和樹は自分の部屋のベッドの中にいた。 早百合の事を考えると涙が止まらなかった。 何をする気にもなれず、ただ無意味な時を過ごしていた。
早百合の入院した日から既に三日が経っていた。 残り4日。それが、医者の言う早百合の寿命だった。
その時、携帯電話が軽快なメロディーを奏でた。 着信中。そう表示されていた。画面には、水木早百合と出ていた。 和樹の体に緊張が走る。恐る恐る携帯の通話ボタンを押した。
「――……もしもし?」
『……和樹君?』
やはり早百合だった。 和樹は気が沈んでいくのを感じた。
「……うん、そうだけど、どうしたの?」
『えっとね、あたし、今病院にいるの。来て、くれないかな…?』
分かった、すぐ行く。 そう返事をしてから携帯を切った。
まだ早百合は生きていた。 それが分かっただけで、安堵の念が生じるのを和樹は感じた。
再び自転車を走らせる。 交差点を通り、道路を抜け、急な坂を上りきった。 今度は病院の駐輪場に自転車を止めて、入り口へと向かう。
病院の中に入った。 しかし受付には行かない。 早百合の病室は分かっているから。 302号室だ。
「……俺だよ、水木。入っていい?」
ドアの前でノックをする。 中から、どうぞという声が返ってきた。 ゆっくりとドアを開ける。中を見ると、早百合がベッドで横になっていた。
「久しぶりだね、和樹君。」
随分とやつれてしまった。 彼女の肌は蒼白で、血も巡っていないようだった。 目は疲れが溜まっているかのように虚ろだった。 しかし笑顔だけは変わることなかった。早百合は、笑っていた。
「あたし達、付き合ってるんだよね…?」
横になっていた体を起こそうとしながら、早百合は唐突に言った。
「……ああ、付き合ってるよ。」
和樹も事実を口にした。 早百合は辛い体を酷使して、起き上がった。
「じゃあ、別れようか…?」
「え……?」
突然の告白だった。 早百合は笑顔を留めたまま、和樹を見つめていた。 和樹はさすがにためらいを隠せないでいる。
「どういう、こと…?」
「あたしはもうすぐ死んじゃう。分かるの、自分の体だから。……でも、あたしにはどうしようもない。どうにも出来ないの。」
早百合は目に涙を浮かべながら続けた。
「このまま死んじゃったら、君は悲しむ。あたし、そんなのヤダから…。ここで別れよ?」
「そんな、そんなこと…!」
和樹は何かを口にしようとしたが、出来なかった。 図星だったから、何も言うことが出来なかった。 早百合には、和樹の心を読むことは容易い事なのかもしれない。
「いいの、大丈夫。あたしは平気だから。もう、別れよう。ね?」
和樹はそれ以上何も言うことが出来なかった。 黙ったまま、早百合の病室を後にする。力無い足取りで階段を下りていった。
「…………何か言ってよ、ばかぁ。」
残された早百合は一人きりの病室でつぶやいた。 彼女の目から、涙がこぼれた。
「……大丈夫なわけ、ないでしょ。君の事を考えて、想って、出した答えなのに…。」
涙を拭って、独り言を続けた。 泣いているせいで、途切れながら言葉が紡がれる。
「……そんな…悲しそうな顔して。黙って…行っちゃって。あたしは、どうすればいいのよぉ…。」
早百合は左胸を押さえて、囁くように言った。 窓の外の景色が色褪せていく。そう感じながら、早百合は再びベッドに横になった。
「……………水木。」
時間は午後6時。 面会時間は5時半までだ。それでも和樹は病院のロビーのソファーに腰掛けていた。 看護婦が受付から出てきて、言う。
「すいませんが、面会時間は5時半までとなっております。一般のお客様はお引取りを…。」
みなまで言うな。 和樹はそう思って立ち上がった。 ここにいても出来ることは無い。もう自分と早百合を繋ぐものは何も無いのだから。
和樹が病院を出ようとしたとき、奥の方でなにやら騒がしく駆け回る医師たちの姿を見た。 彼らの声が聞こえてくる。
「302号室の水木さんの容態が急変しました!」
「急いでください!一刻を争うんです!!」
彼らは急いで階段を駆け上がっていった。 和樹はその一部始終を見ていた。自然と足は早百合の病室へと向かう。
「ちょ、ちょっと、一般の人はもう病院内には入れないんですよ!」
「水木……水木…!!」
看護婦の注意を無視して、和樹は階段を上っていった。 早百合の病室はとても騒がしくなっていた。 その部屋に入ろうとする和樹を看護婦が引きとめた。
「いい加減にしてください!彼女の命が危ないんです!邪魔をしないでください!」
「放してくれ!俺は……俺は水木を――!」
「……いいんですよ、看護婦さん。」
突然、部屋の中から声がした。 その声の主が部屋から出てくる。 早百合の父親だった。
「彼を、ここにいさせても構わないだろうか?」
「ま…まぁ、親の方がそう言われるのでしたら…。」
看護婦はそう言って、すごすごと引き戻っていった。 和樹は早百合の父親を見る。父親が言った。
「……早百合が、そう望んだんだ。」
「え?」
父親は視線を落として、うつむいた。 和樹は変わらずに父親を見ている。
「もし、早百合が危険な状況になったら、早百合が、傍にはきみにいて欲しいと、そう言ったんだ。」
和樹は衝撃を受けた。 彼女がどれだけ自分を愛していたか、自分がどれだけ彼女を愛しているか、再認識した。 目から自然と涙が出てくる。
その時、部屋の中から白衣を着た男が出てきた。 眼鏡を吊り上げながら、早百合の父親の方へと近づいていく。
「……早百合――早百合は!?」
父親が尋ねた。 おそらく彼が医者だと分かっているからだろう。
「強心剤により、一応は、繋ぎ止めました。しかし危険な状況に変わりはありません。」
和樹は医師の脇をすり抜けて、病室に向かった。 部屋に入って早百合を見た。 延命装置に繋がれた蒼白な少女が、そこにいた。 和樹は、力なく垂れている早百合の手を握った。
「―――水木……!!」
涙が一粒、音も無く床に落ちた。
|
|