■ トップページ  ■ 目次  ■ 一覧 

夢幻 作者:葉月 東

最終回   大切なもの

― 開かれた窓から見える白樺の葉が太陽の光で眩しいほどの光沢を見せている。

室内の薄い影に木漏れ日が光を散らしていた。

外からは、忙しく鳴く蝉の声と葉ずれの音がして耳に優しい。



飛び込んだ瞬間、まるで違う世界に隔離された部屋のように静かなその空間に、

思わず足が止まった。

白いカーテンが心地よい風に吹かれて広がる。

その風は、汗のつたう千影の頬をやんわりと撫でていった。心地よい。

そこはどうやら保健室らしい。

奥にベッドがある。誰かの気配。


 やっと、見つけた…―。


瞳を瞑った青年が一人横たわっている。


間違いなかった。― 智樹…。


歩み寄る。真っ白なシーツが眩しい。

智樹はここに居た―。




「智樹…?」

どうも様子がおかしい。千影は、呼びながら揺すってみる。

しかし、その瞳は開かれなかった。

「起きなさいよ。」

強く揺さぶる。けれど期待する反応は返ってこない。

「っ…迎えに来たのに…、目ぇあけてよ…。」


嫌だ―。抑えていた感情が溢れ出す。


ポケットから『彼の欠片』を出し、包装を取り払って眠っている少年の口に押し入れよ

うと試みる。が、それを受け入れはしなかった。

千影は、おもむろにそれを自分の口に入れ、小さく噛み砕き、

そして、― そのままそれを智樹に口移した。

砕かれた欠片は、彼自身へと戻る。


千影はゆっくりと離れて智樹を覗きこんだ。

― しかし、反応は無い。

「…なんで、待ってるって言ったじゃない…。

 いつもみたいに了解したわよね…?」

目の奥が熱い。押し殺し続けた思いが止まらない。視界が滲む。

千影は、ずり落ちるようにベッドの脇にへたり込んだ。

弱音は吐かないようにしていたのに…。



「甘……。」



ぽそりと呟いた。

千影ではない誰かが――。


うっすらと、青年の瞳が開く。

そして半身を起こすと、座り込んだ千影のほうを向いた。


「待ってるって言ったのにな。待たせて悪かった。」


やさしく笑いながら智樹は千影の頭に手を伸ばし、その柔らかい髪を撫でる。

少女は、驚きを通り越したように固まっていたが、やがて緊張が解けたように溜めてい

た涙をこぼした。

智樹は、ごめんごめんとなだめる様に謝り、落ち着いた所でベッドから降りた。

そして、千影に手を差し伸べながら言う。


「行こう。」


少女も首を縦に振り、智樹の手をとって立ち上がろうと足に力を入れた。



が、どんなに力を入れようとしても入らない。

腰が抜けてしまったようだ。

はっと我に返ったように千影は首の砂時計を確認する。

もう数分も持たないだろうというほどに、砂の流れは、か細くなっていた。

「時間が無いわ。智樹、行っ……えぇっ!!」


千影の言葉を聞き終わる前に智樹は、へたり込んだ少女を抱き上げていた。

「あんまり動くなよ。走り辛いから。」

抗議の声を上げようとしていた千影を諌めるようにそう言うと、智樹はそのまま部屋を

走り出る。

動こうにも動けない少女は一先ず青年の言うことを黙ってきくしかないようだ。と、

渋々ではあるが黙ってそれに従う。



廊下を抜け、階段をどんどん上がっていく。上へ上へとひたすらに。

サウォンたちが止めてくれているのであろう。影の存在は無い。

行き着く先にあるのは、屋上へと続く扉のみだ。

― 間に合え。

智樹は、全速力で走る。

上りきった所にあった錆びた鉄板のドアを渾身の力で蹴破るとそこには、澄みきった

青い空が広がっていた―。

一瞬何故ここに来たのか、千影にはわからなかったが、それはすぐに解決する。



― 最後のドアは、空と同化するように青く澄んでいたのだ。



世界に馴染まなかった時を越える扉は、唯一、この空に溶け込むことを許された

ように、存在していた。

「帰ろうか。」

智樹の言葉に、千影は素直に腕の中で相槌を打った。

そして二人は、捜し求めていたものを手に入れてドアをくぐった――。





千影を抱いたまま降り立った場所は――学校の屋上だった。

二人は顔を見合わせて、本当に帰ってきたのかどうか疑う。

「まさか、時間切れで…。」

そう千影がつぶやいたのと同時に、

「大丈夫ですよ。」

背後から聞き慣れた声がする。

振り返ったそこには、いつの間にかサウォンが立っていた。

「戻って来れたんですね。よかったです。」

にこりとこちらを見て白磁の男は微笑む。

「お蔭様で。」

智樹が、肩をすくめる仕草をしながら答えた。そして、あんたは?と問い返す。

部長に引っ張り出してもらいましたよ。苦笑いで、こちらも答えた。

そして今からこってりしぼられてきます。と付け足して、背を向け、屋上の扉を出よう

とした時だった。

「もう、ドジんなよ!」

智樹がそう叫んだ。

サウォンは、いつかのように振り返らず返事の代わりに右手をひらひらと振って

答えた。

そして扉が閉まる。



「……。」

少しの間沈黙が流れた。しばらくして、始まりの時と同様に、千影が先にそれを破る。



「…ずっと、一緒にいてね。」



「昔、約束しただろ。ずっと俺がいるって。」



そう言って二人は再び互いの拳をこつん、とぶつけ合って言う。



「「了解」」



時の止まった銀の砂時計は、彼女の胸の中に抱かれたままに――。

← 前の回  ■ 目次

Novel Editor by BS CGI Rental
Novel Collections