「はい、今日はここまで。ちゃんと復習しておくように。」
六時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、教師がそう言った。 クラス内の生徒たちは、それを聞いていないかのように席を立つ。 和樹も学生バックをとって、教室を出た。もちろん復習などするつもりはない。 和樹は軽い足取りで目的の場所へと向かう。写真部と貼られたドアの前に立った。 そしてゆっくりとそれを開ける。
「あっ、来た来た。」
中にいた女の子が明るい声で和樹に言った。 椅子から立ち上がり、ようこそ写真部へ、と丁寧にお辞儀をする。
「こちらこそ。水木。」
和樹も深々とお辞儀した。 そうして同時に顔を上げるとプッと吹き出して、笑いあった。 和樹にとって高校入学以来、久しぶりに心底笑った気がした。
「さ、行きましょう。」
「ん、どこに?」
和樹が尋ねると、早百合は机の上に用意しておいたバックをとって和樹に差し出した。
「もちろん、写真撮影に。」
和樹はバックを受け取り、その中を見た。 そこには大きなカメラが一台入っていた。黒光りするゴツイカメラだった。
「今から、どこに?」
「それはきみが決めるんだよ。自分の心に聞いて、その場所に行くの。」
「……じゃあ、あそこしかないよ。」
和樹はカメラを持って、部屋を飛び出した。
「あっ、ちょっと待ってよ!」
早百合も和樹を追って、写真部の部室を出た。 和樹は校舎を出て校庭を目指した。息を切らす事さえ忘れて、ただあの場所へと駆け出した。 早百合も靴を履きかえ、校庭に出た。そうして和樹の姿を探す。 早百合の予想通り、彼はあの桜の下にいた。
「この桜を、撮るの?」
「……うん。」
和樹は桜を見上げながらバックの中のカメラを取り出して、レンズ越しに桜を見つめた。そしてカシャっという乾いた音がした。
「どう?気分は。」
「……なんか、呆気ない感じ。」
ふぅ、とため息をついた和樹がカメラをバックに収めながら言った。 和樹の表情は明らかに拍子抜けしたような感じだった。それは隣にいる早百合にも伝わってしまったようだ。 早百合は和樹からバックを引ったくる。 そして言った。
「景色って、時間や場合、その時の感情とかでも、見える光景っていうのが違うもんなんだよね。」
早百合は和樹の手を引っ張り、歩き始めた。 そうして向かっていく場所は、校舎内だった。
「あたしが見せてあげる。心震わす景色ってやつをさ。」
そうして連れられた場所は、屋上だった。 すでに時刻は5時を回っているので、例年の四月の中旬通り、太陽が西の空に落ちるところであった。
「わぁ…。」
鮮やかな夕焼け。 陽の当たる全てのところを赤く染めている。 そして影となる部分は長く伸び、昼間より黒く見えた。
感動。 まさにその一言だった。 和樹は赤い太陽を見つめ、何も言えずにいた。
「この場所、あたしのお気に入りの一つ。」
早百合はバックからカメラをとって、それを構えた。 今にも太陽は西に消えていこうとしている。早百合はその一瞬を見逃さなかった。 カシャっと音がした。そして太陽は西に沈んでいった。
「どう、わかった?」
早百合が和樹のほうを振り向いて言った。 その顔には爽やかな笑顔が浮かんでいた。
「うん、すごく、綺麗だった…。」
和樹は早百合を見つめた。 微かに残る夕日をバックにした早百合が笑顔で佇んでいる。
すごく綺麗だった。和樹は再びそう言った。 この言葉は夕日に向けたものではなく、早百合に向けたものだった。
「でしょ?」
もちろん、早百合は和樹の言葉を夕日に対する感想だと受け止めた。 早百合はカメラをバックにしまい、和樹に近づいていった。
「さ、今日の部活はこれでお終い。また明日も頑張ろうね。」
明るい声で早百合は歩き出した。 それに続いて和樹も歩を進める。 部室に寄って、カメラを置く。そして鍵を掛けた。 帰り道の道中、少しの間だが和樹と早百合は一緒に帰った。そして別れる。 和樹は夕闇の中を一人で帰る。その時、急に足を止めた。 ふと、先ほどの景色を思い浮かべた。
真っ赤な太陽、黒く伸びる影、そして笑っている早百合。
和樹は自分の中で、早百合の存在を強く意識し始めた。
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