でもね、そんな僕の人生の転機が訪れたのはちょうどこの日だった。僕の…大切な日の一つだ。 あのときは完全に時間感覚が抜けていたからよく覚えてないけど妙に部屋が朱に染まっていたからたぶん夕方だと思うんだ。いつも通りにしては少し早い矢部君の電話から始まった。
「はい、早川です。矢部君?いつもより早いね。」 「た、大変でやんすよ!とにかく大変でやんす!!」 「全くどうしたのよ矢部君…女の子に振られたの?」 「…それはおいといて、でやんす!小浪君が病院を抜け出したでやんすよ!」 「え…?」
小浪君が抜け出しただって?聞いて信じられる話とは最初は思えなかった。後遺症が残るかもしれない状態でどうやって脱走したのだろうか…?未だにこのことは僕はわからなかった。
「オイラたちみんなで今探しているところでやんす!…もしかしたらあおいちゃんのところへ向かってるかもしれないでやんすから、いたら確保してオイラたちに連絡して欲しいでやんす!」 「わかった。」
小浪君の脱走…それになぜ私のところへくるのか…?不思議でならなかった。 それから30分後…とりあえず小浪君が来れるように身支度と部屋の掃除を行っていた…が、途中でソファーに身を投げたんだ。
「…何を期待してるのあおい。小浪君が来るかも分かんないのに…来て欲しいわけ?なんで…?」
もう一人の私はどうしても故意をしたことを正面から素直に受け止めることが出来なかった。 そんな自問自答を繰り返していたそのとき、家の呼び出し音が鳴った。すがるようにそのドアを開けると、そこには小浪君が立っていた。 脱走したとは思えない姿だった。包帯もなく、杖もなく、服も普段着に着替えていた… それはまさに…僕が恋した小浪君だった。
「何で…?何で私のところへ来たの…?」
半分嬉しかったが半分のために言葉次第では追い返さなければならない。でないともう私の精神は狂ってしまいそうだった。 もう一人の私…小浪君を傷つけた言葉、それで自殺未遂を行った小浪君、それから逃げて籠もり始めた私の理性…それら全てに狂わされそうで怖かった。次の言葉を聞くのが怖かった。 しかし…
「…まずは君に逢いたかったんだ。あおいちゃん…」 「えっ?」 「君は傷ついてしまっただろう?僕が軽はずみの行動を行ったことによって、夏予選のことによって…」
全部彼は知っていた。
「…意識はいつ回復したの?ついこの間聞いたことによるとまだまだかかるって…」 「今日の朝目覚めたばっかりだよ。それで最初の検査を受けた後にお母さんから色々話を聞いていたらどうしてもあおいちゃんに会わなきゃって思ってね。だから…来たんだ。」 「!駄目だよ、ならまだ体を休めなきゃ!」
小浪君がどれだけ無理をしてここまでやってきたかはその額の汗と息づかいでわかった。酷く苦しみながらここまで来たのだろう。話の途中に時々歯を食いしばることもあった。 何で僕にここまでしてくれるの…? とりあえず帰れと言ったが小浪君は話したいと言って聞かないので家に寝かせながら話をすることになった。既に小浪君は疲れ切っていて一人で上がれそうにないので僕が肩を貸して階段を上っていく…。
『初めて、小浪君にこれほどくっついてる…』
仕方がないとはいえ、私だって一人の女だから恥じらいだってあるよ。たぶん顔を赤くして階段を上がっていったんだろうなぁ…しかもそれが好きな男なんだから女ならそうなるはずだ。少なくとも少女であった僕はそうなった。
「ごめんね、俺が無理を言って…どうしても話したかったんだ。」 「い、いいのよ!何言ってるのよ…僕だって話し相手が欲しかったし…。」
やけに緊張する僕…手にびっしょり汗をかいている…小浪君が僕の方に腕を… 頭一個分上に小浪君の顔が見えた。
部屋についたら小浪君を僕のベットに寝かせた。すると小浪君は口を開きだした。
「まずさきに言っておきたいんだ。ゴメン。」 「小浪君が謝ること無いよ!…謝られたら僕はどうすればいいんだい?僕が悪いのに…」 「そう思われちゃいけないからここへ来たんだ。あれは俺が酒をヤケ飲みしてヤケで起こしたことだから全然あおいちゃんのせいじゃないよ。」 「でも、でも僕が言わなければ…」 「あおいちゃん…君だけじゃないんだ。」 「えっ?」
私だけじゃない…?
「実は矢部君にも他の人にも…加藤先生にまでそれを言われたんだ。そこに…あおいちゃんまで言われちゃったから。」 「そうだったんだ…」
そういえば小浪君、あのとき…
『あおいちゃん,君までそんなに俺を追い出したいのかい?』
そういっていたなぁ…思い出した。
「だから、あおいちゃんが気にする必要ないんだよ?」
そういわれてもまだ僕は謝り足りないと思った。どうしてだろう?謝ることで自分の居場所を確保しようとでも思っていたのだろうか? いつまでもうじうじしてる僕を見かねて、何かの決心を固めたように小浪君。そして…
「あ、あのさぁ…もしも…そんなに罪を償い足りないなら…お願いがあるんだ。」 「なに?」
そう言い返すと小浪君は顔を真っ赤にして、
「よ、良かったら俺と付き合ってください!」 「…えっ?」
予想外の言葉をかけられて僕は呆然とする…小浪君が僕と付き合いたい…?僕と…? 静まりかえる部屋…そこにいる僕と小浪君。 小浪君はどう返されるか心配で寝かしていた体を起こしていた。 小浪君がその間どれだけ心配していたのかは僕には分からなかったが少なくとも僕には嬉しいことだった。天地が引っ繰り返るほどの大事件だ。 でも、そう分かると…なんだかからかいたくなったんだ。
「…何で僕なんだい?」
誰もが聞き返しそうな言葉を返してみる。すると…
「まず、あおいちゃんに声をかけたときから一目惚れだった。緑色の澄んだ髪におさげがとても綺麗で…とても可愛いと思った。でも、何を言えばいいか分からないからとりあえずマネージャーとして誘ってみた。そしたらあおいちゃんは選手だった。はじめは驚いたけど次第に一人のライバルとしてみてきた…でも…ずっと好きだって思って自分に手がつけられなかった。それから…」
ここから延々と話を聞かされて20分。ちょっと聞くのは疲れたけど世間に捨てられてような僕をこんなに思ってくれているのかと思うと涙が出るほど嬉しかった。
「…だからなんだ。あおいちゃん、付き合って欲し…あおいちゃん泣いてるの?」
…神様いいのでしょうか?こんな世に見放された僕がこんなすてきな人と付き合っても…
「…うん、嬉しいの…」
もしそれが許されることなら…
「僕も君が好きだったんだから…」
――――彼を一生愛し続けていきます――――
そして僕達は付き合うことになった。野球ではライバル、学校と普段の生活では男女として…。 僕はそのころから普段気にしていなかった肌とかおしゃれとかに興味を持った。クラスではあの野球部の人気者主将と付き合っているっと言うことから話す友達も増えたし、その子たちからおしゃれとか流行についてとか学んだ。 小浪君は天使だった。少し前の自分では信じられないこの幸せの絶頂。世に見捨てられた僕が小浪君のおかげで暖かく迎えられたのだ。 キャプテンとしても小浪君はやはり優秀だった。あのあかつき大付属の猪狩を超越下とまで言われるその野球センスを自分が独占することなく、周りの部員たちにもそれを伝授していった。キャプテンとしての役割もきちんと果たし、チームの大黒柱としての投球の役割を期待通りに答えてくれた。 いつも優しく僕の話を聞いてくれたおっちょこちょいで、お馬鹿さんで、ときどき助平で、いつも場を和ませてくれる頼もしいキャプテン… そんな小浪君が僕は…大好きだった。
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