過去の記憶を思い出して、幸せな想い出に浸るのは今が幸せじゃないんだろうか。 今だって充分幸せな筈だわ。何が気に入らないのかしら。全く解らない。気付かない。欲しいモノは一つだって欠けたままではいたくない。それは幸せになる為には不完全な状態だ。全部手に入れる為に努力をしなければいけない事なんて解っているけれど、それを考えるだけで面倒臭がったりする。あたしってこういう女だ。楽して総てが手に入る訳は無い。そんな事は知っている。知っているからこそ楽して総てを手に入れたいと思う。結局あたしは、いつまでも微温湯に浸かっているだけで、自分に鞭を撃ったりはしないんだ。さて、次はどうするの?
『ひなた』くんの事を好きなまま、1年が経った。あたしは1年前と何か変わっただろうか。何も無いのは解る。でも、この1年の間に『ひなた』くんの想い出は残ったわけで、それって素敵な事なんじゃないかしら。あたしの誕生日に偶然Liquid room ebisでLiveをした『ひなた』くんが、あたしとベッドの上で笑いながら約束したステージ上での「Happy birthday.」を本当に云ってくれた時には、最高に嬉しくて泣いたり。恋愛してるなぁ、あたし。最高に莫迦なんだなぁ、あたし。想い出ばかり残って、肝心の『ひなた』くんはあたしの側に残らない。何かもう、疲れたわ。疲れちゃった。
目の前を見ると、何も無い事に悲しくなるから見ない様にしている。沢山の可能性があたしの周りをウヨウヨと漂っては通り過ぎているのを、面倒臭がって掴み取らないだけで、あたしに何も無いのは自業自得なんだけれど。ゆっくりと泳いでいる。泳ぐのを止めて今は流れに身を任せたまま漂っているだけなのか。楽な方向へと流れて行く。激流に挑む事には、興味が無い。消耗して、傷付く事を恐れている。中途半端な吹き出物みたいだ。流れに身を任せているだけだから、何処に辿り着くのかは知らない。だから、何かに挑む前に終着点を探してしまう。あたしは死んでしまいたい。ネガティブな死ではなく。
あたしが死にたいと思うのは、今に始まった事ではない。あたしは覚えている限り記憶を遡れば、姉が幼稚園の年中クラスに居た頃から死にたいと思っていた。って事は、あたしは5、6歳か。あたしなんて居ても意味が無いと感じていたし、母親である女に脅えていた。毎日が怖かった。苦しかった。打たれて罵られる度に、道路に飛び出して車に轢き殺され、ふっ飛ぶ自分の屍体を想像していた。何故あの時、実行しなかったんだろう。…母親である女は言ったんだ。「車に撥ねられて死ぬのは止めな。迷惑だよ」。今更後悔してしまう。あの時に、命令を無視して死んでしまえば良かった。9歳の時に、小学校で放課後、誰も居なくなった教室で移動式黒板に長縄跳び用の縄を括り付けて、首吊りをした。踏み台を蹴って、全体重が縄に懸かった瞬間、目の前が真っ白になった。でもあたしは今こうして生きている。移動式黒板の端に縄を付けてしまった為に、黒板はバランスを崩してあたしを下敷きに倒れてしまった。首吊りは失敗。オマケに、あたしと一緒に帰ろうとやって来た姉に見つかって救出されてしまった。情けなく帰宅した首吊り失敗者は、夜中に最悪の吐気に襲われて胃液を吐きまくる結果に終わった。 1度車に撥ねられた事もある。それでも死ななかった。誘拐された時も、あたしは助かった。 壊れるのは簡単でも、死ぬのは難しいのかもしれない。意外に。 出来ればあたしは愛する人に殺されたいんだけどなぁ。
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