好きだという想い。
どれだけ想っていても、言葉にしなくちゃ伝わらない。
そんなことは分かっているんだ。
でも…。
それが出来てたら、僕はこんなことに悩んじゃいないっていうのも事実。
だからこんどこそ。
必ず、僕の気持ちを、彼女に伝えるんだ。
□
僕の前には、彼女が。 とても長い黒髪をたらして、大きくて可愛い瞳を僕に向けて。 小さな唇と均整の取れた小さな鼻。 抱きしめたら折れてしまいそうな華奢そうな体。
そんな彼女が、僕の前に立っていた。
「明日香……ちょっといい…?」
「どうしたの、改まって?」
柔らかな風が頬をなでる。この風はどこまで吹いていくんだろう? 陸を過ぎて海を越えて…。 暖かな日差しが僕らを照らす。この温もりのある光が世界を照らしているかと思うと、なぜだか不思議な気分になってくる。
「……良太?」
「あの、明日香は、夏休みとかヒマってある…?」
僕の心臓を打つ速度が上がってきている。 昔からの付き合いだというのに、最近では彼女と話すだけでこんな具合だ。
「え…? 夏休み…」
彼女が困ったように顔を曇らせた。 それに伴って僕の気分も沈んでくる。ああ、やっぱり失敗したかな…。
「……あたし、生徒会とか入ってて、夏休みも予定が入ってるんだ…」
「あ、そうなんだ…」
小さい頃から、僕と彼女は仲が良かった。 俗に言うなら『幼馴染』というやつだろう。だって物心が付いた時から、彼女が傍にいたんだ。 彼女――明日香が…。
「ねえ、良太? あたし達、高校に入ってからの思い出って、ほとんどないよね…」
僕らは現在高校三年生だ。つまり今年で卒業ということになる。 それからの進路はとうぜん違ってくるだろう。だって、それぞれが大人になるわけだし、ずっと高校時代に固執しているわけにはいかない。 でも……。
「小さい頃からずっと一緒で、高校も同じで…。なにをするにも一緒だったのにね…」
「……うん…」
いつからだったかな…? 僕が、明日香に恋心を抱いたのは…。
最初は単なる『幼馴染』への感情だと思ってた。だけど、明日香に会うたびにその感情が膨れていって…。 だけど僕はその感情を押し殺して、ここまで来ていた。
「だから、良太があたしを呼び出すなんて、めずらしいね。今まではこんなこと無かったのに」
「あ、明日香…! あの、ぼ、僕…!」
きっと僕ならこの感情を抑えたままで、学校を卒業できるだろうし、別れを告げることも出来ると思う。 でも、そんなのはいやだから。 黙ったままで別れるくらいなら、いっそ玉砕したい。そう思うんだ。
「……」
明日香の長くて黒い髪が少しだけ揺れる。そして顔にかかってしまった髪の毛を払っていた。 そのしぐさの一つ一つに僕は愛おしさを感じていた。
「あ、あの……生徒会の仕事って、そんなに忙しいの…?」
「う、うん…。今年は卒業の年だから、一大イベントをやるって…」
「そ、そうなんだ…」
「……」
「……」
ここまできて、決意が揺るいでしまう。 もし拒絶されたら? もし彼女にはそんな気なんてなくて、ただの『幼馴染』として僕を見ていたら? そう思うだけで、決意が揺らぐ。足さえも震えてきてしまう…。
「思い出が無いって言うのも、良太ってば、あたしのことなんか見もしないで、友達とばっかり遊んでてさ」
「う……。そ、それは…」
「わかってるよ。でも―――」
彼女の瞳が僕を直視している。 僕も彼女から目を逸らせない。僕ら二人は見つめ合っていた。 いつまでもこの時間が続いてくれればいいのに…。
「あたしは、もっといっぱい思い出を作りたかったな…」
ドクン、と僕の心臓が高鳴った。 明日香の頬が紅潮して、彼女は少しだけうつむいてしまった。
「良太との思い出を、もっといっぱい…」
「……明日香…」
揺るいだ決意が、固まった。 もう迷わない。僕はもう立ち止まらない。 僕の気持ちを明日香に伝える。たとえ断られようとも、それに後悔はしない――!
「明日香!」
「……」
「あ、明日香、僕…!」
「……」
「明日香のことが好きだ! ずっと明日香のことが好きだったんだ!」
い、言った…。とうとう言った。 もう後には戻れない。
「良太…」
「ぼ、僕…! ずっと前から、それこそいつ頃だったか分からないくらいから、明日香のことが好きだったんだ!」
もう僕を止められるものは何も無い。 あとは、ただ突っ走るのみ。 そこに続く道が地獄だとしても、もう戻れない。
「何度も言おうとしたんだ! でも、明日香がどんどん可愛くなっていって、言うに言えなくなって…!」
「……」
「それからも明日香は綺麗になっていって……僕、意識しちゃって…!」
「りょう…た…」
「学校じゃ明日香すごい人気だし、成績も抜群だし、生徒会にも入ってるし…! 僕、どんどん取り残されてる気がして…! 明日香がどんどん遠くに行くような気がして…!」
明日香は紅潮した顔で僕を見つめていた。 僕だって自分が何を言っているのかさえ、完璧に理解できていなかった。 でも、僕が言っていることは真実だ。彼女に取り残されそうな気になっていたのは、本当だった。
「もうダメだと思った…! 僕と明日香じゃつり合わないし、僕たちはただの『幼馴染』なんだって…」
「そんな……そんなこと…」
「でも! 明日香と離れていくのがイヤで、我慢できなくて…! 僕、僕は――!」
「そんなことない!」
シン、と彼女の声でその場が鎮まった。 僕の泣きそうになっている声がやんで、残っているのは静寂だけだった。
「あす……か…?」
「……う……し…」
「え?」
「……嬉しい…」
「え!?」
「良太が、そんな風に思っていてくれたなんて…」
柔らかな風が吹き抜けた。 僕の頬を通り、明日香の体をすり抜けて、風が走っていく。
「あたしも…。あたしも好きよ。あなたのことが、ずっと前から…」
………え………。 明日香……いま、何て……。
「あたしも何度も言おうとしてたの。でも、良太は相手にしてくれなくて……あたし…」
「明日香…」
「生徒会とかで会えなくて、どんどん距離が広がっていく気がして…」
も、もしかして……明日香も、僕と同じ気持ちだった…?
「今年で卒業しちゃって、良太と会えなくなったら…。 そう考えるだけで夜中眠れなくて、少しだけ泣いちゃったんだから…」
「あ、明日香…」
夢……か? これは現実なのか? これは真実なのか? まさか僕の見ている都合のいい夢だって事は…。 でも、もし夢だったら、このまま醒めないでほしい。ずっとこの空間にいたい…。
「でも、これからは泣かなくて良いんだね? ずっと一緒にいれるんだね?」
「あ、明日香…! それじゃあ!」
「うん」
「ああ、良かった…」
あ、あれ…? なんだか、気を抜いたら足が震えてきた…。 下手したら地面に座り込んじゃうかも…。あはは…。
「でも、良太? あたし達、ずいぶん遠回りをしちゃったね」
「うん。でも、卒業まではまだ時間もあるし、夏休みもこれからだし…」
「……」
「たくさん思い出つくろうな。明日香」
「うん。そうだね、良太」
明日香が笑った。今までで最上の笑顔を、僕に向けてくれた。 それだけで十分だ。胸の中が、嬉しさでいっぱいになる。
「じゃあ、帰ろうか? 送っていくよ」
「良太」
「ん?」
「好きよ。大好き」
「僕もだよ、明日香」
そうして、僕らは見つめあった。 明日香が少しだけ背伸びをする。僕は少しだけ上半身を曲げた。 彼女が目を瞑る。僕は無防備な彼女の顔へ、僕の顔を近づけていった。
そして、僕らは、初めて唇を合わせた。
しばらくして、僕らは互いに離れた。少しだけ恥ずかしいから、目は合わせられなかった。 でも、彼女がポツリと呟いた。
「良太。ずっと一緒にいてね」
「もちろんだよ。僕の方こそ一緒にいてほしい」
僕らは離れない。ずっと、ずっと一緒にいるんだ。
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