―智樹は、正門で止まっていた。
不意に青年が口を開く。
「今んとこ、3勝2敗で俺が勝ってる。ついて来られるかな?」
からかう様に千影にそう言うと、察したように返した。
「残念ね。後々7勝5敗で私が勝つことになるのよ。」
得意げに未来の戦況を語る。
どうやら事あるごとに足の速さを競っているらしい。
「げ、あと5回も負けるのか俺。」
そう苦笑して、智樹は走り始める姿勢になる。
「道案内なんだから、抜かされないように頑張ってね。」
皮肉っぽく千影が言うと智樹は、オッケー。と軽く返した。
「じゃあ…。よーい、ドン!!」
智樹の合図と共に二人は、全速力で正門を抜け出した。
「えっ、速!待ってくださいよー!」
思わぬ二人の速さに、一足遅れてサウォンがスタートした。
幼い頃、よく遊んだ公園の中を横切っている。
青々と茂った広葉樹が目にやさしい。
夕日がどんどん傾いていくに連れて長く伸びた影は薄れ、それは闇となっていく。
あちらこちらから、ゴボゴボと水っぽい音が聞こえる。
― もう出てきたか。
内心チッ、と舌打ちしながらサウォンは前方の二人組を追いかける。
その音は千影にも聞こえていたらしく、走っている少女の顔は強張っていた。
止まる事無く公園を突っ切ると、道路から奥ばった所に建てられたコンビニへ
まっすぐ進路を決める。
「ここ抜けたら、雨降ってるから滑らないように気をつけろよー!」
次の時期は梅雨なのだろうか…。智樹の助言にそんなことが思い浮かんだ。
自動ドアが、客来店のブザーと共に開いたところを、すぐに抜ける。
― 店内に入った瞬間その音すら幻のように消え、繁華街に出た。
先程言われた通り、静かに細い雨が降っている。
別に寒いわけではない。むしろ心地いい程に感じる。
時期にして夏の初めあたりだろう。
そこは、繁華街にも関わらず時間が止まったように静寂が支配していた。
車はおろか、人一人居ない。
「もう、やられた後か。」
智樹はそう言って眉間にしわを寄せた。
その一言で千影も察す。― 奴等だ。
たった、あれだけの時間で地区1つ壊滅に至っていた。
「小ざっぱりさせやがって…。」
皮肉に笑いながら、智樹はまた足を休めることなく全速で進み始める。
そこらかしこから道路が液化したように泡を立て、黒いどろどろしたものが這い出
してきた。
垣間見たそれは、生き物らしく、赤い二つの瞳が獲物をさだめて光っていた。
三人を確認すると物凄い勢いで、這ってもしくは跳びかかるように、その闇は襲
ってくる。
「ちょ…三人対大勢、って反則じゃないの!?一対一でかかってきなさいよ!!」
その数に驚いた千影がそう叫ぶと、
一匹でも無理ですって…。とサウォンが付け加える。
「次、行くぞ!」
そう智樹の声が聞こえると同時、彼は開けた広場の中心に位置する巨大な円形
モニュメントの中に飛び込んだ。
千影も、まるでハードルを飛び越えるようなフォームでその中に飛び込んでゆく。
コンマ数秒遅れでサウォンも後を追った―。
― 雨は降り続いていた。
パタパタと、辺りを埋め尽くした雑草にあたって落ちる音が騒がしい。
見渡す限りの草原。風がないのが不思議に思える。
そして、3人の目の前には一件の荒廃した日本家屋があった。
崩れかけた家の扉は、捜し求めたそれに変化している。
やはり世界に馴染まないそれは、周りの荒れた雰囲気とは違った。
「結構場所飛んだから、此処までは追ってこないだろ。」
智樹はそう言いながら、既に汗なのか雨粒なのかわからなくなった額のそれを腕で
拭い、息を整える。
黒いスーツの大の大人は、場所を飛び越えた所でへたり込みゲホゲホとむせていた。
― 空色の扉の前に立つ、まだ少し幼さの抜けない青年に千影は歩み寄った。
「あと、もうちょっとだから。待っててね。」
言って横にとまり、千影はまっすぐに青年の瞳をみつめた。
「あぁ。絶対俺を見つけ出してくれよ。待ってるから…。」
少しはにかんで笑いながら、そう答える。
「したら、俺が絶対お前に勝つからな。一気に逆転してやるよ。」
照れくささを隠すように智樹は付け加えて、ぽたぽたと水が垂れる右の拳を前に
突き出した。
「せいぜい頑張りなさいよね。」
ふっ、とふきだしながら、千影もびしょ濡れの握った右手を差し出してこつんと、
青年の拳に当てた。
いつもやる『了解』の約束。
「ほら、スナちゃん行くわよ!」
智樹の影からひょいと覗くと、サウォンはあまり顔色のよろしくない表情でふらふらと
立ち上がった。
初仕事でこんなに走ると思っていなかったらしく相当ばてている。
「じゃあ…すぐにまた会いに行くから。」
そう残し、口元に微笑を浮かばせた少女は、扉へと走った。
それを追い、おぼつかない足どりでサウォンも続く。と、
「おっさん。……ちゃんと責任…取れよ。」
呼び止められて足を止めていた男は、聞き終わると、振り返らず返事の代わりに右手を
ひらひらとして答えた。
誰も見ることの無かったその表情は、雨のせいであろうか、
少し泣いているようにも見えた。
―本当に、最近の子供は怖い…
そう思いながら、情けないなあ、と呟いてサウォンも最後の時間へと続く扉を
くぐった―。
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