『9番、奈良原にかわりまして田中賢介。背番号3』
『ファイターズ、實松と同じく若手の田中を代打に送ってきました。ここでビッグバン打線が火を噴き、サヨナラで優勝を手にできるのか!』
マウンド上にいるあおいが深呼吸する。
「すぅ〜はぁ。・・・・・うん、大丈夫」
セットから投げ入れるインハイのストレート。田中はこれを見送ってワンストライク。
その後も2球目3球目とテンポよく投げ入れるあおい。そして・・・
『打った!しかし、打球はショートへのライナー!小坂が難なく処理してまずワンナウト!』
ここで球場が沸く。そう、この土壇場に来て日本ハムファイターズの核弾頭、波川が打席に入った。
『今年のプロ野球で一番の名場面と言われる春先の大事件。波川漁太の投手指名、そして今マウンドに立つ早川あおいから放ったサヨナラ本塁打。鮮明に覚えているファンも多いことでしょう。その二人が再びこの大舞台で対決しようとしています。3割30本を記録した波川、シーズン途中から中継ぎとしてロッテを支えてきた早川あおい。前回の対決では波川に軍配が上がりました。今度はどちらが勝つのでしょうか。この勝負に勝ったほうが優勝するといっても過言ではありません!』
大事な場面のはずだが誰一人としてマウンドへ寄ろうとはしていない。そう、皆あおいを信用しているのだ。そして、あおいにこの勝負を託しているのである。
静まり返ったドームにウグイス嬢のアナウンスが響く。
『1番、センター波川』
その瞬間、スタンドから怒涛の歓声がこだまし、波川と大きく書かれた応援旗がはためく。
波川はヘルメットに手をやりバットを1、2回前後に振る。そして静かに構えた。
「まさかこんなところで対決することになるとはな」
「今度こそぼくが勝つんだ。そのためにファーム暮らしに耐えてきたんだ」
「早川もファームに落ちていたのか。俺はあそこから這い上がってきた。今でもデーゲームになるとあの頃を思い出すよ。いい思い出ばかりじゃなかったが、あの時があるから今の俺がいるんだ。努力してここまで来て、こうやって最高の場面に立たせて貰っている。このチャンス、潰すわけにはいかない!」
「ぼくだってあなたを倒さないと前に進めないんだ!プロの世界に入って絶対にやり遂げないといけないことを達成するためには波川さんを越えないと!」
セットからの投球モーションに入る初球、アウトローのカーブ。これを波川は微動だにせず見送った。判定は際どいがボールになった。
「う〜ん。波川のヤツ半端じゃない集中力だな」
ベンチで苦笑しながら試合を観戦している渚。
「やっぱり早川には荷が重いんじゃないのか?」
「見届けるしかありませんね」
「そう・・・だな」
黒木が心配そうに言うが、渚がそれをあっさり否定してみせる。
田中のときと同じく2球目3球目とテンポよく投げ込む。カウントは1−2になった。
そして、波川に投じた第4球。
「ストレートか?・・・いや、シンカーだ!」
外角に決まろうかというシンカーを上手くカットする波川。5球目も同じコースにシンカーが入ってくる。
「今度こそ!」
今度はバットの真芯でボールをとらえる。弾き返された打球はライナーでスタンドに向かって行く。
「入っちゃう!?」
スタンドで悲鳴を上げる遥。
「いや、無理だな」
神童が言うと守と進、猿橋、輝星が頷く。そして、打球はその通りファールゾーンへ切れていった。
「若干差し込まれているからな」
白川が続ける。
「そ、そんなことこんなところからで分かるんですかぁ!?」
驚く氷坂を尻目に渡島が小さな声で呟いた。
「それに、早川はまだアレを投じていない。あの球が完成していれば、今のシンカーを続ける配球はそれを投げるための複線だろう」
「だろうな。いまだ試合じゃ一度も投げていないからな。ここ一番の武器になるだろう」
そして、その時が来た。
『早川あおい、波川を追い込んで第6球』
再三同じコースへボールが投じられる。球速はストレートより少し遅いくらいである。
「またシンカーか!いささかキミを買いかぶっていたのかもしれないな!」
シンカーの軌道に合わせて波川がバットを振る。
だが!
「なに!シンカーより切れるだと!?」
あおいがいつも投じるシンカーより切れ、伸び、変化の度合いを上回っている。
「バットの修正が間に合わない!」
スパーン!
「ストライーク!バッターアウト!」
一瞬の間が空いた後、球場が大歓声に包まれる。一部の気の早いファンは早くも紙テープを投げ入れようとしている。
「ふぅ。あと一人!」
「い、今の変化球は・・・」
三振をした格好のまま波川が尋ねる。
「ハイシンカー・・・いえ、マリンボールですよ。波川さん」
「そうか、これがファームで身に付けたモノ・・・か」
波川は満足そうにそれだけ言うと、バットを担いでベンチに戻っていった。
スタンドからあと一人コールが聞こえてくる。そして、打席に入るのは・・・
『2番、ファースト小笠原』
『さあ、本当に土壇場まで来ました。今年のパリーグ!ここで最後のバッターとなるのか!?それとも勝利を呼び込む一打を放つことが出来るのか!小笠原道大!』
病院のロービーで一人テレビを見ている乾。一美は現在分娩室である。
「早川、踏ん張れよ。あと一人や」
「あの〜、乾さん?病院内でスパイクはちょっとマズイのですが・・・」
後ろで苦笑している看護婦。
「あ!えろうすんません。サンダル貸してもらえますか?」
「ほら、サンダルだ」
「お、龍彦ハンか。そういやここあんたんとこの実家やったな」
「まあな。それにしてもハタチで父親か?しかも、できちゃった婚のオマケ付だ」
笑いながら言う村雨。そう、ここはオリックスの内野手である村雨龍彦の実家なのだ。
「ええやんか。気にせんといてや」
照れながらテレビに目を向ける乾。その向こうでは小笠原が2−2と追い込まれていた。
『小笠原、カウント2−2と追い込まれました。早川、次を最後とするのか?それとも小笠原が意地を見せるのか!?』
次ぎの球、その次の球と連続してカットしていく小笠原。そして第6球。
カキシィ!
『打った!だが打球は一塁線を割ります。粘る小笠原!』
息があがるあおい。ロージンバッグを握り、ひとつ息を吐いた。
「次の球で決める」
静かにだが、とても気持ちのこもった一言である。
そして、投じられた第7球。
インコースへのストレート。球速は135キロの計測であるが・・・
カキィ!
『打ったぁ!打球はライトスタンドへ向かって緩い放物線を描いてゆく!』
グラウンドが、ベンチが、スタンドが、そしてこの試合の中継を見聞きしている人全てが打球の行方を追った。
「・・・終わったな」
渚と波川が同時にベンチを立つ。それと同じくして小笠原のバットが根元から折れた。
「第6球目をファールにしたときに既にバットは限界だった。それに今更気づいても遅いけどな」
小笠原も打席から動かず打球を追っていた。
箕輪がフェンスに背を着け、グラブを構える。ゆっくりと落ちてくる打球を今、捕球した。
『マリーンズ、優勝〜!混戦パリーグを制しました!今、殊勲の早川投手をロッテ選手が迎えいれます!』
それからしばらくして。
「乾さん!お子さんが生まれましたよ!元気の良い女の子です!」
「そうか!一美!よーやった!」
助産婦が子供を抱いて出てくると同時に病院の電話が鳴った。
「乾、電話だ」
「どこから?」
「東京ドームのベンチからに決まってるだろう」
片手に今生まれたばかりの我が子を抱きながら、村雨から受話器を受け取る。
『乾さん、俺たち優勝しましたよ!』
『ちゃんと乾さんの後継ぎましたよ!』
「そうやな。ようやったでホンマに」
すると横で赤ん坊が泣き始めた。
『乾さん、もしかしてお子さん生まれたんですか!?』
「せや、たった今な。誰かさんがちゃんと話し聞かんから試合投げ出してきてもーたが、その甲斐があったわ」
『ごめんなさい〜』
電話の向こうであおいが小さくなる。
『で、もう名前決めたんですか?』
「せやな・・・あおいなんてどや?」
『え・・・』
「コイツにも将来プロ野球選手になってもらえたらええなぁ。早川、いいか?」
『・・・はい!』
『“乾あおい”なんて言いにくい名前でやんすねぇ』
「おい、矢部。自分、後でメガネ割るぞ」
『ひぃ〜ごめんなさいでやんす〜』
『あはははははは』
受話器の向こうから明るい笑い声が聞こえる。それを聞いていると本当に優勝したんだなと実感が沸いてきた。
『乾さん。これから祝勝会ですけどこられますか?』
「せやなぁ。一美に会ってから決めるわ」
『一美さん大事にしてくださいね』
「わーとるって。大丈夫や」
『じゃ、電話切りますね』
「おう、後でな」
乾は受話器を静かに置いてそのまま一美の待つ部屋へと向かっていった。
『これから、優勝監督インタビューを行いたいと思います!』
スタンドからは津波のような歓声が聞こえる。一塁ベンチからも惜しみない拍手が送られた。
「箕輪!今度飲みに行こうな!おごってやるよ!」
「絶対ですよ!」
こうしてパリーグの優勝争いは幕を閉じたのである。
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