『日本ハム一点差に詰め寄りました!乾、痛い一発です』
マウンドに選手が集まる。その時、ベンチではちょっとした大変なことになっていた。
「乾選手は・・・マウンド上か」
「どうかしましたか?」
ベンチに残るあおいが慌てて入ってきた球団職員に尋ねる。
「あ、いや。今、病院から電話があって坂本一美さんが運ばれたって」
「サカモトカズミさん?」
いきなり知らない人の名前を言われて戸惑うあおい。すると話を横で聞いていた渚が加わった。
「坂本一美さんって乾の婚約者じゃないのか?オフに入籍するとか言ってたが・・・」
「え!?そうなんですか?じゃあ、大変じゃないですか!」
そんなことは聞こえていない監督とコーチ陣は既に乾の交代を考えていた。
「乾の悪い病気が出てきたか・・・」
「さすがに今日はさげないとマズイかもしれませんよ」
ベンチで一美のことを乾に伝えるべきだと一人もがいているあおい。
「渚、お前行けるか?」
「はい。さっきまでブルペンにいましたから肩はできあがっていますが」
「そうか、じゃあ行ってくれ。乾には悪いがやはりさげるのが最善の処置だと思うからな」
「ですが、アイツ素直に降りますかね?あと2、3発打たれないと降りないと思うのですが・・・」
その話を聞いていたあおいが身を乗り出す。
「はいはいはいはい!乾さんの説得は私が行きます!」
「大丈夫か?アイツは怒らせると怖いぞ」
「そんなこと言ってられません!大事な人が大変なのに」
乾をマウンドから降ろす理由が監督とは全く違っているが、そのやる気を見込んでマウンドに渚とあおいを送り込んだ。
「あ、監督。自分はこの回抑えたら降ります。抑えにはこの娘を使ってください」
そう言ってあおいの頭に手を置く。
「おう・・・・あぁ!?」
驚いている監督を尻目にベンチを出て行く二人。
マウンド上では少々もめていた。
「乾さん。ど真ん中はまずいですよ」
「んなこたわかっとる!すっぽ抜けや」
「だからそれが・・・」
収集がつかなくなってきたところにあおいと渚が到着した。
「乾、交代だ」
「はいよ・・・・・ってなんやて!?」
腕組をしている渚を見て乾が大声を出す。
「乾さん、一美さんが大変なんですよ!病院に運ばれたって」
「一美が!?しかし、今マウンドを降りるわけにはいかんのや」
「だって、大切な人なんでしょ?」
「一美は大事や。でもな、俺はこのチームが優勝するのを見たいんだよ」
「で、でも!」
周りがしんとなる。
「今降りたら後で絶対後悔する。せやから・・・!」
パン!
乾いた音がマウンドに響いた。乾の目の前には今頬を叩いたあおいが涙ぐんでいる。
「早川・・・」
「乾さん、大事な人をなくす方が絶対に辛いんです。私のお父さんはそうやってお母さんが亡くなるまで会いに来ませんでした。乾さんにはそうなって欲しくないんです」
「乾さん、俺達絶対に優勝しますから」
箕輪がボールを乾のグラブから取り出し言った。
「・・・せやな。みんなを信用するか」
野手陣もみんな納得している。そして、乾はベンチに走っていった。
乾が去った後にアナウンスで渚への交代が告げられた。
球場の前で乾は慌ててタクシーに乗り込んだ。
「お客さんどちらまで・・・ってアンタ乾選手じゃないのかい?試合はまだやってるんじゃ」
「ええから車出したって!」
「あ、ああ。で、どこまで」
「千葉や千葉!とにかく海浜幕張まで行ってや!」
『三振!渚、ラストバッターの金子を三振に仕留めて試合はいよいよ9回に入ります。マリーンズがこのまま逃げ切り優勝するのか、それともファイターズが逆転劇を見せるのか!?』
しかし、9回の表は目立ったこともなく神威が3人で攻撃を終了させた。
そして。
『千葉ロッテマリーンズ、選手の交代です。ピッチャー渚に代わってあおい。背番号01』
ついに最後のマウンドへあおいが向かって行く。
そのころタクシーの中の乾は・・・。
「乾さん、そろそろ幕張に着きますよ」
「ああ。えっと・・・村雨産婦人科ってところに・・・」
車内に沈黙が訪れる。
「しもた!」
乾がドアをあけて車から降りようとする。
「ちょ、ちょっと乾さん!走行中ですよ!」
「降ろしてくれー!一美が妊娠10ヶ月だったの忘れとったぁ!」
「そうなんですか。めでたいじゃないですか」
「めでたくなんかないわ!今からでもドームに戻るぞ!」
乾がドアと格闘しているといきなり車が停まった。
「着きましたよ」
「へ?」
窓から外を見るとそこは目的地の村雨産婦人科だった。
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