「……覚悟しろ! 悪の軍団!」 頬に感じていた柔らかくなった風が、再度いきなり鋭さをましてゴォッと音をたてた。 指で指した先には、貯水タンクがどん、と構えた高台があった。その高台のはしごを上った上の少し開けた場所に、大猿と老いたムササビ達は、すまし顔で佇んでいた。 上から見れば、三人が三角形を組むような隊形で、そのデルタの奥に、ツキコちゃんは捕われていたのだ。
「ツキコちゃん……!」 攫われたときに当て身でも食らわせられたのだろうか……彼女は僕の呼びかけにも答えず、ぐったりと首を垂れている。 貯水タンクの一番上に上るためのはしごに、彼女の両腕は結わえられていたのだ。
――――ビニール紐だということが、いささか気になるが。流石は僕の妄想だ。あまりにも安っぽすぎる。
「彼女を返せ!」 「毎回毎回、生徒会長殿直々においでになるとは……お前も暇なものだな」 啖呵を切ってみたものの、せせら笑う猿渡の顔が憎たらしくて仕方ない。ヒーローは僕なんだから、僕が来る以外に無いじゃないか! 何を当たり前のことを……! それでも指摘に腹が立たないわけではない。デルタの両脇である、御老体達の毎度の頷きにもイライラしてくる。 だがこんな時こそ、冷静になるのだ。僕の走りを、見せ付けてやる……。そのための策が、今回の妄想では用意してあるのだ。
「いつものように、殴り合いの喧嘩はフェアじゃない。今日は、僕の意見も聞いてもらおうか」 「……フェアじゃない? 言ってくれるな。お前のクオリティが低いだけだろうが」 「うるさいっ! いいから聞け! 僕は今日、お前達と百メートル走で競いに来たんだ」 「足の速い自分の特性を、自慢しにでも来たのか?」 「僕は自慢しに来たわけじゃない! ただ、彼女を助けに来たかっただけだ!」
僕の本当の妄想の理由は、運動が出来る自分を錯覚したいから、という理由ではない。 どんな形でもいいから、一度でも彼女を助けるという自分を見てみたかっただけなのだ。 好きな女の子を守れるというのが、男の一番の名誉だと僕は確信している。
「ふん……まぁいいだろう。そっちがそう出るのなら、こちら側にもそれ相応の対応が出来る手筈は整っている」 「なっ……」
冗談はよして欲しい。それは予想外だ。
……妄想で予想外なんて事、他の人なら有りはしないだろうが、僕の場合は特別である。 絶対誰かが裏で操作してるんだ。それを暴かない限り僕の妄想が自由に翼を広げることは無いだろう。
だが、例外が一つだけある、気がする。
――――赤マントのあいつの正体を、暴いてやることだ。恐ろしい気もするが、あいつを倒す、もしくは仮面を剥ぐ。すると、この僕自身のみすぼらしげなヒロイック・サーガに、終止符が打たれる。ような気がする。 万が一、運良くツキコちゃんを助けられたとしても、それだけでは終わりを告げてくれそうにない。 誰かが見ている夢の中に、僕のリアリズムや感覚だけが飛びぬけて浮上して、ただ見ているだけ、という気がしてくる。 一体誰の夢なんだ。妄想なんだ。楽しむために妄想するはずなのに、これでは丸っきり妄想主の僕は脇役同然じゃないか! 僕の偏見かもしれない……だが、目立っている脇役が、物語中では一番嫌われやすいというのに!
「はっきり言えば、俺達はスポーツが得意じゃない。だから、こっちには特別なゲストを用意したんだ」 「何だって……!」 「お前の負けは確定したようなものだな」 「くあぁぁぁ! 黙れ! とにかく僕が勝ったら、彼女を返してもらうからな!」 慌てて取り乱す事もなくいけしゃあしゃあと対応する大猿相手に、半ば狂った様にやけくそになりながら叫んだ。都合よくも、妄想の中での屋上はありえないくらいに横幅があって、百メートルなんてものじゃなかった。 待っていてくれ、ツキコちゃん。今回こそ、僕は必ず君を助けてみせる……出来るならば、格好良く。……なんて。
「さぁ、特別ゲストの御登場だ」 猿渡がそう言うと、何時の間にかデルタから横一列に並び変えていた悪の教師三人組は二、一に横方向左右に別れた。 そこに立っていたのは――――――――
「……お前は……!」
コツ、コツ……と聞き覚えのある足音が聞こえた。
「よぅ、久しぶりだな」 春風に赤いマントがたなびいた。心地よいはずのそれは、通り抜ける際に僕の恐怖心を煽り立てていくだけだった。
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