赤石 惣介。 奴が刑務所から出てくるのは、200○年12月8日。 人間やればなんでも出来るものだ。 普通、裁判などの判決は、よほど有名でない限り、報道されることはない。 だけれど俺はそれを知った。この世にはあるんだな、闇のルートってやつが。
とりあえず、俺は待たなくてはならなかった。 約四年。今からその年月を待たなくてはならない。 もしかしたらその間に殺意が萎えるかもしれない。消えてしまうかもしれない。 そんな心配はないと断言できた。 むしろ待てば待つほど、殺意が湧き上がるのが実感できたからだ。
「さぁ、待とうか。 ……四年だ。四年経てば、俺が奴を……」
そうして、時期が過ぎていくのだった。
* * *
俺は高校を卒業して大学に入った。 高校では、周りは俺と美冬が付き合っていたのを知っていたから、みんな俺に気を使っていた。 しかし大学ではそうはいかない。 俺の過去を知らずに近づいてくる奴など何人もいた。 俺はそんな奴らをウザイと思いつつ、表面上は仲良くしていた。
「今日、何日だっけ?」
ウザイ奴の一人が、俺にそう尋ねた。 俺はいい奴の振りをして、笑って答える。
「200○年12月7日だよ」
「西暦まで言う必要ねェよ」
「……そうだな」
何とも言い知れない感情が沸き起こる。 明日だ。ついに明日、奴が……赤石 惣介が出所してくる。 俺は笑いたいのを噛み殺して、平常心を保った。
「明日コンパあるんだけどさ、お前行く?」
コンパ? くだらない。 何が面白いんだ? 全くもって時間の無駄だ。 だけど、いつもはそれに付き合ってやる。 一応は人付き合いのためだ。 しかし明日は譲れない。明日こそが記念すべき断罪の日なのだから。
「悪いな。明日はどうしても外せない用事があるんだ」
「へぇ、どんな?」
「……四年前からの誓いのためだよ」
不思議そうな表情をするソイツを無視して、俺は歩を進めていった。 とりあえず向かうべきは自宅だ。大学に入ってからは一人暮らしをしている。 親に仕送りをさせ、俺はそこで準備を始めた。 奴を殺す準備を…。
* * *
200○年12月8日、午前五時。 俺の意識は早々と目覚めた。布団から起き上がって、朝食の用意。 いつもと変わらない日常の始まりだ。 だけど、どうしても湧き上がる殺意だけは抑えられない。 早く、早く、早く。
適当に朝食を済ませて、俺は家を出た。 今日の日のために用意した包丁をバックに入れて。
刑務所の前に着いた。 そこでしばらく待っていると、誰かが出てきた。 奴か?奴なのか? 顔を見れば一目で分かるはずだ。 奴の顔写真は、穴が開くくらい見たのだから。
「……出てきた」
奴の顔を見て、俺は確信した。 赤石 惣介。四年前と比べて、いささかやつれている様だが、さほど変わりはない。 ハゲた頭、濃い髭、そして中毒者のような目つき。 奴に違いなかった。 俺は奴の後を追っていく。気付かれないよう、気をつけて。 そして奴が自宅に入り、出所した嬉しさの中で、俺が現われるんだ。 そして奴から全てを奪う。
闇ルートから手に入れた情報では、奴の自宅は俺の家とあまり遠くはないようだ。 だから奴は俺の家の近くを通った。それだけならまだ許せる。 だが、奴は美冬の家の横を通った。口笛を吹きながら、軽快に、脇目も触れずに。
「…………ッ!」
湧き上がる怒り。 我を忘れて殺してしまいそうだ。 だけど、どうにかして俺はそれを抑えた。 後もう少しの辛抱だ。あと少し、あと少しだ。
すると突然、奴は意味の分からないルートに進み始めた。 赤石 惣介が行った場所。それは、美冬が襲われたあの空き地だった。 そこの茂りっぱなしの草の陰に隠れるようにして、奴はジッとしていた。
そして夜になった。 俺は少し遠くからそれを眺めていた。 何をする気だ?何が目的だ? そして九時ごろ、その空き地の前を通ろうとする女性がいた。 赤石はその女性の前に飛び出し、捕まえて、草むらの中に連れ込んでいった。 女性のかん高い助けの声が響いた。
「……あの野郎…」
怒りとか、もうそんなものじゃない。 奴は人じゃない。獣だ。けだものだ。 俺はゆっくりと草むらの中に入っていく。 そして美冬が倒れていた場所に行くと、そこで赤石は女性を襲おうとしていた。
「……テメェ、その人を放せよ」
とりあえず、赤石を一発だけ殴った。 それで女性は自由の身になり、一目散に逃げていった。 きっと警察を呼ぶだろう。その前にケリをつけなくては。
「テメェ!なにしやがる!!」
赤石は怒りの形相で俺を睨みつけた。 しかしそんな事はどうでもいい。
「……お前、四年前に捕まったよな? そんときのこと……覚えているか? 『麻月 美冬』。その名前を知っているか?」
俺は冷たく言い放った。 赤石は俺が殴った所から出ている血を拭って、嘲るように言った。
「あの女か?……ククク、あれは良かったぜェ…。 俺がよぉ、犯してるときにも男の名前を呼んで、喘(あえ)いでたんだぜ?」
「……………」
「たしか『リョウ君』とかって言ってたなぁ。 ククク、あれは良かったなぁ。俺のを突っ込んでる時なんて、最高だった」
「……………」
「処女だったし、最初から最後まで抵抗してたからなぁ。 あん時は我慢できなくてイっちまったから、捕まったんだけどよぉ」
なんだろうか。 この気持ちはなんだろうか。 怒り?殺意? とんでもない。 そんなものは、とうの昔に超えている。 言葉で表すことなんて出来ない。 おそらく人間の中で最もどす黒い部分が、俺を支配していた。
「……アハハハ…。 …フフフ……良かったよ…」
「あぁん?」
乾いた笑みが湧いてきた。 人って、ここまで他人が憎くなると、逆に笑みが出てくるんだな。 俺はおもむろにバックから包丁を取り出した。 その切っ先を赤石に向ける。すると奴の顔が急に青ざめていった。
「な!何持ってやがる!?」
奴が一歩だけ後ずさりした。 俺はその分、一歩前へ出る。
「本当に良かったよ」
俺が呟く。 赤石は俺の言葉なんか耳に入っていないように怯えているだけだ。
「お前が刑務所で本当に改心してたら、少しは躊躇っちゃうかなって思ってたけど…」 奴が背を向けて逃げ出そうとするのを、俺は逃がさぬよう奴の服を掴んだ。 そして押し倒す。奴の首筋に、包丁を突きつけた。
「そんな心配は無用みたいだな。 …アハハハ……。これで心置きなく、殺せるよ」
「や、止めてくれ!頼む! 命だけは助けてくれェ!頼むからぁ!!」
俺はフッと微笑み、そして腕に力を入れた。 包丁が奴の首を裂いていく。血が吹き出て、草むらが紅く染まっていく。
「お前はそう言った美冬をどうした? 笑って犯したんだろ?……だから、俺も笑いながら殺してやるよ…」
奴の苦しそうな表情が、次第に力をなくしていった。 そして奴の体が冷たくなっていくのを確認して、俺はその場を去った。 あとやり残した事を果たすため、俺は空き地から遠ざかっていくのだった。
* * *
俺は一つの墓の前にいた。 『麻月美冬之墓』。そう書かれていた。 手には花束。正装をして、ネクタイなんかも締めている。 先ほど寺で買った線香に火をつけて、墓に飾った。
「久しぶりだな、美冬」
赤石を殺した後、まずは家に帰って、風呂に入った。 あの男のおぞましい血を大量に浴びていたし、ここに来る前に身を綺麗にしておきたかったのだ。
「これは花だよ。けっこう高かったんだぜ?」
美しく咲き誇る花々。 それを墓の前に添える。 線香の匂いが鼻をつく。すこし煙いが、我慢しよう。
「あれから四年か。考えてみれば、短かったな」
線香の煙が天に昇っていく。 それを見上げて、俺はおもむろにポッケから一つのものを取り出した。 ナイフ。あの時、美冬が俺に預けた、リストカットをしていたというナイフだ。 手にとって、俺はそれを見つめた。
「もう、終わったよ。俺もお前の所に逝きたい」
ナイフを手首に当て、それをずらした。 しかしほとんど血が出ることはなかった。 やっぱり、ビビッているのか、俺は。
「……美冬。 俺は……俺はお前に何をしてやれた?」
そのナイフを今度は首に当て、そこで静止した。 少しだけ、手が震えた。
「何にもしてやれなかったなぁ。 本当に情けなく思うよ。本当に…」
今までの思いが走馬灯のように蘇っていく。 楽しかったこと、辛かったこと、悲しかったこと。 今では全てが良い思い出だ。
「本当はさ、俺、もっとキスしたかったんだぜ? 恥ずかしいけど、美冬とエッチな事とかもしたかった。……でも、もう叶わないんだよな…」
手の震えが止まった。 もう、覚悟は決まった。
「最後に俺たちの恋に題名でも付けようかと思ったけど、何にもないなぁ」
そこで俺は、腕に力をいれ、首の動脈が走っている所を断った。 血が溢れる。そして噴き出した。
「だからこそ、何もないのを題名にしようと思うんだ。 『No Title Love』。どうだ? けっこうカッコいいだろ?」
傷口が熱い。 だけど、体の芯から冷たくなっていくようだ。 これが死か。足元が危うくなり始めて、俺は美冬のナイフを地面に落としてしまった。
「お前に、会えると良いなぁ。 美冬は変わってないかもしれないけど、俺はずいぶん年とったからなぁ」
会えると良いなぁ。 またそう呟いて、俺の世界は白く染まっていった。 そして最後に見えた気がしたんだ。 美冬の笑顔が。 俺に手を伸ばして、受け入れようとする美冬の笑顔が。
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