこもってくる。もしかして瑞原さん背伸びを……。プルプルと震えだした瑞原さんの体をぎゅっと抱きしめ、 「好きだよ、七海……」 そう声を掛けながら前のときのように勢いのあまり歯と歯をぶつけるようなことはないように慎重に唇を重ね合わせた。
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