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黒猫の緑眼。 作者:じゅえる

第3回   愛情と虐待の関係。

あたしは、中学校にあがるまで『母親』である彼女に怒鳴られ、殴られ、蹴られ、引っ叩かれ、布団叩きや掃除機で叩かれ、家から追い出され、罵声を浴びせられ、部屋に閉じ込められ、それはそれは散々な扱いを受けてきた。稀に他人の前で優しく触れられたりすると、物凄い恐怖を感じたりした。
あたしにとってその行為は、今で云う「虐待」なんて大層な行為ではなく、日常生活で、当たり前の事だった。だから、どれだけ酷い「虐待」を受けようとも、それについて何の不満も疑問も憎悪も抱かなかった。本当に、当たり前の行為だったから。
中学校にあがると、途端にその「虐待」は無くなった。スッパリと。
あたしは音楽やファッションに惹かれ、初めて自分の意志で自由に動く事を赦された。
髪を赤く染め、ピアスを15個も耳に開け、音楽雑誌を買い漁り、眉毛を全部剃ったり(笑)、兎に角やろうと思い立ったら殆ど実行してみた。1人で新潟まで鈍行電車に乗ってRock BandのLiveを観に行ったり、夜中に友達とLiveのチケットを買う為にチケット売り場に並んで開店まで待ったり、総ての事が初めてで、総ての事が刺激的で魅力的で、世の中に光をみた。

今居るあたしの愛情に対する感情の基盤は、きっと幼少期から中学校にあがるまでに殆どが出来たんじゃないかと思う。
他人の視線、自分に向けられる感情、他人の存在、自分の存在、間に生まれるモノ、間に在るモノ。
暴力こそが愛。
痛みを伴う事により得られる、相手の自分に向けられている愛情への確信。
痛みを伴わなければ、あたしは愛情を感じる事も信じる事も出来ない。
殴られる事。
蹴られる事。
噛まれる事。
叩かれる事。
強く掴まれる事。
絞首される事。
痣ができる。
血が流れる。
皮が裂かれる。
傷が残る。
瑕が残る。
痛みを感じる。
苦しみが襲う。
自分の肉体に痛みを感じる事によって、傷跡が残る事によって、漸く実感する。
相手のあたしに対する愛情を信じる事ができる。
歪んでいるのかもしれない。
あたしには、言葉だけじゃ何も届かない。
「好き」と云われれば、それなりに嬉しいと思うし、喜びを感じる事はできる。
その言葉を、わざわざ疑う事も無い。
ただ、疑う事も無いけれど、信じる事も出来ないだけなんだ。
そこには何も無いから。
目に見えなければ、肌で感じる事が出来なければ、あたしには無いも同然なモノだから。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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