「なあ、飯島。」
クラスでの昼食時、和樹は声をかけられた。 入学から一ヶ月以上経っているのだ、ある程度の友達くらいなら出来るだろう。
「なに?」
弁当を頬張りながら、和樹が尋ねる。 すると、話しかけてきた彼の顔が一気に紅潮した。
「あのさ、お前、二組の水木ちゃんと仲良いよな?」
「あ〜、まぁそうかな。」
「あの子って彼氏とかいるの?」
「……さぁ、わかんないなぁ。」
和樹はそっけなく答えた。そして再び昼食を頬張る。 だが、頭の中では先ほどの問いを巡らせていた。水木に彼氏がいるのかどうか。 一ヶ月近く共に風景写真を撮っているが、そんな雰囲気は感じない。 彼氏と思われる人物からのメールや電話など和樹の知る範囲ではきていない。 それでも、いないとは言い切れない。
実際の所、どうなんだろ…。 和樹は箸を止めて、考えに耽った。
「おい、飯島。どうしたんだよ?」
「あ、いや、別に。何でもないよ。」
友達に呼び掛けられ、ハッと我に帰った。 とりあえず、弁当箱の中に残っているご飯をたいらげ、友達の話に耳を傾ける事にした。
「二組のさ、水木って子がスッゲェ可愛いんだよ。なんかさ、守ってあげたくなるような子でよ。」
「へぇ〜。そんな子と、飯島が仲良いのかよ?」
「まぁ、同じ部活だから。」
適当に返事をするが、頭の中は早百合の彼氏のことでいっぱいだった。 和樹はここ一ヶ月の記憶を辿ってみる。 電話やメールをしてきたのは、彼女の家族だけであったはずだ。 もちろん早百合は、おせっかいな母親を邪険にせず、優しい口調で通話していた。
「でさ、飯島。お前に一生の頼みがあるんだ。水木ちゃんにさ、彼氏いるのかどうか聞いてくんねぇかな?」
和樹は、それはいい案かもしれないと思った。 それならこの友達をダシにして、自分が聞きたいことも分かるからだった。 和樹は快く返事をする。
「ああ、いいよ、そんくらい。任せとけって。」
よっしゃ、とガッツポーズをする友達。 お前は本当にいいヤツだな、とも付け加えた。
そして昼休みが終わり、5,6時間目もあっという間に過ぎた。
「んじゃ、頼むぞ。飯島!」
友達はそう言い残して、クラスから出て行った。 彼は野球部所属で、自分のバットとグローブを手にして走っていった。
和樹もバックを持って、写真部の部室へと向かう。 水木は来ているだろうか、どう話を切り出せば良いだろうか。 そんな事ばかりを考えて歩いていた。
「あれ、まだ来てないのか。」
写真部と大きく書かれた古臭いドアの中を覗きこんで、言った。 部屋は真っ暗で和樹は手探りで電灯のスイッチを探した
「ええっと、どこら辺だったっけな…。お、あったあった。」
パチン、と小気味いい音がして蛍光灯が灯る。 そして教室の中に入っていくと、見慣れた人物が部屋の奥の方で突っ立っていた。
早百合だった。 和樹は困惑した。 電気も付けずにいた理由が分からない。早百合はゆっくりと和樹に視線を動かした。 彼女の瞳は、紅く染まっていた。
「み、水木…?」
「も〜遅いよっ。」
彼女の表情とは、まったく逆の明るい声が返ってきた。 そして和樹に笑いかけた。普段と変わらない、魅力的な笑顔だった。 だが、明らかにいつもと違う。和樹はそう感じていた。
「どうしたんだよ。部屋ン中、真っ暗にして。」
「えっとね、ちょっとお昼寝でもしようかな、なんて。」
いつもと変わらない笑顔と口調。 それでも和樹は違和感を覚えていた。 どこか、彼女の笑顔が陰っているように見えた。
「あっ、そうだ。俺のクラスのヤツが、水木に彼氏がいるのか聞きたがってた。」
和樹はバックを机の上に置きながら、切り出した。 早百合は相変わらず、陰った笑顔でそれを聞いていた。 どうなの、と和樹が答えを促すと、早百合は笑顔で答えてくれた。
「あたし、彼氏なんていないよ。その人にも伝えておいて、あたしはフリーだって。」
いたずらっぽく笑う早百合を見て、和樹は思った。 泣いてるようにも見えたけど……気のせいだよな、と。
そしていつも通りに部活動をする。カメラを手にして、校内を回ったり、校庭で景色を眺めたり。 そこで和樹は、あの桜に目を止めた。 既に花びらは散っており、葉桜になっている。 それもそれで趣深かったりするが、やはりピンクの花びらのほうが良い、と和樹は思った。
「桜の花って、儚いよな。」
「え?」
和樹の言葉に早百合はひどくうろたえたように見えた。 そんな早百合には気づかないで、和樹は言葉を続ける。
「だって、咲いてから2週間くらいで散っちゃうんだぜ。なんか悲しいよな。」
思ったことを口にした和樹が早百合を見た。 しかし和樹に顔は見えなかった。早百合はうつむいて声を殺すようにして泣いていたのだ。 顔を手で覆っている早百合に和樹は驚きを隠せなかった。
「ど、どうしたんだよ。俺、そんなイヤな事言った?」
和樹がそう言っても、早百合は泣き止むことはなかった。 和樹はただただ早百合の隣で立ち尽くすだけだった。
「ご…めん……ね、急に…。」
掠れた声で早百合が言った。 相変わらず顔はうつむいて手で覆ったままだ。 和樹は戸惑って何を言ってよいか判らずにいた。
「…ごめ…ん、今日は…帰るね…。」
それだけ言うと、早百合は踵を返して走り去ってしまった。 一人取り残された和樹は呆然として立ち尽くしていた。
次の日、和樹は自分の席でぼんやりと窓の外を眺めていた。 何をしていても、昨日の事が頭から離れない。早百合が泣いて、走り去ったこと。 そしてそれは自分のせいなのか、ということ。 和樹は頭を抱えて、深いため息をついた。
「水木、部活来るかな…?」
願望の念を込めてつぶやいた。 窓の外に見えるあの桜の樹の枝の先に生えている葉っぱが、柔らかい風に吹かれて揺れているのを和樹は目の端で捕らえた。
6時間目が終わり、ほとんどの人が部活やバイトのために教室から出ていく。 和樹はポツンと取り残された気がした。急いでバックを用意して立ち上がる。 足取りは重いが黙って帰るわけにはいかない。 その念が和樹の足を写真部部室へと運ばせた。
写真部のドアの前に立つ和樹。 そろそろとドアを開けると、そこには見慣れた光景があった。 机、カメラ、そして早百合の姿だった。
「あっ、和樹君。」
和樹の存在に気付いた早百合が小走りでやってくる。 その表情に昨日の陰りは見えない。
「あの、水木、昨日は…」
「昨日はゴメンなさい!」
和樹の言葉を遮るようにして早百合が言った。早い動作で頭を何度も上下させて、謝った。和樹は、拍子抜けしたようなホッとしたような気分になった。
「昨日は、どうしたんだよ?」
和樹がそう尋ねると、早百合は笑って答えた。
「えっとね、昨日ちょっと悲しいことがあったの。」
どんな事?と聞きたい衝動に駆られたが、それは聞かないのが礼儀だと和樹は思った。
「でも、もう大丈夫だから。心配しないで。」
笑う彼女を見て、和樹の悩みは吹き飛んだ。
「じゃ、部活しようか?」
「うん、そうだね。」
早百合は机の上のカメラをとって、元気に腕を振り回した。
「さ、頑張ってこー!」
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