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嘘吐き達の韜晦理念 Concealidea of Jokers 作者:稲端肖

最終回   分冊2
嘘吐き達の韜晦理念 Concealidea of Jokers   稲端肖


『二〇〇五年 七月二十四日 午後七時二十九分』

「……なーにやってんだろ、あたし」
空は未だ明るい。繁華街の人ごみを、私はゆっくりと歩く。
結局自宅へと戻らずに、ゲームセンターに入り浸っていた。
対戦格闘ゲームで十六コンボをたたき出し、三十二人抜きまでしてしまった。
三十三人目は重量級のキャラだった。相手が浮かないのは辛い。
只でさえ防御力が低いのがあたしの持ちキャラだ……いずれ新しいコンボを考えよう。

今日何本目かの煙草を咥える。火は着けない。
時刻は七時三十分を回った。締め切りまであと三十分足らず。小学生でも計算できる。
そして、ここから自宅まで四十五分はかかる。間に合うか、合わないか。言うまでもない。
こんなときのために、ストックはいくつか書いておいてある。
だが、どれもこれもいまいちピンとこない。今まで書いてきた作品もそうだ。
ミステリー作品……嫌いではないが、わざわざ書くほど好きなわけでもない。
正直ウンザリしていた。契約先との関係で、そのような作品しか書けないという、この身分に。

私は――そう、ファンタジー小説が書きたかったのだ。
星の王子様が敵にさらわれたお姫様を救い出す、そんな夢物語。
何人かは嘲笑するかもしれない。侮蔑の視線を投げるかもしれない。
それでも私はまだ、この職業を『夢を与える』ものだと、信じているのだ。

「……でも大人は、信念を簡単に曲げてしまう……嫌な生き物だわ、マジで」
ふと、横に目をやる。ビルとビルとの間、闇が支配するその空間に。
私は何故だか惹かれて、その空間へと脚を伸ばした。

都会の構造的欠陥は恐ろしい。
鉄と混凝土の塊が淀み合う街で、それでもかなり広い空間がある。
建物と建物との距離間隔が、次第に広くなり、奥で空間と化す。
突き詰めれば小屋のひとつくらいは入るであろうその空間に、男が数名いた。
もっとも、立っている人数より地面に倒れている人物のほうが多いのだが。
私はゴミ箱の裏へと身を隠し、視界のせいで断片的な彼らの動きを観察した。

拳が空気を裂く音、続けてうめき声。
「……大人しくアレを出せ。そうすれば許してやる」
「や……やめろ……やめてくれ……」
対峙する男と男。ボロボロなのは呻いている方。
一方的に攻めている方は、男よりは青年と呼ぶ方が相応しいであろう人物。
「頼む……アレは好きで売っていたわけじゃねぇんだ……脅されていて……」
「そんなことは分かっている。だから聴いているんだ……早く出せ。さもないと」
「あ、ああ、分かった!分かったから!」
男は怯えながらもベルトをはずし、バックルの中に隠していた小さな袋を渡す。
(どいつもこいつも考える事は同じか……ゴミめ)
「こ、これでいいんだろ?頼む、許してく……ごはっ!」
青年の膝が、男の横隔膜に衝撃を伝える。
男は訴えかけるような目をし、そして地面に倒れ込んだ。
「すまん。さっきのは嘘だ」
完全に気絶したであろう周囲に散らばる男達を観察した後、
「……誰だ?出て来い」
と、背後の空間へと声をかけた。

……非常にまずい。本能が語りかける。毎度こうだ。私は大変な場面によく遭遇する。
以前にも交通事故の瞬間に立ち会ってしまい、
事情聴取だかなんかで三、四時間ほどを無駄にしたことがある。
しかし今回は違う。まずい。何がまずいって……気まずい。
このまま出なければいい。そうすれば猫か何かと間違えてくれるはずだ。
でも、何故かは分からないけど(強いて言うならば運命か)
出て行かなければならないと、そんな気がした。
私はゆっくりと立ち上がり、広い空間へと足を踏み入れた。

そこには街灯がひとつ備え付けられており、さして暗くはなかった。
生ゴミや粗大ゴミが散乱している事もなく、地面にのびている男達さえいなければ、ちょっとした隠れ家だ……地面は相変わらずアスファルトだけど。
私の目前に立っている青年は、大体年齢にして十七歳か十八歳くらい。
それでもまだ幼さが残っている。
前身を黒で統一したその服装は、今の私とそっくりだ。
「あんた……こいつらの知り合いか?」
と、青年は私に問うた。もともとこう云う争いは嫌いではない。ミステリーのネタになるから。
でも、これは違う。小説じゃない、何かが、起こっているのだ。
「残念だけど、あたしはパンピーよ。不良のレッテルを貼られたことはないわ」
「ヤニ吹かしてる」
……そんなに若く見えるのか、私は。
「二十四よ、あたし」
「ンなこと見た目で分かる。あんた、肺がドス黒いぞ。昔から吸ってなきゃそこまでならない」
「……肺が、何だって?」
彼は、今おかしい事を言った。肺が……黒い……?
「見える、の?」
「……気にするな。ともかく、知り合いじゃないんなら早く立ち去って、この事は忘れるんだ」
かなり一方的な態度。それは、私と彼との間に絶対的な力量の差があることを示している。
だが、それは私とて同じだ。
「悪いけど、忘れるわけにはいかないわ。いいネタになる」
「……記者か何かか?」
「当たらずとも遠からず」
「小説家、か。ミステリー系の」
ビンゴ。結構頭がキレるらしい。彼は大きく息を吐き、頭を掻く。
「参ったな……」
「どしたの?こいつらみたく『始末』したら?」
と、地面に転がっている肉塊を軽く蹴飛ばす。
彼は少し目線を落とし、呟いた。
「……女には手は出さない」
「……ぷっ……ははははははははは!」
何故だか。突然におかしくなって、大声で笑ってしまった。
「な、何だよ……」
「だ、だって……こいつら……ここまでやっといて……ハハハハ……手は出さないって……」
笑いすぎて少し腹筋が痛い。涙を少し拭う。
「悪かったな……信念なんだよ。だいたい、あんたは無関係なんだろ?尚更だ」
「でも……話すかもよ?誰かに。小説家だしさ、あたし」
「『青年というよりは少年に近い小柄な男が、巨漢十数人をボコボコにした』……説得力はない」
……確かに。それこそ小説だ。やはり頭がキレるようだ。
しかし、さっきの袋は――
「……それ、なんかヤバイ物なんじゃない?クスリとか?」
「……あんたには関係ない」
「あら、関係ないからこそ話せるんじゃない?書いた所で読者は惹きつけられないわ」
上手に出てみる。勿論、書こうとか警察に飛び込もうとか、そんなことは微塵も考えていない。
単純に、興味があるからだ。『 DEAD-HEART 』の時と同じ。
「……どうせ信じてもらえるとは思ってないけどな」
「そいつはどーも……悪い、火ィ持ってない?ジッポのオイル切れちゃって」
「俺は持ってない……こいつらの誰かが持ってんだろ」
「そっか……あ、これレア物だ。パクっとこ」

煙が肺に充満し、脳に届く。彼の話を聴くため、思考をリセットした。
「……OK,話して。まず質問その一から」
コンクリートの壁にもたれかかり、アスファルトに腰を下ろす。
男達の目は当分覚めないだろうが、彼は気を抜かないために先程から立ちっぱなしだ。
「まず、これは単なるクスリ……麻薬とかそんなんじゃない。文字通りの薬……薬物だ」
白い粉が入った『いかにも』な袋をとりだし、私に見せた。
「何?劇薬なわけ?」
「まあそんなところだ……こいつを使うと、エスに似た陶酔感や爽快感を感じることができる。一般的な向精神薬と同じく、フェニルメチルアミノプロパン等もしっかりと入っている、法的には立派な覚醒剤だ……だが、こいつの真の恐ろしさは、その並外れた副作用にある」
「……関節が痛むとか、失明するとか、でしょ?」
本来はそれほど軽いものではないが、あえて無知な自分をロールする。
しかし、彼の返事はさらに重かった。
「いや、死ぬ。それも極々少量でだ。服用してから数分で陶酔感は消え、更に数時間で死に至る。おまけにこいつで死んだという痕跡はまったく残らない……病的には心臓痲痺だ」
「成程……信じろと言われても無理な話だわ。小説としては三流ね」
「だが、毒薬としては一流だ……こいつが、どこからか街の不良どもに出回っていてな……こうやって、回収して回っているんだ」
確かに怪しくは在る。それに疑問も在る。
「質問その二。そいつを使った奴は死ぬんでしょ?じゃあ薬をもらった奴は使っちゃって、死んじゃうんじゃない?こいつらとか」
「ブローカーはヤクはやらない。ヤクの恐ろしさを知っているからだ。勿論こいつらは他のクスリの常用者だと思うが……チャンポンで使うのは流石に恐いだろ」
「……そりゃそうね」
だが、私の疑問はまだ収まらない。
「……質問その三。じゃあなんで、その薬のことを知っているの?なんで薬を回収して回ってるの?その理由が、知りたい」
――確信。彼は何かを知っている。だから、こんなことをしているのだ。
「……もう一度言う。言っても信じないと思うから、言う。だが、もし信じるのなら、これ以上関わらないでくれ。それだけだ」
「……りょーかい。ヤバそうだって事は分かる」
言って、私は口に咥えていた煙草を、地面に押し付けた。

「とある組織が在る」
「また随分とでっかい話ね……ごめん、腰折った。続けて」
「……そいつらが何人で、どういう構成なのかは分からない。日本経済を裏から操るとか、そんな馬鹿げた事はしない。だが、あいつらのやっていることはそれ以上に馬鹿げていることだ」
「何を?」
彼は一度ゆっくり呼吸し、間を置いた。
「特殊な能力を持っている者を集めている」
「……そりゃまたえらくファンタジーな。少し羨ましいわ」
「何故集めているのか、その理由は分からない。もしかしたらその上で、経済を操るとか、そのようなことを考えているのかもしれないが……ともかく、俺はその組織に勧誘をうけた」
「……生き物の弱点が分かる能力?」
彼は少しだけ眉を吊り上げた。
「分かったのか?」
「あたしの肺の黒さを見抜いた」
「……流石は小説家。頭がキレる」
先程まで私が思っていたことと同じ台詞を、彼は吐いた。
地面に倒れこんでる男達も、弱点を集中的に攻撃されたから……か。妙に納得した。
「……俺は断った。面倒な事に巻きこまれるのは御免だ、ってな。だが、奴らは執念深かった。俺を仲間に引き込む為に、もしくは見せしめの為に……俺の友人を、殺した」
「……」
また、妙に納得した……仇討ちか。
この年齢の少年にしては珍しい思考だが、それだけ彼は『正義』なんだろう。
「その殺しに、薬が使われていた……ってことね」
「……街の不良達を締め上げて、組織が薬をばら撒いていることをつかんだ……相変わらず組織自体には追いつけていないがな……だが、いずれは尻尾を掴んでやる……」
「……分かった。ありがとう。誰にも言わないわ」
「……」
「手伝う、って言っても、断るでしょうね。サツだって役に立ちそうにない」
「これは、俺の問題だ……俺の、信念の問題だ」
「……祈る程度にしておくわ。あなたの無事と、友人への痛み入り……それだけに」

彼は素早く下水に降り、そして地上に戻ってきた。手に袋はない。
「水に浸透すると毒の効果は無くなる……父親の研究室のモルモットには申し訳ないことをしたよ。同時に、環境に感謝した」
「成程ね」
上を見上げる。すっかり暗くなっていた。時計の針は綺麗な直角を描いている。
携帯電話の電源を入れれば、すぐにメグちゃんの怒鳴り声が聞こえてくるだろう。
「……あ」
「何だ?」
肝心なことを聴くのを忘れていた。
「最後の質問……名前、教えて」
彼は、先程と同じように頭を掻き、ぼそりと呟いた。
「……吾妻、麗」
「あづま、れい?何それ。女の子みたいな名前」
「悪かったな……そう言うあんたは何て名前だよ」
「あ、あたし?……神子柴……さ、早良」
「……外人かよ」
人が気にしてることをさらりと言える。本当、若いというのは羨ましい。
「言っとくけど、ペンネームだからね。それに結構売れてるんだから、あたしのシリーズ」
「『女弁護士鈴原葉月』……だろ?」
「……知ってんのかい」
軽く笑う。彼も笑った。
「じゃ、頑張りなさいよ、麗君」
「そっちこそな、先生」
それぞれ背中を向け、月明かりの中、私たちは別れた。
――二度と、会うことは無かった。


『二〇〇五年 七月二十四日 午後十一時二分』

川原には私以外、人の姿は無かった。
遠くで街の明かりがぼんやりと見えている。ここは私のお気に入りの場所だ。
都会であって都会で無い。境界線である場所。まさに、私と同じだ。
中途半端ではあるが、存在している。自己投影ではあるが、そういうものだ。
水の流れだけが聞こえ、心を落ち着かせる。
「彼も……こうやって生きてるのかな」
朦朧と、そして釈然と、目的に向かって前進している。
その姿は、たった数時間しか会話をしなくとも、読み取れた。
初めて、小説家という職業に感謝した。
「……釈然としないのは……『私』も同じか……」
どうしたらいいのか分からない……。
尊敬の念に死ぬか、侮蔑の念に生きるか。
それを決めるのは私だ。あたしじゃない。
それだったら、しばらくは生きてみよう。
目的を見つけるために――生きてみよう。
(……しは……しゃを……し…すよ……)
「……?今、なんか声が…」

ぷしゅっ

背中から、胃の当たりをぐっと押し付けられた、様に感じた。
海老反りになり、視線は自然と上方を撫でる。
生暖かいものが流れる感触が腹部を支配し、脚に力が入らなくなる。
衝撃の流れが逆転し、私は仰向けに倒れた。
――背中から、撃たれた。多分、銃かなんかで。
大きな音が出なかったから、サプレッサーみたいなものを装けてあるのだろう。
何故か、とても冷静な状況判断だった。
先程の思いとは裏腹に、少しだけ小説家という職業を呪った。
不思議な事に、何で撃たれたか、とか、そんなことはまったく思考に浮かばなかった。
私は大変な場面によく遭遇する。それだけだ。
……目が霞む。
四肢は既に動かなくなった。
吸いきった煙草を恨んだ。
メグちゃんに心のなかで謝った。
――空を見た。
とても、煌びやかな星々が、霞んだ視界からも見て取れた。
都会にしては珍しく、満天の星空だった。

そうだ……私は、ファンタジー小説が……書きたかったのだ
……星の王子様が、敵にさらわれたお姫様を救い出す、そんな……夢物語を……


『二〇〇五年 七月二十四日 午後十一時十分』

「……わたしは前者を推薦しますよ」
鉄の塊は消音装置を通過し、目標に着弾した。
遠目でも、標的が崩れ落ちるのが分かる。
(『組織』で特殊に製られた弾丸だ……たとえ腹部でも、ヒットすれば命は終わる)
拳銃を質素な紙袋にしまい込み、さらにそれをカバンに収めた。
突然、腰の位置から音楽が鳴る。携帯電話の着信音だ。無名のクラシック音楽。
高音質のビートを刻む音色は、持ち主を呼び続けている。
通話開始の緑のボタンを押し、耳元に近づけた。
「わたしです……はい、始末しました。接触元である例の男も、これから……はい。了解です」
短い会話の後、携帯電話を同じくカバンにしまい込む。電源はオフ。
そして、ゆっくりとした動作で、都会に向かい、彼女は歩き始めた。

「Arrivederci,Ciao……締め切りの事は忘れて、いい夢を見てください……神子柴センセー」

イタリア語での別れの挨拶と共に、
キャミソールについたピンクのフリルが風に揺れ、そして――消えた。






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