銀色の髪を風になびかせながら、紫炎(しえん)は確かにあれを見ていた。十三の少年が見た世界は、どこもかしこも地平線の大自然だった。 風が雑草をなびかせ、木の葉を揺らしながら過ぎ去っていく。どこもかしこも緑色だった。空を見上げるとやけに青くて、溶けて、吸い込まれそうになる。嫌なことが全部、どこか遠くへ消えていきそうだ。 紫炎はゆっくりと緑の上に寝転がった。吹く風や青い空がとても心地よかった。小鳥のさえずりが、どこか、遠くから聞こえてくる。目を閉じると真っ暗な世界のはずなのに、何か光を、白くきれいな光を見た気がした。そして、そのまま眠ってしまった。 目を覚ますと、そこには同じ、大自然があった。同じだった。緑も風も。ただ一つちがうことがあった。さっきは確かにいなかったはずなのに、そこに一匹のシェパードがいた。シェパードはゆっくりと紫炎に近寄ってくる。そして、目の前でぴたりと止まった。 「わたしの声が、聞こえますね」 どこからともなく、紫炎の頭の中にその声が届いた。あたりを見回しても、誰もいるはずがない。いるのは、この犬、一匹。誰の声かわからずに、不思議に思っていると、その声はもう一度、さらにもう一度、ハッキリ聞こえた。 「わたしです。目の前のわたしがあなたに話しているのです」 紫炎は自分自身を疑った。犬が話すなんて、到底考えられなかったから。それでも、紫炎は恐る恐る声をかけた。犬は、それを聞くと、また、ゆっくりとした調子で声をかけた。 いつしか、二人は話にとけ込んでいた。犬は、自分の名をシェドルトと語った。テレパシーを使って、紫炎に話しかけたのだという。紫炎は、「なぜ現れたのか」と聞いた。すると、シェドルトは逆に「人間がなぜここにいるのか」と聞いた。紫炎は何と答えれば良いのか分からず、頭を抱えた。実際理由なんてなかったからだ。 「ただ、歩いていたんだ。そうしたら、いつの間にかこの世界が広がっていた んだ」 「なんだって!?」 シェドルトは目を真ん丸にして紫炎を見た。紫炎は思わず身を引いてしまった。それを見て、シェドルトはまたゆっくり話だした。 「ここは決して人間が入ることができない場所、緑豊かな、亡くなった動物達の安息の場なんだ。『永遠の楽園』と呼ばれているけど。ここの動物達は、みんな人間を嫌っている……」 シェドルトもそのうちの一匹……。 紫炎はその話をじっくり聞いていた。シェドルトの話は残酷だった。でも、目を背けてはいけない気がしていた。昔、戦争でなくなった彼ら。捨てられて死んだ彼ら。動物実験に使われた彼ら。いろんな動物達がいる。その彼ら全員の死に、人間が関わっていた。死んでも成仏することのできなかった彼らは、ここに永遠の楽園を築いたのだった。 紫炎は息をのんだ。そして、彼に聞いた。 「シェドルト。どうして、君は僕と話しているんだ?君も人間が嫌いなんだろう?」 シェドルトは何も答えなかった。 「じゃあ、ほかの仲間は?」 シェドルトは遠くの地平線のはるか向こうを見るようにして、答えた。 「仲間は君の見えない所にいる。小鳥だってさえずりしか聞こえなかったろう?」 紫炎はもう何も聞かなかった。シェドルトも何もいわなかった。 紫炎はゆっくりと立ち上がり、シェドルトに背を向けた。そして歩き出した。シェドルトもまた、立ち上がった。紫炎は、もうこの場を荒らしてはいけないと考えていた。彼らの気持ちが、少しだけ分かったから。シェドルトは、紫炎にここにいて欲しかった。普通では来ることができない所に来た人間。初めて、テレパシーの通じた人間。シェドルトは今まで何度も下界に降りて、自分達のことを伝えようとしたが、誰もシェドルトの声を聞かなかった。聞けなかった。紫炎が初めてここに来た瞬間から、普通ではないことくらい分かっていた。 ただ、ほかの仲間達は紫炎を拒むだろう。自らの意志で去っていく紫炎を、止めることはできない。シェドルトは、ただ、その背中を見送っていた。紫炎は一度も振り返ろうとはしなかった。
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