―貴方だから、貴方だからこそ探しに行こうと思った。
汚い理由かもしれないけれど、今そう思ったの。
だから、無事に帰れたら…言ってしまおう。
ずっと言えなかった一言を―。
降り立ったその場所に、懐かしさなどはなかった。
なぜならそこは、現在進行形で毎日一日の大半を過ごしている場所。
そして、赤いリボン、深緑の生地にチェック模様の入ったスカート、ブレザーの胸ポケ
ットには我高の校章が丁寧に刺繍してある。
服も体も、この世界に入る前に戻っていた。
ふと、首に下がった砂時計を手に取ると、もう銀の砂は1/3を切る勢いだった。
瞬時に、不安の波が足の先から頭まで千影を飲み込んだ。
両手でぎゅっと砂時計を握り締めて、視線をまっすぐに前を見据えた。
絶対見つけ出してみせる…。心の中の決意を小さく呟き、自分に確認するよう
復唱する。
「やっとここまで来ましたね。智樹君の場所に心当たりは?」
追ってきたサウォンが背後から尋ねる。
外の状況から見て、昼前辺りだろうか。各教室からは、先生たちの授業をしている声が
聞こえる。
…ということは。千影は結論に至った。
「多分、3階の階段右隣の教室よ。」
それを聞くと、白磁の男の顔が曇った。
「室内ですか…。厄介ですね、屋外ならいったん外に出てしまえば探しやすいの
ですが…。」
しかし、そんなことを言っている猶予はない。
とりあえず、片っ端から教室に入っていくしかないでしょ。そう言うと千影は踵を返し
て一番近い教室のドアへ向った。と、
突如その教室から鋭い悲鳴が響く―。
それはすぐに大勢の者の叫びへと変わり、続けてガタンガタンと激しく何かが暴れてい
るような音さえ聞こえ始めた。
思わず、後ずさりするのと同時に目の前のドアが勢いよく開かれる。
自分と同じ制服を着た男子生徒が飛び出してくる。
恐怖で歪んだ顔と一瞬目があって、その口が何かを紡ぐ寸でのところで目の前の青年の
体は、室中に引きずり戻された。
一瞬のことで、脳の反応がついていかない。
開け放たれたドアの中を、走ってきたサウォンが確認した瞬間、その表情は愕然とした
ものに変わった。
バシンと音を立ててドアを閉めると、サウォンは千影に短く告げた。
「もう奴等が、この時間で動き始めました!」
聞いた瞬間視界がブラックアウトしたような気分になった。
まさか…、まだ何もしていないのに。智樹に接触すら…。
疑問と奴等に対しての反論が頭の中を駆け巡る。
気づけば、他の教室からもパニックが起こっている声が聞こえていた。
「智樹が、やられる可能性はあるの…?」
千影は、やや震えながら、急に浮かんだ恐ろしい疑問を言葉に出した。
…十分に。
少し間をおいて、一番聞きたくなかった答えが返ってくる。
すると、聞き終えると同時に考えるより先に足が動いていた。
気づいたサウォンも慌ててそれを追う。
手当たり次第のドアを開け放ち、それをくぐっていった。
ただ一人の存在を探して、少女は走り続ける。
―智樹 智樹 智樹 智樹 智樹智樹っ!! ――
必死になって胸の中でその名を呼ぶ。
嫌だ。この存在だけは失いたくない。まだ…何も伝えてないのに。
その時、前方の床が一気に黒に染まる。
「な…っ!!」
反射的に、バッと手を伸ばし、サウォンは走り続けていた千影を引っ張った。
闇色の湖と化したそこから、幾体ものどろりとした生物が這い出してくる。
瞬時に踵を返して、来た道に戻ろうとする。
が、既に後ろからの追手も近づいていた。
塞がれた―。
「くそっ!」
サウォンは悪態を付くと、ポケットに手を突っ込んで何かを取り出した。
緋色のガラス玉のような玉。中心に向かって濃く鮮やかなそれを、数個両手に握る。
「スナちゃん、どうするの?」
千影が問うと、切羽詰った表情でサウォンが答える。
「うまくいくかわかりませんが、護身用として講義で教わった魔法を使います!」
濃い青の瞳が燃えるように揺らぐ。
真剣なその様子を見て、千影は少しサウォンを見直した。
しかし次の瞬間、闇から伸びてきた手によってサウォンは足を払われ廊下に転倒する。
その拍子に、緋色の玉は勢いよく辺りにばら撒かれた。
サウォンがひるんだ隙に、闇が一気に畳み掛ける。
のまれる――!そう思ったその時。
『炎舞――!』
散らばった緋色の塊が発光し、物凄い熱気と共に炎の渦が襲い掛かってきた闇を
飲み込んだ。
廊下に突っ伏していたサウォンの耳の近くで、こつんと靴音が聞こえる。
次の瞬間、頭上からきつい口調で予想だにしない叱咤が跳んできた。
「この、大ばか者っ!」
ばっ、と顔を上げたサウォンの表情が引きつる。
「ぶ…、部長!」
そこにはサウォンと同じ、真っ白な頭髪に黒のスーツの男が立っていた。
サウォンと同じ夢羊なのだろうその男は、サウォンとは違い、直毛で長めの髪の毛を
黒い紐で縛っていて、一層大人っぽい印象を受ける。
いくらか背も高いようだ。
男は、憤りを隠せない様子でサウォンを、部下を見下ろしていた。
「上からの報告が無かったら、お前は誰に知られることもなく消えていたのに 残念だったよ。っつうか、何で!俺が!お前の尻拭いなんかしなきゃいかん
のだ!!」
職場の上司らしいその男は、完全に堪忍袋の緒が切れていた。
千影は突如現れた男をあっけにとられて見ていると、ふいにこちらを振りむかれ、思わ
ずびくりと肩を振るわせる。
「…部下の失態誠に申し訳ございません。」
何か言われるのかと思ったが、畏まって深々と頭を下げられた。
そして、男は続ける。
「時間がありません。奴等は私とコイツで足止めをしておきます。
貴方は、急いで彼の所に行ってください。」
そう言うと、1つの扉を指差した。
あそこです―。と、
瞬間、はじかれた様に千影はそのドアへと走った。
そして、勢いよくドアを開けた――。
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