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コピー室 作者:木口アキノ

最終回   2
 時刻はそろそろ、次の日に進む。会社の中に人気は無い。部屋に残っているのは、私1人。多分、このフロア全体で見ても、私しか残っていないと思う。
 暖房は数時間前に切られていて、どんどん肌寒くなってきていた。
 早く仕事を切り上げて帰りたい。
 明日の午後1番の会議で使う資料の作成は、あとは参考となる書籍の数ページをコピーして添付すればいいだけだ。
「あと必要なのは、このページだけ、かな」
 小さな声で呟いた筈の私の独り言は、無人の部屋では思いの外大きく聞こえる。
 私は机の上に開いていた本のページの隅に黄色い付箋を貼ると、その本を閉じた。そして、隣の人の机に積み上げていた数冊の本の上にそれを積み重ね、立ち上がる。
 積み上げられた本の一番下に手を入れ、一気に持ち上げる。
 それなりに重いが、持ち運べないほどじゃない。
 殆ど体当たりのようにして部屋の扉を押し開け、廊下に出る。
 廊下は室内より温度が低く、ひんやりとした感覚が私の肌を包む。
 左右に伸びる廊下を、左側に向かって歩き出す。この突き当たりの部屋が、コピー室だ。
 私の目線の先に、部屋から漏れる光が廊下を照らしているのが見えた。
 光の元は、私がこれから行こうとしているコピー室だった。
 どうしてそこの明かりが点いているんだろう。
 誰かが消し忘れたか、他のフロアの人が使っているのだろうか。
 コピー室は各フロアにあるが、今日このフロアに残っているのは私だけだ。
 けれど、他のフロアの人が使っているにしては、コピー室からは何の音もしない。
 どんなにコピー室に近づいても、そこから人の気配はしなかった。辿り着いて中を覗き込んだ時、そこが無人だという事を確認できた。
 やはり、誰かの消し忘れだったのだ。
 室内はしぃんとしていて、ただひんやりとする空気があるだけだ。
 そう、廊下よりも肌寒い。
 ともすれば、不自然なほど。
 昼間の暖房を消していたのかもしれない。
 あまり深く考える事ではないので、私はそのまま部屋の奥へ進み、一番新しいコピー機の前に立つ。コピー機は他にも2台あるが、連続コピーにすると紙詰まりを起こしたりと、あまり使い勝手が良くないのだ。
 コピー機の右側にあるキャスター兼物置台の上に資料の本をどさっと置き、私は軽く息をついた。ああ、重たかった。これでまた、肩凝りが悪化してしまったかもしれないと考えつつ、肩を揉みながら首を左右に動かす。
 それからコピー機の上蓋に手をかけ、それを上に持ち上げる。
 持ち上げる。が、異様に重い。まるで蓋の上に何かが乗っているような。けれど、蓋の上には何も無い。
 蓋のネジに不調でもあるのだろうか。私は力任せに蓋を持ち上げた。
 本体と蓋との接続部分が、みし、と小さく音をたてたが、蓋を押し上げる事ができた。
物置台の上にある本の山の頂上にある資料を1冊手に取り、付箋を貼っていたページを開く。そのページをコンタクトガラスに押しつけ、蓋を閉める。本の厚みで浮き上がってくる蓋を上から押さえつけながら、コピーボタンを押す。
 機械の左側に、A4の紙にコピーされた資料が出てくる。
 その濃度や写真の潰れ具合などを確認してから、必要な部数をコピーする。
 そうして、一つ目の資料のコピーを終える。
 次の資料は同じ本の違うページだ。
 それをコンタクトガラスにセットしようとして、本を一旦持ち上げ目的のページを開こうとすると、どこかに挟んであったのだろう、本から一切れの紙片がひらりひらりと床に落ちた。
「やだ、こんなのあったっけ?」
 先程本をチェックしていた時には、こんな紙切れなんかに気が付かなかった。
 私は本を物置台の上に置いて、紙片を拾う為に両膝を折ってかがむ。
 拾い上げた紙片は、相当急いで書いたらしく酷い殴り書きで、かろうじて何かの料金計算をしているのだろう事だけがわかった。
「何コレ。ゴミじゃないのかしらね」
 こんな物の為に数秒とはいえ時間をとられた事を腹立たしく思いながら、私はコピー機に片手をかけて立ち上がった。
 うぅぅーーー……ん、と機械が作動する音が響いた。
 立ち上がりかけていた私は、どきっとして一気に立ち上がり、身をすくませる。
 コピー機の「コピー」と記されたボタンが発光している。
 どうやら、私は立ち上がる際に誤って押してしまったようだ。
「なんだ……」
 何もなしにコピー機が突然動き出したかとも思ったが、そんなことあるわけがない。
 コンタクトガラスの下から緑色の光が溢れて左右に滑るように動き、その後コピー機の左側に、A4の紙が排紙される。
 コンタクトガラスに何も置かず、蓋も閉めずにコピーしたのだから、真っ黒な紙が排紙されてしまったに違いない。この紙は捨てなければならないだろう。
 そう思って私は排紙された紙に手を伸ばしながら、その紙に目を向ける。
 そこにあるのは、真っ黒な紙。
 そうでなければならなかったのに。
「何……これ……?」
 紙を見た瞬間、冷たい棒が頭から背骨を通って足先にまで差し込まれたみたいな衝撃を感じた。考えるよりも先に、手を引っ込めた。
 排紙された紙は真っ黒ではなかった。
 そこには、人の顔が写し出されていた。
 右半分が潰れ、目は見開かれ、顎が砕けた人の顔が……!
 何の間違いでこんなものが?
 私はコピー機から目を離せずに、でもその場から少しでも離れたくて、一歩後ろへ下がった。すると、何かが私の右肩に触れた。
 右肩の、その部分に意識を集中すれば解る。私に触れているのが何なのか。
 解っちゃダメ、解っちゃダメだ。そう頭で繰り返すのに、ソレが人の手なのだと感じる。そう、解ってしまう。
 でも、温かさは無い人の手。
 私は、引きずられるように後ろを振り返った。
 そこには、コピーされたのと同様の、半分潰れた人の顔が、あった……。


 それから、私は何をどうしたのか覚えていない。
 気が付けば、自宅で朝を迎えていた。
 数年前に、今私が所属している課の人が事故に遭い頭の半分を潰されて亡くなっているという話を聞いたのは、それからさらに数ヶ月後だった。


           第2話・終

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