名も知らぬ鳥が鳴いている。 少し顔を覗かせた朝日が照らす湖面に老人が釣り糸を垂れる。 男がその背中に声をかける。 「釣れますか?」 少し間延びした、それでいて心地よい声で老人が答える。 「いやあ、さっぱりだねえ。ここいらでも昔はなあ…」 男の目がその竿を見る。ひと昔前、釣りというよりその道具に凝った時期があった男は、いわゆる「名竿」といわれる物のいくつかを記憶していた。 「いい、竿ですね」 「わかるかね」 えさを付け替えるためにいったん竿を上げた老人が少し振り返りながら答える。 「実物を見るのは初めてですが」 男は少し上ずった声を出す。 「一振りしてみるかね」 老人の問いに深くうなずいた男はその竿を振った。 おもりが水面と音をたてたあと、竿の先端が水面を突き破り竿全体が激しくしなり、男は竿を握ったまま湖中に引きずり込まれた。 「やっと一人釣れたわい」 老人は独り言を言って水の中に消えていった。 名も知らぬ鳥だけが鳴いていた。
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